食品加工技術としての酵素について語ろう

 こんにちは、旧研究人材のイツキです。

 日頃からXやnoteで分析技術とか商品レビューとかいろいろ語っておりますが、では私の専門の技術領域は何かというと、酵素処理に関する技術になります。これは、社内外に胸を張って言えるレベルでの話。

 というのも、私は19歳の時に酵素に夢を抱き、入る研究室も決めたうえで大学を志し、酵素処理技術で商品を生み出すためにメーカーで就職を決めていたのです。手段から何をやるかを決めるという、コンサルとかには喝破される方法で人生を決めてきました。

 幸いなことにというか、私が入社した会社は当時酵素を活用した商品は少なく、酵素についての注目が薄かったこともあり、色々やりたい放題させていただきました。

 実際、私がこれまでのキャリアで携わった商品・特許・論文・学会発表など、全ての成果に酵素処理技術が関わっています。

 とはいえ、世間的には酵素などまだまだスーパーマイナーなものだということくらい、わたくしもわきまえております。

 そこで本日は、食品加工技術における酵素とは何か、その価値も併せて、ざっくりと語らせていただきたいと思います。

1.酵素とは何か

 以前とあるXのエントリーにブチギレた時にも書いたのですが……

 酵素とは、一言で言えば「タンパク質で出来た触媒」です。
 触媒とは、化学反応を促進する物質です。

 中学校か高校で「ご飯を噛んでいると甘くなるよね。それは唾液の中に含まれている酵素がお米のでんぷんを分解して糖にしているからだよ!」と習った記憶があるのではないでしょうか。
 この例で言うと、でんぷんは糖が連なって出来ていますが、そこを分解する反応を酵素が促進してくれるのですね。

 高校化学では消化のところでアミラーゼやペプシン、トリプシンなどを習うので、酵素を消化酵素と捉えてる人を見かけますが、酵素の働きはそれだけではありません。人間で言えば、体内の化学反応のほとんどは酵素によって進んでいる、と捉えてもらって結構です。

 みんな大好き遺伝子の話も、遺伝子が活性化する→活性化された遺伝子にコードされたアミノ酸が生成される→生成されたアミノ酸が連なって酵素になる→生体反応を調節している、というルートなのです。
 体内ではただ生きているだけで常に何千種といった化学反応が行われ、その化学反応を何千種といった酵素が関わっています。

 そして酵素の最大の特徴は、
①限られた特定の物質に対する化学反応を
②特定の条件下において 
 急速に進める
、というところにあります。①を基質特異性、②を反応特異性といいますが、詳細は割愛します。

 長々と書いてきましたが、一言で言えば、酵素はタンパク質から出来ていて、非常に緻密な条件で化学反応を触媒しているということです。

2.酵素って身近なものなの?

 Yes!
 Yes!!
 Yes!!!

 というのも、皆さんが良くご存知の醤油や味噌といった発酵食品。これらの原料である大豆を発酵させるときや、パン種を発酵させるときなどに微生物が出しているものこそ「酵素」なのです。
 そもそも「発酵の素」だから「酵素」なんですね。

 ただ、発酵の場合は「微生物が色々な複数の酵素を出して様々な化学反応が起こった」ものであり、その再現を微生物なしで行うことは非常に難しいのが特徴です。

 一方で、世の中には「酵素製剤」という、単一・あるいは複数の酵素を精製し製剤にしたものがあります。普通「酵素処理」といったときには、こうした製剤を活用することを指すでしょう。発酵のような複雑さは望めませんが、特定の化学反応を特に進めたい、というときに非常に有用です。

 食品に限らず、酵素は様々な場面で活用されています。私調べによると、野菜酵素とかいう滅びればいいものの他に言われるのが、洗剤ですね。
 30代以上の方の中には、「トップ」という商品のCMを覚えている方もいるのではないでしょうか。すげえ懐かしいCM見つけた。

 洗剤中で油やタンパク汚れを分解する用途でも酵素は用いられています。

3.酵素はどんな使われ方をしてるの?

 食品用途に限っても酵素は色々な使われ方をしています。
 2つほど例を挙げてみましょう。

1) パン

 パンは多分、食品業界で一番酵素使ってると思います。パン生地の伸びを良くしたり、パンを柔らかくしたり、パン生地がミキサーにへばりついたりするのを防いだり、着色を漂白したり……といった、様々な酵素を活用することで、私たちが食べているパンが出来ています。

2) 糖

 製糖メーカーも酵素を大量に使っているカテゴリーでしょう。私たちが普段食べているような糖を作るほか、水あめや果糖、そしてオリゴ糖やサイクロデキストリンといったちょっと変わった糖は、酵素を作用させて作られています。

4.食品加工における酵素処理のメリット

 とはいえ、食品加工の技術は数多くあります。例えば、乳化性を持たせたいなら酵素でなんか処理をしなくても、乳化剤を入れればよいのです。酵素技術なんて使っていない食品もたくさんあります。
 そういった中で、あえて酵素を使うメリットは何でしょうか。

1) 表示に出ない

 これが一番の理由でしょう。酵素は加熱やpHにより「失活」といって、もう反応を触媒する能力を失ってしまう場合がありますが、失活させた酵素に関しては表示が免除されます。

 ですので、この商品が酵素処理されたかされてないかというのが分からないのですね。それは商品開発上、他者に対する非常に大きなアドバンテージになります。酵素処理された自社原料を用いた最終製品、なんかになると、まず他社は追うことが出来ません。

 なぜ免除になるかといえば、一番は「判別不能」だからでしょうね。失活した酵素ってただのタンパク質なので、それが酵素だったかどうかを第三者が判定する方法がないのです。

自分が知っている中で唯一の例外、お肉やわらかの素。表示に「酵素」がありますが、
これは酵素反応を家庭でやらせようという味の素の驚異的な商品。マジかよ。

2) 再現性が困難

 これも他社に対する優位性になります。

 「なんか酵素処理してるっぽい」までわかっても、それをどういう条件で、どんな酵素を使ってやるかというところが、情報漏洩でもしない限り知る由がありません。

 何しろ、タンパク質を分解する酵素だけでも数十種類あるのです。これらを併用する場合もあります。タンパク質を分解すると生じるぺプチドを分解する酵素もあります。そしてその処理条件も多岐にわたります。

 結果、酵素処理によって生み出された商品はほぼほぼノウハウの塊になります。もちろん特許などを出す場合もありますが、酵素処理した生成物の特許は死ぬほど酵素が羅列され「絶対に開示しねーぞバーカ!」という強い意志がうかがえます呪われろ

3) 酵素でしか出来ないことが多い

 上の方で「乳化性を持たせたいなら酵素でなんか処理をしなくても、乳化剤を入れればよい」なんて書きましたが、それでも酵素でしか出来ないことは多いのです。

 例えばチーズ作りなんてのはその筆頭かもしれません。チーズを作るには、そもそも「レンネット」という凝乳酵素が必要になります。また、リパーゼという脂質を分解する酵素で処理をすることで、いわゆるチーズフレーバーを高めることが出来ます。こうしたことは、なかなか物理的な処理で行うことはできません。

 酵素での処理条件さえ決めてしまえば、精度良く他にできない食品の加工が出来ることがメリットと言えるでしょう。

5.食品加工における酵素処理のデメリット

 しかしもちろん、光あるところに闇あり。
 酵素処理のデメリットも非常に多く存在しています。

1) 高い

 値段が高い!!!

 酵素はめちゃ高いです。理由としては、ちょっとで効くのでちょっとしか使わないからです。1トンタンクに並々入っている液体に、わずか数gで効いてしまうのです。恐ろしい。

 その結果、酵素メーカーも非常に高い価格を設定します。
 基本kg単価で万単位みたいな商品ばかりです。2桁もまれによくある。

2) 品位がブレてトラブる

 まぁ、酵素だけじゃなくて色素とか香料とかでもたまにあるけど……。

 酵素は微生物を培養してそこから抽出するものと、天然物から抽出するものがあったりします。微生物を培養するものはそこまで大きなブレはないのですが、天然物から抽出するものの場合、原産国の天候不順とかがあると、別の国の同じ作物から抽出したりするわけです。

 想像に難くないですよね、それ同じもの? って。
 こういうときは、結構やばいです。半々くらいでトラブります。マジで。

 酵素の場合、統一した規格がないので、言い方は悪いですが品位の担保は酵素メーカーが独自に設定した条件になります。そして多くの場合、酵素メーカーが品位を担保しているものとは別の原料を加工メーカーは酵素処理します。

 わかりやすく言うと
酵素メーカー「乳タンパクを1分でこんくらい分解してるからヨシ!」
 加工メーカー「オイィ?全然この肉分解しなくなったんだが???」

 という事態になります。

 こうなると、お互いのメーカーの研究員が品位のすり合わせで鬼のように時間を取られるわけですね。ああ地獄。

3) 工場からめっちゃ嫌われる

 嫌われます。

 工場というのは、基本的にずっと物を作り続けたいのです。原料を投入してからノンストップで加工され、流れるように最終製品がドバドバ出てくるのが理想です。

 それに対して酵素処理。
 研究所からやって来た、なーんかいけ好かないインテリが製法を持ってきて言うのです。
「あ、このタンクに一回貯めて、酵素入れたら4時間反応です」

〇ね。そう思われても仕方ないですね。

 しかもなんか条件がシビアです。50℃±2℃で4時間キープ。なんだこれ。
 30分おきにタンクを覗き、温度が適切かをチェックする必要があります。何をしているんだろう。試験製造の時は常に周りの視線が痛かったです。

 世の中には固定化酵素という便利な連続生産できるアイテムもあったりするのですが、糖業界以外ではあまり聞きません。結果として、酵素処理して出来るアイテムは、付加価値がかなり高くない限り製造することはお勧めしません。生産性悪いのに価値が高くなかったり、安値で販売しているようでは、マジで元が取れないので。

4) 失活工程が必要

 基本的に、酵素処理したあとの製品は、最後に酵素を失活させることが必要になります。

 これは表示という意味でもそうなのですが、それ以上に酵素の活性を残したままにしておくと、さらに反応が進んで予期せぬ品位になってしまう可能性があるからです。

 この失活工程ですが、方法は加熱するかpHを調整するかしかありませんが、食品のpHは基本的に酵素を失活させられるほどの幅がないので、基本的には加熱工程になります。

 そうすると、場合によっては70℃とか80℃とかで数十分保つような工程が必要となり、酵素による影響とは別の、過熱による酸化や退色といった現象が起こる場合が多いです。

 ですので、単に加熱すること自体がアウトな原料に対しては酵素処理はやりにくいという課題があります。

6.終わりに

 いかがでしたでしょうか。
 正直自分の酵素に対する情熱の7%くらいなのですが、もうこの時点で5,000字近いので一旦おしまいにします。

 酵素ってなんか避けられがちな風潮もあって、仕方ないと思う部分もある反面、一番独創的な商品を生み出すこともできる技術だと思っています。もしあまり検討したことのない研究者の方がいらっしゃいましたら、ぜひぜひお試しください。いくらでも質問は受け付けますので。

 リンクは、なぜかフォローいただいている石川伸一先生の著書から(実はお話しさせていただいたこともあります。匿名垢ですみません……)。
 特にトランスグルタミナーゼという結着酵素でくっつけた合体刺身は一見の価値ありです。キレイよ。


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