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いつかの珈琲があった風景

 パソコンを整理していたら、数年前にちょっとしたエッセイコンテストで、もし入賞したらお小遣い♪という下心で書いて応募したものが出てきた。ここで成仏させてやりたい。 (そう、ここで公開するということは、何にもかすらなかったのだ。)


祖父と暮らしていた二十年程前、祖父はほぼ毎朝コーヒーミルで豆を挽きコーヒーを淹れていた。コーヒー豆がガリガリと削られ、ドリップされていくうちに漂ってくるコーヒーの匂い。

 いまでもブラックコーヒーはてんで飲めないくせに、どこからか匂いがしてくると逃がすまいと深呼吸してしまうのは、この祖父の日課があったからかもしれない。コーヒーの匂いを含んだ空気を肺にたっぷりいれ、鼻から出すとなんとも言えない安堵感を覚える。
 

 幼稚園年長ごろの私にとって祖父のコーヒーミルは魔法の道具のように見えた。黒くてなにの金属で造られていて重く、水車のような大きなハンドルが横にくっ付いてるそれは、現代的な食卓や私たちの様子と違ってずっと昔の外国で使われていたような雰囲気があった。そのミルは毎朝、家で一番権限のある祖父が上座でガリガリと豆を挽くためだけに現れ、それ以外の時間は当時の私の身長の倍はある大きな食器棚の一番上の奥の方にずんと仕舞われていた。家の中で少し違う存在であったこのコーヒーミルは当然、私の遊び道具になった。

 ミルが仕舞われている食器棚の前にあるソファの肘掛けに立ち、食器棚に足をかけ、両手でコーヒーミルを引っ張り出す。なかなかスリルがある遊びである。上部にある豆を入れるための蓋を開けて中を覗くと、豆を挽くための歯車があった。遅く回せば、歯車がゆっくり噛み合う。早く回せば、キュルキュルと音をたてながら歯車がどんどん噛み合っていく。時々、ミルの下部分にある粉末状になった豆が溜まる引き出しを開けてみる。このたわいもない動作は、あの頃の私にとって魔法の粉でも作っているかのようで、そんな自分に浸っていたのだった。

 親元を離れ一人暮らしの今、コーヒーは苦いからと中々飲む機会がない。しかし、時折たっぷりの糖分を加えて飲むのには、コーヒーの匂いにあの頃のワクワクとした幸せを感じていたいからなのだ。


 成人した後に詳細を知ることになるが母にとって父方の祖父との同居は、地獄の境地だったそうだ。しかし、末っ子で物心つく頃に祖父がいた私は、家族の中で祖父にネガティブな印象がない方だ。前述にあるステキな記憶もある。

 会社員の今、砂糖もミルクもばかみたいに入った珈琲は、お昼過ぎのお菓子代わりと眠気覚ましの代物と化している。皆さんには匂いと結びついた安心する記憶はありますか?