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ぼくとフランソワ・シモンさんの15年。 16.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

取材は、Casa BRUTUS以前も多い方だったと思う。
特にマガジンハウスさん系の雑誌は頻繁に掲載してくださったし、関西のライターさんたちは本当に何度も取材に来てくださった。
ところが、いつも「今回こそは!」と思いながらもお客様の反応は薄かった。
やっている芸風(ハード系)が悪かったのか、当時としては「入りづらい」と散々言われ続けた店構えが悪かったのか・・・
それでもCasa BRUTUS掲載以降、そんな言葉を耳にすることもなくなった。

これは個人的な見解だけれど、編集部の方々やライターさんたちは常に新しいネタ(お店)を探しておられ、いわゆる雑誌のお店紹介、特に新店紹介というのは当然どのお店も耳障りの良い言葉が並ぶ。これに見慣れてしまった読者は、もうそれだけではなかなか足を運ばれないのではと思う。
ところが単なるお店紹介でなく批評といった企画だった場合、受けるお店にとっては諸刃の剣ではあるけれど、結果が良かった場合には読者、お客様への刺さり方が違ったのではないか。
それがこのCasa BRUTUS以降のうちの店の激変ぶりなのでは、とぼくは思った。

この企画がなければ、最初の店は恐らく潰れていた。
最初の店がなくなれば当然それ以降の御池の店、新宿店、レフェクトワール、大丸京都店、オマケもなかったことになる。
マガジンハウスさんのCasa BRUTUSとシモンさんに感謝をするのはもちろん、そのCasa BRUTUSに目を付けてもらいチャンスをいただけるようになったのは、それまでに取材をしてくださっていた関西のライターさんたちのお陰で間違いない。

「ぼくはマガジンハウスさんに足を向けて寝れない」「◯◯さん(複数のライターさん)に足を向けて寝れない」とよく冗談混じりに話すのも、まんざら冗談でもないのである。

つづく

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