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嫌なものは嫌なんだ!

この前学校で、
先生と親子で今学期の振り返りというものがありました。
これ毎学期あるのだけど、次女はこれが嫌い。
普段は楽しんで行っているのだけど
なぜだかこれだけ嫌い。

なんで?と聞くと、緊張するし心地よくないんだと。
いったん行ってみて嫌だったらすぐ帰ってみる?と言うと、やだやだと泣き出した。

そして、般若のような顔しながら放った言葉は

「1%も行きたい気持ちがない!!」

その表現を聞いた瞬間、
実に爽快!と思っちゃった。


嫌なものは嫌なんだ。
自分にとっての「快」と「不快」がハッキリ研ぎ澄まされていて、それを素直に表現できるって、やっぱりあっぱれ。

我慢して無理してやり続けて心身壊した経験がある身からすると、
本人が嫌がることを他人が無理強いして、この精密なセンサーを鈍らせたくないし、表現を抑えつけたくないな、と、心から思う。

”嫌”に正直でいると
自分の本当の音が際立ってくるし、

自分が本気で取り組みたいことに対しての踏ん張りどころと
そうでない場合の他者からの強要とは
全く別物だと思うから。


結局、我が家は子は参加せず、
先生と親とで談笑して帰宅。

次女は案の定ケロッとしている。
で、好きなダンスを踊っている。

椅子に腰をおろし、ちらっと本棚に目をやったら、

2年前に読んだ本「〜大転換期の後〜皇の時代」
がポンと目に入ってきたので、本棚からごそごそ取り出して、パッと開いたところを読んでみた。


祖の時代が終わり、これからの皇(おう)の時代
「大切なことは、自分に正直に生きることです。心の中から出てくる思い通り、本音で生き、「やりたければやればいい、嫌ならやめればいい、何もなくてもいいじゃない、最悪死ぬだけ…」というような気楽な気持ちで泰(おお)らかにいてください」


皇の時代のミニ師匠、さすがです。

ひとりひとりが、
社会通念に合わせた生き方から
堂々と自分の本当の声に従う道をゆけば、
他人をコントロールすることもなく批評することもなく、実は互いの自由を尊重し合って、共に輝き合って、より平和なのかもしれないね。

また時代の変化をぎゅんぎゅん感じるよ。
つくづく、教育というより、
大きい体の人と小さい体の人同士の共育だ。


さ、今日も、行きたいところに行って、会いたい人に連絡して、やりたいことやって、やりたくないことには素直に向き合って、中今を味わい尽くそ!

子どものように、純粋に、そして正直に。

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