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ビリー・ジョエルのマンハッタン / "Stranger" Billy Joel

 ビリー・ジョエルが日本で知られるようになったのは『ストレンジャー』の口笛からだろうと思う。
 僕はまだ中学生だった。
 勉強などせずに本を読み、ラジオを聴くのが日課で、深夜一歩手前の時間帯の番組で『ストレンジャー』が流れてきたのがビリー・ジョエルとの最初の邂逅だった。
 その日に何があったのかはまったく記憶にないのだけれど、ラジオからイントロの口笛が聞こえてきた瞬間、頭の中に街灯の乏しい夜中の裏町を歩いているような印象が浮かんだ。そのフラッシュみたいなイメージは今もよく覚えている。

 ラジオのパーソナリティは「アメリカで今大注目の新人歌手で、チャートもすごい勢いで上がっている」と紹介をしていた。
 チャートというのはビルボードのことなのだろうが、テレビで伝えられる政治絡みのニュースを除けば、アメリカを「でかい国」ぐらいにしかイメージできていなかった年頃である。「アメリカで注目される」ということの凄さなどわかるはずもなかった。

 やがて「ストレンジャー」はチャートのトップに輝き、日本のラジオでも1日に何度も流されるようになる。
 その頃にはイントロの口笛も聞き飽きてしまって、最初に耳にしたときに浮かんだあまりにはっきりとしたイメージも薄れてしまったのだった。

 初めてニューヨークに行ったのは1990年代の中頃のことだ。
 目的はジョン・レノンが撃たれた場所をこの目で見ること、そして「マンハッタンでビリー・ジョエルはどう聴こえるか」を体感することだった。
 ずいぶんと治安も良くなっていた頃で、まだロウアー・マンハッタンにはワールド・トレードセンターのツインタワーが立っていた。日中から夜半にかけて独りで歩いていても、特に危ない目に遭うこともなく(たぶん僕が貧乏くさい格好をしていたからだろう)、僕はMDにたっぷりと突っ込んだニューヨーク出身のミュージシャンの曲を聴きながらマンハッタンのあっちこっちを歩き回ったのだった。
 その結果、はっきりとわかったのは、ビリー・ジョエルがマンハッタンに似合うのではなく、彼自身も、彼の作る音楽も、この街の一部なんだなということだった。
 "Stranger"が似合う場所、"Big Shot"が似合う場所、それぞれがちゃんと違って、ちゃんとしっくり来る場所がマンハッタンにはあった。少なくとも僕にはそう感じた。

 『Stranger』のアルバムジャケットの右側にボクシング・グローブが下がっているのは、ビリー・ジョエルが元アマチュアボクサーで、鼻を折られてボクシングをやめたなんていう話も、当時のラジオ・パーソナリティはよく紹介していた。
 陸上の増田明美みたいな端々のエピソード紹介が多かったのは、ネットもなく、情報はラジオか雑誌からしか知りようがなかった時代の現れなのかもしれない。

 ずいぶん時間が経ってから、ふとアルバム『Stranger』の参加ミュージシャンを調べて、そこにパティ・オースティンの名前があって、ずいぶんと驚いた。
 パティ・オースティンはハーレム出身のリズム&ブルースシンガーで、年齢を調べてみたらビリー・ジョエルと生まれ年が1歳しか違わない。
 サウス・ブロンクス出身のビリー・ジョエルとは「隣町どうし」ぐらいの距離だ。ずっと面識があって、二人の間で「今度のアルバムでコーラスやってよ」みたいな会話があったんだとしたらとても楽しい。
 狭いマンハッタンなら、そんなことが起きてもまったく不思議じゃないなと、妄想は広がるのだった。

(追記)
アルバムとしては『Stranger』の前作の『ニューヨーク物語(原題: Turnstiles)』の方が、僕はずっと好きで、いまでもよく聴く。
未来を舞台にしたアルバムの最後の曲『Miami 2017』で歌われた2017年がとっくに過去のものになっているという時代の流れの早さはもはや恐怖でしかない。

この映像はヤンキースタジアムでのライブのものだが、日本でよく目にする「地元贔屓」と何かがちょっとだけ違う感じがする。「おらが地元の代表」ってより同列の仲間感、隣のお兄ちゃん感とでもいうか。

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