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店主、毛糸屋さんのいない街に着く


ごとんごとん

ごとんごとん


列車は

“毛糸屋さんのいない街” という駅に

さしかかりました


もう随分と前のこと

ただただその名前に惹かれて

ホームに降り立ったことがあります


トーザ・カロットでもよく知られている

ゴロンゴロンしたみかんの樹が

駅のホームを埋め尽くすように

並んでいたのを

猫そっくりの毛糸屋の店主は

懐かしく思い出しました



2本足ですっくと立つことを

選んだとは言え

そこは猫のはしくれ

毛を逆立てるほどではなくても

年中みかんの香りが満ちている土地では

少々暮らしにくそうです


トーザ・カロットの岬にかすかに香るぐらいが

心地よかったので

岬に腰を落ち着けたのでした


“毛糸屋さんのいない街”駅は

少しばかり様子が変わっていました


みかんの樹は

もう少し日当たりの良いところに移され

駅には大きな樹が1本だけ残されたのです


日照りの日はほっとできるように

雨降りの時はやわらかな音を楽しめるように

風の強い日は勇気づけてくれるように

ささやかな願いがこめられていました


さて

毛糸屋さんがいないので

毛糸玉を扱っている人も猫もいないのですが

毛糸になることを夢見る花や音霊が

この街にはあふれているのです


自分のためだけに

この駅に降りるのは初めて

猫そっくりの毛糸屋の店主は

瞳が少しだけまあるくなりました