女という足枷に縛られた私の生きづらさ
まともじゃない恋愛
20代前半の頃、ろくでもない男たちと付き合っていた。
バイトを掛け持ちして実家暮らしを続けるパチンカスのフリーター。
顔も頭も良いのに男尊女卑の考えが染みついた薬学部の男。
路上教習中にナンパしてくる20歳年上の自動車学校の教官。
妻との離婚をほのめかしながら、不倫関係を迫ってくる会社の同僚。
朝から晩まで人の家でオナニーを繰り返すモラハラストーカー男。
こうして書き出してみると、自分の恋愛遍歴があまりにもひどすぎて笑えてくる。
なぜ、どうしようもない男たちと付き合うのかといえば、彼らに求められたからだ。
浮気だろうが不倫だろうが関係ない。
相手から好意のある素振りを見せられて「付き合おうか」と言われれば、外見に嫌悪感がない限り受け入れた。
毒親に否定され続けたことで自己評価が低く、幼少期から満たされなかった心を、一瞬でも埋めてくれればそれでよかった。
女としての肉体を求められているだけでも構わなかった。
恋愛はただの自己価値の確認手段。だから、問題を抱える相手でも次々と受け入れることができた。
不仲だった親の性行為を何度も目撃してきたせいで、セックス=不快なものだと認識していたのに、嫌悪すればするほど、性的なことに惹かれる自分がいた。そんな自分が一番気持ち悪かった。
心のどこかで、セックスは神聖なものだと信じたかったのかもしれない。
あらゆる男たちに抱かれることで、証明したかった。
不快じゃないセックスがどこかにあるはずだと。いつか、体にアルコールを入れなくても、できる日がくるはずだと。
しかし、期待はいつも裏切られた。
当然だ。まともじゃない男に、まともなセックスができるはずがない。
自分が気持ちよくなることだけが目的で、女から奪うだけの身勝手なセックスはただの暴力。
そんな簡単なことに気づいていなかったわけじゃない。
私は期待と現実のギャップに苦しめられながらも、どこか希望を捨てられず、自傷しながら見て見ぬふりをし続けたのだ。
順を踏んで交際を進め、デート代はすべて払うかワリカンにしてくれ、人の家に転がり込んだりしない男や、女が生理の時は性欲を我慢して、毎回きちんと避妊し、将来を考えてくれるようなまともな男とは、怖くてうまく付き合えなかった。
まともな男との恋愛は、幸せだと感じるたびにいつも怖くなる。
私は大事にされるような女じゃない。育ちが悪く、淫乱で、嫉妬に狂う本性がいつか露見し、嫌われるんじゃないかと怯えていた。
まともな男と付き合うなら、まともな女にならなきゃいけない。
学校でも職場でも優等生を演じ、自分の二面性に疲れ切っていた。恋愛だけは優等生になれなかった。
親との関係に問題がある男たち
私が付き合った男たちに共通していたのは、親との関係に何かしらの不具合が生じていることだった。
パチンカスのフリーターは、両親が離婚して母子家庭。母は男関係がだらしなく、自由奔放な人だったらしい。
薬学部の男は、父に厳しい教育虐待を受けていたという。
自動車学校の教官は、幼い頃に母が蒸発したせいか、マザコン気質。
モラハラストーカー男は、暴力をふるう父と過保護な母を持ち、両親と絶縁状態。
唯一例外だったのは、不倫関係にあった同僚だけ。彼は、宗教狂いの妻との関係は悪かったが、親との関係は良好だった。
私はその頃、親との関係に何の問題もない人とは、うまく付き合うことができなかった。それは恋愛対象としての「男」に限らず、友人として付き合う「女」に対してもだ。
親との関係が良好な人に対して、何よりも嫉妬の念を抱いていた。
私が一番欲しかった親の愛を手に入れている人を見ると羨ましい。
どれだけ欲しても手に入れられなかったものだから、羨ましさを通り越して、妬んですらいた。
親から真っ当な愛情を受けてきた人は、性根が歪んでいない。誠実で優しくて、精神が安定している人が多い。
私みたいに損得勘定で優しくしていたり、目的があって誠実さをひけらかしているわけじゃない。もちろん、無駄に自傷行為をしたりもしない。
だれにでも光と闇はあるだろうけど、その振り幅がものすごく小さい。だから、私のように二面性を維持して、生きるのに疲れたりしていないのだ。
狡い、と思っていた。生まれた場所が違うだけで、すべてが変わる不平等さに憤りを感じる。
仕方がない、これは運命だと親ガチャを呪うのをやめたくても、親に愛されまっすぐ育った人を見ると、劣等感に苛まれてしまう。
だから、深く付き合わないできた。住む世界が違うんだ、交わることはないと壁を作ってきた。
自分と境遇が似た人とばかり付き合うことで、精神を保とうとしていた。
嫉妬は醜い。嫉妬の感情を抱けば抱くほど、自分が惨めで嫌な奴になる。
手に入れられなかったものを、いつまでも捨てられなかった。
親なんていなくても生きていける歳になっていたのに、親に愛されなかった記憶に縛り付けられていた。親と絶縁しても心が割り切れなかった。
いや、自分で自分を縛り付けていたのだ。自ら割り切らなかったのだ。
親、兄弟、地元――あらゆるものを捨ててきたはずなのに、捨てたものたちの亡霊にしがみついて、環境を変えなかったのは私自身だ。
私は、自分と同じく、親との関係に問題を抱える男たちに同情していた。
同情することで、男たちのわがままや性的な要求に応え、救ったような気でいた。彼らを受け入れることで、自分の存在意義を確認していたのかもしれない。
私はあなたの理解者だと大手を広げ、偽の包容力で羽交い締めにし、私だけを見るように仕向けた。
こんなこと、私にしか言えないでしょう。こんなこと、私の他に誰もしてくれないでしょう。
なんでもしてあげるから私を見て愛してと、アルコールで狂わせた頭と、乱れた身体を武器にして奪っていた。
ギバーのふりをしてテイカーに成り下がっていたのだ。
ストーカー男との別れ
私が最後に付き合ったのは、冒頭で触れた「オナニーを繰り返すモラハラストーカー男」だ。
彼は同じ会社の別エリアの先輩だった。
自分が気に入った人には愛情をかけ、気に入らない奴はとことん罵倒する、独善的な考えを持っていることで有名だった。
私は女の割に仕事ができると認められ、彼に気に入られていた。
しかし、恋人関係になってから、彼の気に障ることを少しでもすると激高される。
暴力などはなかったが、言葉で執拗に責め立てたあとで必ず優しい言葉をかけられた。DV男が女を洗脳するパターンだ。
当時の私は、彼の生い立ちに由来するものだろうと思って、やはり同情していたのだ。
彼の苦しみは私しか理解できないと思い込んでいた。
そして、彼と共依存のような関係になっていった。
付き合いが1年を経過する頃には、彼は一人暮らしの私の部屋に入り浸っていた。
私の不在時にオナニーをしながら、メールでその実況中継をしてくるようになると、さすがの私も嫌気が差し、別れを切り出した。
彼は、別れ話に納得しなかった。
他に男ができたんだろうと言って、私のスマホを2階の窓から捨てたり、私を尾行するようになった。
別れにも全く応じず合鍵を返してくれないので、大家さんに言って鍵を交換してもらった。
仕事は軌道に乗っていたので、どうしても辞めたくなかった。
彼は、自宅近くの公園で朝まで待ち続けたり、1日に100件近いメールや電話を寄越すようになった。
大家さんに言われた通り警察に相談することも考えたが、ひとまず警察の前に会社に相談することにした。
その相談に乗ってくれたのが、当時上司だった元夫だ。
夫との出会い
夫は、できれば事を大袈裟にしたくないという私の望みを聞き、彼との間に割って入った。
彼は、自分より立場が上の夫には頭が上がらなかったようだ。
夫の説得のおかげもあり、数か月かかって彼と別れることができた。
これがきっかけで、ろくでもない男との恋愛に懲りた私は、今までとは真逆のタイプの男性を好きになろうと決めた。
親との関係が悪くなくて、他に付き合っている女や妻子がいない、借金もない、ギャンブルもしない、正社員で仕事をしていて、清潔感があって、感情的じゃない、男がどうとか女がどうとかは言わない、そんな夫を好きになった。
夫は、上司として私を助けただけで、そこには一切の恋愛感情がなかった。
私が半ば押し切って交際を始めたようなものだ。
そんなことは初めてだった。
この人なら、私は狂わずにいられるかもしれないと思ったのだ。
夫はセックスも淡泊だった。それが何よりの決め手だった。もう、セックスで愛情を測ったりしなくていい。浮気される心配も少ない。
私を女としてではなく、パートナーとしていつも尊重してくれた。私がどれだけ感情的になっても、理性を崩さずに話を聞いてくれた。
誰かと比べたり、否定することは一切せず、どんな私でも許してくれる。
老夫婦みたいだな、と倦怠期には迷ったこともあったが、最終的に素の私を預けられるのは、この人しかいないと思って結婚した。
この人の子どもなら授かりたいと思った。
離婚するなんて微塵も思っていなかった。
不妊治療が招いたセックスレス
子どもが欲しい、家族を作るなら結婚しようと話し合い、互いに納得をして結婚した。
結婚してすぐ避妊をやめ、基礎体温を測り、妊娠率が高い日を狙って性交をしたが、なかなか結果が出ない。
婦人科に相談し、タイミング法を試みたが、半年経っても妊娠しない。
私も夫も検査をすることになり、夫が乏精子症・精子無力症だと判明し、不妊治療クリニックを紹介された。
まさか、自分が不妊治療をするなどとは思ってもみなかった。
不妊治療は想像以上につらく、私の心と体を蝕んでいった。それでも「母親になりたい」一心で、私は試練を耐え抜いていった。
自然妊娠の可能性は少ないと分かっても、万一の奇跡に賭けて、排卵日前後に子作りをすると決めていた。しかし、不妊治療を始めたら夫がED(勃起不全)になってしまった。
自分が種なしだと知って自信をなくしたのだと思う。
クリニックで指定された日に採精すらできないことが何度もあった。
夫の精子がないと、何も進まない。
食事や睡眠を整えたり、病院の予約に合わせて仕事の時間を調整したり、排卵を誘発するために毎日注射を打ったりと、体に問題がない私の方が負担が大きかった。
いたって健康なのに、病院に行き治療を受ける矛盾に違和感があった。
私が大変な思いをしているのに、夫はろくに精子すら出せない。やめると言ったタバコもやめないし、処方された漢方もきちんと飲んでくれない。
初めのうちは、無理せずやっていこうと励まし合っていたのに、治療費がかさんでいくと焦りが出た。
毎月生理が来るたびに、自分が妊娠できない哀しさと、たいして努力もしない夫への怒りに見舞われた。
それでも、1年半に渡る治療の甲斐があって妊娠。
妊娠したことは素直に嬉しかったが、妊娠のために形式的なセックスをする必要がなくなったことにも安堵した。
毎週、クリニックの先生の前で股を広げる必要もない。
私の膣は何かを入れるためじゃなく、子どもを産み出すための役割を得た。
夫に抱かれなくても、夫がEDでも、何の問題もない。
すごく気が楽になったのを覚えている。夫もきっとそうだったと思う。
私たちは涙を流して喜んだ。
――でも。
子供が産まれ、母となった私を襲ったのは女であることへの執着だった。
女であることの呪縛
夫は、私が母になってから、一切のスキンシップをしなくなった。
セックスレスになろうとも、ハグやキスは親愛の証のようにしていたのに、それすらなくなった。
産後ボロボロになった身体が、だんだんと元に戻り始めるのと同時に、私は性欲が復活してしまったのだ。
夫は、私が求めるとさりげなく避けるようになった。
「女として見られなくなったんでしょう」と指摘すると、そんなことはないと否定される。
あまりにもしつこい私に対して、「セックスすれば満足?それが愛してるってことになるの?」と珍しく感情的になった。
持て余している性欲を、どうしたらいいか分からなかった。
母として生きると決めたのに、私はまだ確実に女であり、妻として夫に求められないことに悲観するようになった。夫の、セックスに対して淡白なところが決め手になったはずなのに。
そこから徐々に夫婦仲がぎくしゃくしていった。
私は夫の無関心に対する憎悪を抱きながら、モラハラ妻へと変貌した。
夫の言動にいちいち反発し、私の言うことを聞けと言わんばかりに追い詰めた。彼の前ではもう女である必要はなく、妻そして娘の母として舵を振り切ったのだ。
お互いがお互いを信頼できなくなった。
私たちは数年かけて溝を深めていき、長い口論の最中にとうとう夫が爆発して、離婚することになった。
私は恋愛に向かない。
結婚も子育ても向いていない。
そもそも、女であることが向いていないのだ。
女であるだけで、性の対象として見られることも、逆に見られないことにも、ひどく傷つく。
女であるだけで、母性を備えていないといけない気がしてくる。
妻となり、母としての役を得たら、ただの女には戻れないのだろうか。
女として生きることは、なぜこんなにも難しいのだろう。
この胸も性器もなくなればいい。
女とか男とか、そういうものがない世界で生きられたらいいのに。
親の性行為を見たこと、親に愛されなかったことがきっかけで性も生も拗らせてきた。
生まれ変わったら男になりたい。ずっとそう思ってきて、女として生まれた自分を嫌悪してきた。
ろくでもない男と付き合おうが、その真逆の男と結婚して母となろうが、女という足枷に縛られた私の生きづらさは変わらない。
私は死ぬまで、女の宿命に囚われて生きるしかないのだろうか。
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