えびちゃん

大工さんしながらブログ書いてます。 主に心のこと、社会学と人文学強め。 だいたいいつも…

えびちゃん

大工さんしながらブログ書いてます。 主に心のこと、社会学と人文学強め。 だいたいいつも病気だと思ってます。 病気だけど元気にやってます😀 好きな学者はエーリッヒフロム、スラヴォイジジェクです。

最近の記事

気持ちで負けるな

年齢を感じる。 でも、実際の体力的に限界が来ることが多いというより、 盲目的に突撃できた若い頃に比べて、体の反応や色々なものに気がつくようになったという感じがしている。 自転車で坂道を漕ぐ時に似ているんだが、 そういう時に自分がこれを乗り越えるんだと強い気持ちを持つか、 休みたいなあと思うかで、使える体力は何倍にも変わる。 そういうことは年齢があまり関係ないと思うし、 気持ちで負けないようにしていくことを、大事なことじゃないかと思った。

    • 実践としての『愛するということ』#1

      エーリッヒフロムの名著『愛するということ』を読み解く企画です。 この本が世に浸透しないのは、 一見すると平易な語彙で書かれていますが、 筆者が何について述べているのか本当のところよくわからない部分が多い、ということ そして、理論はすばらしいけれど、実践するとしたらどうするべきなのかを考えるのが難しい という点にあると思います。 そのため、この本を頭から読み進めながら、 フロムが本当に言いたいことを僕なりの視点でわかりやすく噛み砕くとともに、 実践にあたってどう

      • エーリッヒフロムの魅力

        愛とは何かを考え続けることを僕に義務付けた存在であり、 いつでも暖かく知恵を与えてくれる本を残してくれた偉大な賢者 エーリッヒフロムという人 フロムの名前を聞いたことがある人が持っているフロムへのイメージは概ね三通りだと思う。 小難しいベストセラーを書いた人、 愛についての心理学の人、 そして予言めいた洞察力を持った偉大な社会学者… 僕にとってフロムというのは、どれだけ自分が頑張っても手に入れることのできなかった、愛着・人格・心の安全基地の問題について 一筋の光

        • コテンラジオ番外編#105を聞いて

          少しモヤったので思ったことを書く 僕にとってのコテンラジオ コテンラジオを長らく聞いている。 僕がポッドキャストを知ったのはゆる言語学ラジオからであったから、 コテンラジオはゆる言から遡って知った。 歴史キュレーション番組としているが、新たな定説や客観的事実を考察するというよりも、 あくまで歴史に対する情報をコテン風味に素材として提供して、 それをどのように捉えたり、そこから何を学ぶかということを、 各々考えたり感じ取ったりしてもらう、という番組だと感じている。

        気持ちで負けるな

          体のサインに素直になれない僕ら

          疲れていても休まない、腹が減っても飯を食わない、そんな生活 疲れていることに気がついた たまさか予定してた時間に家に帰れないことで、昨日ブログをアップロード出来ずに、 連続更新が18日程度で止まってしまった。 それとは全く関係ないが、どうやら疲れているというサインが体から出ており、思案している。 無意識に現れるADHD忘れ物を取りに帰って、忘れ物を取りに帰ったことを忘れて朗らかにまた家を出る、 ということをたまにやらかす程度に注意力散漫な幼少期から、 おおよそ週3

          体のサインに素直になれない僕ら

          新しい試み

          ラカンについて噛み砕くのは一旦置いといて、エーリッヒフロムについて細かく噛み砕いていきたい。 と同時に、身近な悩みについて一つ一つ考えるヒントになるようなことを毎日更新していけたらと思う。 そう、一日にふた記事ずつあげるという試みだ。 やり方を考えなければ、、、 頑張ります💪

          新しい試み

          ドカタという言葉から見る根深い勘違い

          ドカタという言葉で現場職をバカにしてきた日本人に根付く価値観を考える。 愚かな選民意識底辺職、ドカタ、などという時、その意識は二重に愚かだ、ということを考えていた。 まず、人間が持っている固有の能力というのは本当に複雑で、 例えば絵が上手い人、言語化が上手い人、 コミュニケーション能力が高い人、身体能力が高い人、 他にもたくさんの細かい能力(鼻毛を抜くのが上手いとか)が、それぞれ等しい価値として、 我々の体に備わっている。 ちなみに僕は太るのと痩せるのが得意だ。

          ドカタという言葉から見る根深い勘違い

          エネルギーをどこに向けるかという話

          疲れ果てて眠る毎日を、自ら作り出す。 依存からの脱却へ恋人に会いに行くことが好きだ。 忙しいのに会いに来た、とか、疲れを無視して女を抱く、みたいな逸脱性に強い憧れを持っていて、それがエネルギッシュさの指標であるかのように捉えてきた。 だが、どうもそうではないらしいと感じることもある。 異性に対して依存的だという捉え方があるのである。 なるほどそうだ、中国の皇帝のような男は、女に依存的でないとあそこまで夫人を抱えれまい。 長い性生活の中で、女と会うということは女を抱

          エネルギーをどこに向けるかという話

          危機感を持てという無意味な警告

          宿題をやれと言えばみんながやってくれるという勘違いの末路 危機感はどのようにして生まれるか具体的な実害が自分に迫った時である。 この、自分に迫っているということが大事で、 ようするにこれは、自分の生活だったり、存在意義に関わるということである。 危機感を持てない人、というのがいるとすれば、 その当人は今の生活のバランスで安定しているということだから、 そこから無理やり差し迫った危機感など得られようはずもない。 彼らに対して危機感を持てよメッセージするのはオオカミ

          危機感を持てという無意味な警告

          弱さを認めるということ

          セルフハンディキャップの果てに。 極端に物覚えが悪い後輩M君 こんな後輩がいる。 息子の学費を稼ぐために日本にやってきたM君。 彼は、元来温厚な性格で、共感力が高い一方で、ラッシュをかけられるとテンパりやすい、 わりとのんびりした人間だ。 本当は母国インドネシアでのんびり暮らして生きたかったが、日本人の妻の嘆願もあり、 息子を日本の大学に進学させるべく、お金を稼ぎにやってきた。 本人はあまり乗り気ではなくて、しかしまぁもうビザも発行して日本に来てしまったのだから

          弱さを認めるということ

          怒らなくなった若者たちは本当に賢いのか

          最近の人は怒らなくなった。 しかし、怒らないことが実害をこうむっているのではないかというシーンに、最近よく出くわす。 怒らない世代世の中全体に流行の潮流を作り出すことが難しくなった時代だ。 世代という言葉で一括りにすることの妥当性に疑問がある人も多いだろう。 しかし、生きているとどうも世代差というのが割とあるような気がしていて、 特に今年34歳の代であるが、 飲み会、パワハラ、ジェンダー、その他色々なことに対して、自分が世代感覚の過渡期にいるような感覚を覚えることが

          怒らなくなった若者たちは本当に賢いのか

          愛してる、は愛してない

          言葉というのは時にものすごく強い力を持っていて、そして時に無意味だ 愛を伝える、ということ誰かに愛を伝えるには、どうしたら良いだろうか? 愛していると言うことが一番簡単だろう。 あなたといると温かい気持ちになるとか、ポジティブな感情を伝えることも有効だ。 温かいお茶を淹れてもらって、渡された湯呑みを受け取ろうとして手が触れ合ってしまい、はっと顔を上げると目が合う、、、 とかは少し文学的すぎるか。 いずれにせよ、愛が言葉尻だけの問題ではなく、相手の人生に向き合おうと

          愛してる、は愛してない

          挑戦という言葉の無意味さ

          「挑戦するんだ」という気持ちで挑戦していないことに、ポジティブに気がついた。 僕は今良いペースで挑戦できている。2024年、色々なことが好転し続けている。 今まで溜まっていた負債を清算し、自分のやりたいことをやりたいようにやるために、 一歩一歩進んでいると言える。 今も、新しくやろうと思っていることの実現に向けてこれをして、あれをしてと行動できているが、 これは人から見たらすごい勢いで挑戦している、みたいに見えるのかもしれないとふと思った。 自分では挑戦していると

          挑戦という言葉の無意味さ

          現代は最高の時代なのかもしれない

          科学はこれ以上ないほど面白い時代に突入しているのではないか、という話。 教養の深さたるや 精神分析について知見が増えてくると、あることに気が付く。 例えば、一つの事象を説明するために、数学×言語学×大脳生理学、とか 文化人類学×経済学×発達心理学、とか 文系理系の区分や、自然科学人文科学の垣根を越えて、 たくさんの学問から論を引っ張ってきて、新しい論の補助線にする、ということがよく見られるのだ。 そうやって論を引っ張ってこれる研究者たちの教養の深さたるや、という

          現代は最高の時代なのかもしれない

          続・ラカンへの道のりは遠かった

          70ページくらいまでは読んだがこれは、、、 言語としては理解できる 講談社メチエ文庫『ラカンの哲学』を読んでいる。 例えばヘーゲルのアウフヘーベンとか、ソシュールの生成文法のような概念は、完璧ではないにせよ一般的な意味で誤謬なく理解できていると思っていて、 そういう意味で、ラカンがどのような文献を考察の材料にしていったのかということは理解できる。 言語としては。 だが、出てくる言語が包含している意味がわからなかったり、文献に対しての知識がないがために、 筆者の論

          続・ラカンへの道のりは遠かった

          言いたいことを言えない

          嫌われたくないというのもまた恋だなあ

          言いたいことを言えない