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高尚な、たまごっち

ぼくは世間的には完全に大人だけれど、お酒の絡む大人の遊び場所には、まったくというほど縁がなければ関心も薄い。そんなぼくが、昔お世話になっていた社長にお茶屋さんへ連れて行っていただいたことがある。

一緒に行くことになった同世代の友だちは及び腰なぼくと違い、「一度、行ってみたかったー」と前のめりだった。
彼は終始とても楽しそうで、帰るときにはそのご満悦な表情を見ながらぼくは、昔お茶屋さんへ行かれたお師匠さんがやはりそうであったことを思い出した。

みんながとは思わないけれど、お茶屋さんというのは男性なら一度は行ってみたいと憧れる場所なのかもしれない。
実際、同世代のオジさんたちの中には「一度は行ってみたい」と口にする人が少なからずいるし、ぼくの知る限り行った人からはとても満足げな印象を受ける。

社長やお店のオーナーとなり、ある程度の成功や結果を残したオジさんたちは、「ついにオレもお茶屋さんへ来られるようになったか」と喜びを噛み締めている人もおられる気がする。ぼくにはない感覚だけれど、それなら頑張った甲斐ありましたね、と微笑ましい気持ちにもなる。

ぼくらを連れて行っていただいたとき、社長が舞妓さんを呼んでくださった。
キレイだなぁとは思うけれど、異世界すぎて何を話せばいいのかすらわからない。そんなぼくに、舞妓さんや芸妓さんのほとんどが京都以外の人たちということや1年目は紅を下唇だけに塗るといった決まりごとなど、業界のあれこれを聞かせていただいた。
「ほぅ」「へぇー」と相槌は打つものの浮世離れした話もあったりで、平凡が服を着て歩いているようなぼくには話を広げることもできず、やはり「場違いなところへ来ちゃったな」としか思えなかった。

社長がキープされているボトルを見せてもらうと、表面には小さなシールがたくさん貼られている。もうそれ以上貼る面が残っていないほどの枚数だった。
舞妓さんが来られると名刺代わりに名前の書かれた千社札という小さなシールをいただける。どうやらこれをボトルに貼るのがならわしらしい。
その貼られたシールの名前からお客さんが贔屓にしている舞妓さん、芸妓さんがわかるということなんだろう。
それにしてもこの枚数って・・・これまでに舞妓さんをそれだけ呼ばれたということですよね、社長。と思ったぼくは、ボトルを見ながら不躾な気もしたけれど率直な疑問を投げてみた。

「こういうのは、何をどう愉しむものなんですか」

社長は、にこやかにこう言われた。

「舞妓ちゃんや芸妓ちゃんを育ててる感じがええんやわ」

わからん。正直、ぼくにはその感覚がわからなかった。
「たまごっちみたいなものですか」という言葉が喉まででかかったけれど、飲み込んだ。

高尚な道楽なんだろうなぁ。

あのときの社長の年齢に近づけば、ぼくにもわかるようになるのかなぁと思っていたけれど、いまでもやはりあの感覚はわからない。
お茶屋さんという大人の世界は、単に歳を重ねただけのぼくには一生わかりそうにないのである。

つづく

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