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近未来と幸せのあり方

2030年、僕らの生き方は一変している。

僕らはまだその世界を知らない。けど想像はできる。

想像できることは、やがて現実になる。

そう、ジュール・ヴェルヌが残した名言の様に。

人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」

(Tout ce qu'un homme est capable d'imaginer, d'autres hommes seront capables)

by Jules Gabriel Verne

ということで、今回は近未来と幸せについて書きたいと思う。

仮想現実=バーチャルリアリティの世界

僕はここ最近、2つの海外ドラマを観た。

Amazonプライムの「アップロード」、Netflixの「ブラック・ミラー」だ。

双方ともに、共通しているのは近未来を舞台にしていること。

前者「アップロード」では、自我や意識を死ぬ前にクラウド上にアップロードし、死後も仮想空間で生き続けることが可能というストーリーとなっている。

他方、「ブラックミラー」は1話完結の作品になるが、例として第1話を挙げると、主人公が仮想空間の次世代ゲームにのめり込んでしまい、現実世界の自身の生活との葛藤(ジレンマ)を描く物語である。

これは、高城剛が著書「2049 日本がEUに加盟する日 HUMAN3.0の誕生」にて語っていた未来の世界に似ている。

今後の新しい生き方

いま、僕らは通常なー旧石器時代から変わらぬーいわゆるリアルな普通な世界(=現実世界)に生きている。ただ、未来においてはその世界は変わるかもしれない。

今後、僕らはファンタジー映画のひとつである「不思議の国のアリス」の様な未知の世界(※ここでは仮想現実と置き換える)で生活する人が増えることになると思う。というのも、今後数十年スパンで未来を描いていくと、5GやVR,ARが世間のトレンドとなっていくことは想像に容易いからだ。

先に挙げた海外ドラマの様に、VRゴーグルや感触スーツを身に着け仮想空間を体感することにより、そこに居心地の良さを感じ現実世界に戻ってくることが困難になってしまう人々はきっと多くなる。もはや、人生における楽園はハワイやイビザ島だけではなくなるのだ。

そうなると、現実世界において生き甲斐や、自らの人生に意味を見出せていない人がそこに集まっていくことは幸か不幸か進んでゆく。仮想現実(=バーチャルリアリティ)が今後僕らのーいわゆるヒューマン・ビーイングのー生き方を変えていくことは一般的になるかもしれない。

それは幸せか

21世紀において、幸せの在り方は多様化している。

それは、単にお金を稼いで高級品を買うことであったり、人助けをすることであったり、若しくは人生の目的を見つける為に旅に出ることであったり。

どんな幸せのカタチがあるにせよ、僕らはそれを邪魔することはできない。その人の持つ人生観や死生観、幸福論をリスペクトすべきだからだ。自分なりの幸福論があり、その人の人生において幸せを感じることに人生を費やすことは、誰も口出しすることは出来ない。

だから、たとえリアルな現実世界で生きようが生きまいが、仮想現実で過ごす事がその人の人生にとって幸せであるのであれば、それは充実した人生の過ごし方のひとつであると思う。

結局は人生なんて暇つぶしに過ぎないのだ。

あと数年後、僕はバーチャルな空間で人生に生き甲斐を感じているかもしれない。


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