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後戻りができる頃【短編小説】2300文字

「ケーキ屋さんになりたい。」
これは園児でも小学生でも中学生でも高校生でもない。大学3年生が見つけたこれからの進路。

アパートのドアを開けると青空に入道雲。天気予報では1日晴れだったけれど、折り畳み傘を持って出かける。
大学の同じゼミの子たちはインターンシップに参加している。
金融系や製造系、IT系が人気のよう。
私はデパ地下のアルバイトに出かける。
アルバイト先『やきとり政吉』はその名の通り焼き鳥屋さん。
焼きあがった焼き鳥をお店の前に並べて、接客するのが私の仕事。
「ねぎま4本、もも4本、せせり4本、三角4本、つくね2本、レバー2本・・・2,944円です。」
電卓は使わない。焼き鳥の価格は覚えている。頭の中で計算して先にお客さんに支払額を伝える。うちの店はデパ地下の割に安いため、支払額によっては追加で購入してくれるから。
小さい頃から数字が好きだった。それが、算数という計算して正確な答えを出すことから数学という答えを論理的に考えるようになっても、それは得意教科だった。その延長で大学は理学部に入った。
『やきとり政吉』でのバイトは単に焼き鳥が好きだったから。

デパ地下にはたくさんのお店がある。バイトが開店からお昼のピーク後まで入るときは、帰りに他のお店で1つだけ買って帰る。
1つだけなのは、デパ地下商品はおいしいし、いいものだけど、高いから。
私は時間はあるけどお金のない大学生。
お気に入りはケーキ店群。疲れた身体に甘いもの。
ショーケースにはきれいなケーキたち。
ツヤツヤした黒茶色のドーム型に星屑が散りばめられている。
「これに赤紫の線が虹みたいにかかっていたらなお素敵かも。」
箱型に真っ白のクリームで繊細な模様が描かれている。
「苺だけじゃなくて他のフルーツも盛られてたら宝箱って感じ。」
胡桃色のクリームが山のようにぐるぐると渦巻いている。
「頂上にもドンと栗を置いてナパージュで仕上げたらインパクト出るかも。」
そんなことを考えながらウロウロして、季節の限定品を買っていく。

デパ地下のBGMで鈴の音がよく聞こえるようになり、どのお店も緑と赤で彩られるようになった。『やきとり政吉』で私は赤い帽子を被って、相変わらず接客をしている。
夏にインターンシップに参加していなかった子は、冬のインターンシップに参加するようだ。
私はみんなが申し込みをしている間、相変わらずアルバイトに励み、デパ地下のケーキについて考えていた。
「ここでケーキを買っていく人は何の目的で買っていくんだろ。質も味もいいけど小さくて高いよ。お土産?特別な日だから?セレブ?」
そして思いついてしまった。
「お土産でもなく特別な日でもなくセレブでもない人が、自分のために家族のためにいつでも楽しめる、ブランド名はないけどクオリティの高いケーキがあってもいいんじゃない?」
それからは素材を調査し、原価計算をして、300円~400円代でどれぐらいのケーキが作れるかを考えた。品質もサイズも見た目も大事にしたい。
できるかも!できる!あとは作る技術があれば。
お菓子を作ることは好きだ。でも所詮素人。でも自分の手でワクワクするものを生み出したい。


「お母さん、私、大学卒業したら製菓学校に行きたいって思ってる。」
旦那というサンタからプレゼントをもらわなくなったのは遠い昔。
楓が産まれる前までだったかしら。
それからは私がサンタになって楓を喜ばせようと必死。
今でもこの聖なる夜は2人で食事して、楓とプレゼント交換をしている。
去年はこの食事会を23日にしようという申し出があったから今年はどうする?って聞いたら、今年は24日のままでいい、おもしろい話があるって。
「製菓学校に行ってどうするの?」
「何年か修行してから独立して、ケーキ屋さんになりたいって思ってる。」
この話を聞いたとき、嬉しかったわ。
子供の頃から、将来の夢は?って聞いてもいつも言い渋っていたから。
得意なこと、好きなことはあっても、楓が本当にやりたいことはわからなかったものね。
「ごめんなさい。大学行かせてもらったのに。高校卒業後に製菓学校に行けばよかった。」
「謝らなくていいのよ。大学生も経験できたんだからよかったじゃない。ちょっとだけ経験値増やすルートを行っただけ。」
「そんな経験値積んでないし。学費は・・・アルバイトするから。」
ちょっとおばあちゃんに相談してみようかしら。


最近は忙しくて生活にハリが出てきたわ。パートにも慣れてきたし、絵画教室でお友達もできたし。お庭の草花たちもお目覚めね。
おじいさんが植えた私と同じ名前の木、ソメイヨシノは蕾が大きくなってきたわ。
「ということなのよ、おばあちゃん。」
「百合、大丈夫よ。多少は援助できるわ。伊達に元華族じゃないからね。」
私は政略結婚でおじいさんと結ばれたけど、大事にしてもらったわ。百合というひとり娘にも恵まれた。子供はいつまでも子供ね。
百合があの人と一緒になりたいって家を出て行って、楓が産まれたわ。
百合が羨ましかった。私もそんな恋がしてみたかったからかしら。
「楓に伝えておいて。若いうちは何度でも後戻りができるからって。応援しているから遊びに来てって。」
「わかったわ。実は私もやりたいことやろうと思って。YouTubeのゲーム実況。っておばあちゃんわかる?こんなおばさんなんだけど、私が若い頃はYouTubeなんてなかったでしょ。今の子が羨ましい。」
まぁ!百合にやりたいことが見つかってよかったわ。
密かに援助はしていたけどいろんな仕事をして、1人でよく楓を育てたわね。
さ、そろそろ待ち合わせの時間だわ。
今日はお友達彼氏と絵画展に遊びデートに行くのよ。

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