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料理教室で父親の料理について考えさせられた話

 食品メーカーの開発には、プロのシェフとの接点がある。

 食品メーカーで研究開発に携わっている人間には、栄養士を持つような食品についてみっちり学んできた人間よりも、大学院卒でカップラーメンをすすりながら遺伝子と向き合ってきたような、料理とは無縁の人間が多い。

 そんな彼らは、当然ながら味づくりなど人生でしてきたことがない。
 そんな時に、プロの技を叩き込んでくれるのがシェフだ。食品メーカーは、そういったプロの技術・味づくりを学び、どうやったらお客様が家庭で簡単に再現できるかを追求することを使命としている。

 さて数年前、まだコロナのコの字もなかった頃に、社内イベントの告知が流れた。

「パパのための初心者料理教室」的なタイトルだったと思う。
 会社で顧問をしてくださっているシェフが、家庭料理を教えてくれるのだという。

 僕は研究畑が長く、社内で包丁を握るようなことはほとんどなかった。また、当時は家でもほとんど料理をしていなかった。 しかし、当時離乳食を脱却した上の子に「ぱぱのりょうりおいしい」と言ってもらいたいという気持ちがなかったわけではない。

 そんなよこしまな気持ちで申し込んだのだが、後から聞いたところ、応募は相当殺到していたらしい。
 ただ運良く僕は当選し、イベントに参加することとなった。

 当日。

 エプロンと三角巾を着けて僕は会場に立っていた。さながら調理実習、いや実際調理実習だから良いのかもしれない。40代オーバーのエプロンをつけたオッサンたちの群れの中で、その中で数少ない30代のオッサンとして、僕は開始を待っていた。
 奇妙だったのは、レシピはおろか、何を作るのかも知らされていないことだった。

 たまたま同じテーブルにいた先輩と歓談をしていると開始時間になり、司会とシェフが並んで入ってきた。
 軽い挨拶の後、司会が一冊の雑誌を掲げる。 表紙には黒光りするカッコいいダッチオーブンで焼かれたステーキをフランベした瞬間の写真。そこにデカデカと書かれた「男の料理」の文字。
 おお、と歓声が上がった。

「皆さんは、本日こういう料理を期待しているのかもしれませんが」
 そう言って、司会者は雑誌を下ろした。
「だから皆さんの料理は嫌われるのです」
 歓声は沈黙に変わった。

「こちらを見ていただきましょう」と司会者が示した円グラフをみて、参加者の間に動揺がさらに広がる。
「夫が料理をすることを好ましく思わない奥様は過半数です」

「作った後の調理器具は洗っていますか?」

「主菜だけ作って終わっていませんか?」

「あなたが意気揚々と買ってきて、残ったバルサミコ酢は誰が何に使うのですか?」

 開始3分で観客の心を根こそぎ削り取り、司会者は最後に言う。

「…そんなふうに嫌われないための料理講座です。先生、今日のメニューをお願いします」
「筑前煮とポテトサラダです」
 とても渋かった。

 指導自体はプロの基本テクを随所に加えながらの学びの多いものだったが、それ以上に学びになったのは途中の工程だった。

「レンチンの時じゃがいもをくるんだキッチンペーパーの上でじゃがいもの皮を剥いて、一緒に捨てましょう」
「基本調味料さえあれば、メニューに困らない程度の料理はできます。合わせ調味料は不要です」
「落とし蓋をして煮込んでいる間にまな板と包丁を洗います」

 今思えば基本のキ、以下のレベルなのだが、手を動かしていくうちに誰もが気付いていた。
これが「家庭の」料理なのだと。
 料理は「日常」であって「イベント」ではないということを。

 料理が出来上がる頃、後片付けすべきものはほとんど残っていなかった。
 試食後、鍋と使った食器を洗った後には、使う前と同じキッチンの光景が広がっていた。

「ここにいらっしゃるのは普段料理をされない皆様なので、料理をする時はつい張り切ってしまいがちだと思いますが」
 シェフはこう締めくくった。

「皆さんの奥様にとっては、日常なのです。その日常を大切にして料理をすることが、家族が一番喜んでくれる料理だと思います」

 コロナ後、在宅勤務が増えたこともあって、たまに料理をするようになった。もう数年前の話だが、今でもあの料理講座のことを時々思い出す。 そして、あわよくば甜麺醤に手を出そうとする自分を押さえつけてくれている。

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