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公営マッチングアプリに対して思うこと

ばーーーーーっかじゃないの。



東京都がマッチングシステムを提供している。


こんなの。


これがカップルの成立や結婚、ひいては少子化対策を促すと考えているのだろうか。



ばっかじゃないの、と思う。


行政の人間だけでなく、ほとんどの人がなぜ少子化が進んでいるのか理解できてない。


結婚が昔よりも難化しているのは、


出会うことが難しくなったからとか、


出会いの機会が少ないからではない。


ましてや安全に出会えないからとか、


そんなものは甚だどうでもいい。



本質は別にある。



恋愛の本質を見失ってしまった現代人


恋愛と結婚をどのような軸で考えるかはたくさんの見方がある。


でも、その本質をずばり言い当てるなら、恋愛も結婚も、


人間と人間の心が結びつく


ということが極めて大切だと言える。



心の深くが最も深く結びつく関係というのは、



何かがあった時にいの一番に駆けつけてくれたりだとか、



どんなになっても最後まで見捨てないでいてくれることだったり、



相手の人生に丁寧に向き合っていく覚悟、



相手を尊重し、思いやり、知ろうとし、



そして何かがあった時に対応できるように準備をするという責任を持ち、


そうやって愛を持って相手の人生に向き合うこと、



相手の健やかな心身と豊かな未来を願って応援することが、



誰かと一緒になるということの本質なんだ。



マッチングアプリというのは、そういう本質を抜きにして、極めて資本主義的な構造を持った




「現代の歪な恋愛方式」なんだ。



マッチングアプリを礼賛できない理由


スラヴォイジジェクが述べているように、マッチングアプリというのは極めて資本主義的なプロセスを要する。


商品として並べられた我々は、お互いを、


プロフィールページにある商品パッケージ…



つまり写真や、年齢、身長体重、年収、学歴、趣味などによって比較し、



カタログ的な選び方でマッチング相手を吟味する。



自分の人間性や文化を見てもらうにはまずマッチすることが重要で、



そのために足切りを食らわないようにする些末なアレコレに必死になる。



そのような手法を利用することが悪いと言っているのではない。



それに気がつかないで当たり前でいることが悪いと言っているのだ。


じゃあなぜそのようなサービスを提供しているかといえば、



僕はこのマッチングアプリというものを最初に設計した人は今まで僕が述べたことは重々承知なんだと思っていて、



そのうえで、ビジネスとして成立しなければいけないから、そのような形に収斂しているんだと考えている。



つまるところ、基本的にサービスの提供者も利用者も、


「そうするしかない」中で抗わなければいけないということなんだと考えていて、



だから基本的に悪者はいないのだ。




だが官公庁、てめーはダメだ


東京都がこれをやるのは意味がちげえ。



社会をそのように推進していくという意図が込められるからだ。


税金で仕組んだサービスであれば尚更、外注と癒着しているならもってのほかである。



公は常に最大利益と最大幸福を考えなければならない。



少なくともベンサムの幸福論のような、経済利益と幸福の最大化が正の相関を成す分野の話ではないのだから、



その社会観が本質から大きく外れてしまう選択をとり続けてしまうことが、今の日本のおとなたちの愚かなところなんじゃないかなあ、と



憂うてしかたないのである。



そんなことをうるさく言いながら、


しかしマチアプの便利さに勝てずに新しい素敵な人を見つけたりしているのだった。(笑)

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