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なんだか分からないもの

昨晩から唐突に物語の切れっ端のようなことを書き始めたのには原因がある。
吉田篤弘が昨年出した『ぐっどいゔにんぐ』のせいだ。

吉田氏は小説家であり、クラフト・エヴィング商會のデザイナーでもある。彼らのデザインする書籍は、単に物語を読むものだけにとどまらず、書籍の構造も楽しむ仕掛けが施されていて、新刊でありながらどこか古書の趣を持つ。
『ぐっどいゔにんぐ』は吉田氏本人が子供の頃からやっていた自作の小さなノートに「なんだかわからないもの」を書いて作った「本」に近いものだという。
吉田氏は僕より2歳年上の同世代。同じようなものを見聞きし、同じような時代の空気の中で育ってきたことになる。
彼我の差を考えたところで仕方のないことだが、僕も子供の頃から吉田氏と同じようなことをやっていた。
残ってしまったノートの余白を切り離してはガムテープやセロハンテープで繋いで、分厚い「残り物ノート」を作り、日々、「なんだかよくわからない」ものを書きつけていた。
頭の中に留めたままでは在庫過多で破裂しそうなあれこれを、倉庫に仮置きするように、片っ端から書いていたのだ。

『ぐっどいゔにんぐ』に書かれている短い文章や物語の破片のようなものは、かつての自分がやっていたことを思い出すには十分すぎるほどで、同時にその時の楽しさも蘇ったのだった。

いまはノートを作らずとも、こんなに便利なものがある。
だったら思いついたヘンテコなことをまた書き連ねておくのも楽しいのではないかと思ったわけだ(そしてそれはやはり、かつてと同じように楽しいことなのであった)。

ちなみに僕が作った分厚い残り物ノートにはそれぞれ『放浪する琺瑯鍋』、『平面凹面鏡』、『偏西風チキンカツ』、『次の日曜日におきなかったこと』というタイトルがつけられていた。
母さん、あのノートはどこへ行ったんでしょうね。


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