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人生100年時代とか長いわ

前に住んでいた西日暮里の、住んだときから気になっていた昔からここで
やっていますという雰囲気の喫茶店に引っ越す直前にやっと行ったとき
思ったこと。

その喫茶店は5~6階建てほどの小さなビルの二階で、私は隅っこの席でチョコの味がついたアイスティを飲みながら駅前をあくせく歩いていく人たちを見ていた。夏休み途中だったはずで、平日の遅い朝にも関わらず様々年代の人が横断歩道を渡っていく。

サラリーマンやら、今しがたエステかの店から出てきた風の品のよさそうなご婦人。自転車に乗った男の子が赤で止まったか思うと、後から母親らしき女性の自転車が彼と並んで信号待ち。待っているうちに知り合いに出会ったみたいでつかの間談笑していたり。
平日休みの私は閑散とした涼しい喫茶からそんな人々を見下ろし、それぞれの生活を妄想してニヤニヤ。(そんな自分を俯瞰で見たらどんな変なやつに見えるんだろうと、わりと本気で見てみたい笑)

道路を渡っていく中にはゆっくりと歩くおじいちゃんおばあちゃんもいて、信号が変わらないうちに渡りきれるか勝手にハラハラ見届けたりして。
もちろん、颯爽と渡っていくスーパーおばあちゃんもいるし、渡り方ひとつでも人それぞれで面白い。みんな、ここで横断歩道を渡るまでにはそれぞれに色んな人生があったんだろうなとやけに規模の大きいことを感じて感慨深くなって、え、ちょっと私、深いことを考えてない??休日を意外と有意義に過ごしているじゃない??と意味なく誇らしい気分になっていた。

そうやって部屋にいてもすることもないから外に出てみたくせに結局、屋内で人と関わらず過ごす私の頭にふと素朴な疑問が浮かんだ。

私がおばあちゃんと呼ばれる日まで生きるなら、あとどれくらい必要なの?


何歳からおばあちゃん?60?それとも70?孫ができればもうおばあちゃん?横断歩道を青のうちに渡れなくなったら?


…あれ、待てよ?私、いわゆるおばあちゃんになるまで生きたいのかな、その時まで楽しく過ごせてるのかと少し不安になった。
電車で席を譲られたり、自分よりずーっと若い店員さんとかに「おばあちゃん、ここ置いておくね。」と声を掛けられたりしてみたい。バスに偶然乗り合わせたおばあちゃん同士ですぐ仲良くなってみたり、老いていくことで失うものが実際になくなった時、自分がどういう気持ちになるのか経験してみたいとは思った。けれど同時に、それを楽しみにあとこれまで生きてきた歳月の倍、もしかしたら3倍も生きなきゃいけなのかと。


なんて遠いの。


私はおばあちゃんという社会的なジョブチェン、役割交代は体験したいけど、それであと何十年か生きてみたい。とかこれから何十年もの年を重ねることが楽しみ!とかそういうわけではいまのところなくて。
(だけど30代なるのは楽しみ、という矛盾 笑)

もし、私がとびきりの美人で才能溢れる役者さんだったら、30代 でおばあさんの役を演じたあの女優さんみたいな経験があったら、それで十分人生に満足してしまうかもしれない。
好きな人と出会う、恋をする、結婚、子育て、誰かの死…。
自分が思う人生の通過儀礼をひと通り体験できてしまったらきっと私は満足してしまうと思うと共に妙な納得があった。腑に落ちたというか。
だって今のところそれらが終わってしまえば、それ以上生きる意味がない。


私、現年齢の何倍生きることになるの?生きなきゃいけないのだろうか。


時々そんな考えに耽ってしまう時がある。くたくたで仕事帰り乗った人の少ない電車内とか、一人乗った夜のバス、楽しくおしゃべりしているおばあちゃん達を見た時。
楽しくても疲れていても思考する隙間がある時、ふとよぎってくる少しだけものものしい思考。そしてあぁなんて先が長いんだと、突然途方に暮れる。
なんて疲れるんだと。

楽しいことも確かにあった、嬉しいことも。ただそれを追い越して悲しかったこと、辛かったこと、寂しいことがよぎってくるのだ。それらをこれから何十年とまた体験しないといけないのだろうか。そうやって悲観するのは、まだ人生と共にするような人と出会っていないから?友達や同志や仲間に出会ってないから?
もし、この先にそんな存在に出会えたとして。
その時まで負った傷はどうしたらいいのだろう。あの時わんわん泣いた私をどう慰めたらいいのだろうか。あの時唇をかみ締めた私は許してくれるのか。よく、恋人に出会った時や子供が生まれた時とかに「これまでの苦労や辛いことが全て報われた。」って言うけど本当にそんな現象起きるのだろうか。
今のとこ、起きる方に賭けられるほど明るさを持っていない。
そんな不安と孤独を感じた。でもその孤独感はなんとなく心地がよくて、心がしん、とひんやりしたそんな夏の日でした。

家族でもなんでも突き詰めれば他人で、人は誰だって孤独なのかもしれない。だけど、その孤独を好きでいたい。
たまにその先天的な孤独に浸りたい、そんな気持ちを持ったおばあちゃんになれたらいい。