「書きたい」原動力の変化
趣味で小説を書いていて、Kindle小説を出版したり、文学賞に応募したりしています。
小説を書き始めたのは小学6年生からですが、ずいぶん長い間執筆からは遠ざかっていて、小説執筆を再開したのは2年ほど前からでしょうか。
当たり前のことかもしれませんが、こと小説に関しては「書きたい!」という原動力がなければ、完成させるのは難しい。
再び物語を生み出せるようになってからは、純文学のようなものも書いているし、別名義で二次創作小説も書いており、ジャンル問わず書くことを楽しめている気がします。
ここ最近の作品を読み返してみると、自分の「書きたい!」という気持ちの原動力が変化しているのを感じています。
①キャラクターを掘り下げるのが楽しい時期
わたしの小説執筆の再開は、ライターを始めたばかりの頃に、別名義で二次創作小説を書いたことです。
二次創作には、原作のキャラクターや世界設定がすでに存在しているわけですが、すでに作られた世界観を自分なりに掘り下げたり、キャラクターの性格や生い立ちを昇華し、自分の作品として焼き直すという作業です。
これが、思いのほか楽しく、小説を書くということは世界観の構築とキャラクターの分析、魅力ある登場人物を生み出すということがいかに大切か、と勉強になりました。
その後しばらく、ココナラや友人などの依頼で「依頼人を主人公にした小説」を書いたりしていました。
こちらも二次創作と同様に、依頼人のキャラクターや周囲の人々、依頼人がどんなストーリーを求めているのかを分析したり、深堀りして作品を作る、という作業でした。
この時期は、この「キャラクターを掘り下げる」→「物語になる」という工程を楽しんでいました。
②心の中にある機微を捉えた時期
その後、Kindleで小説を発表するために、長い期間をかけていくつかの短編集を書き上げました。
この時期は、人間の心の中の機微を捉え、それを物語として作り上げるという書き方をしていました。
人混みを歩く中でふと感じた孤独、誰かのために料理を作ることの幸せ、美術館という空間での限りない想像、過去の自分との対峙や肉親との死別。
人生の中で、たぶん誰もが一度は経験したことがあるんじゃないか、という一瞬の感情の揺れ、それをキャッチして、物語に膨らませていたのです。
だから、この時期のわたしが書く物語の中にドラマチックな展開は特になく、ただ通り過ぎていく、誰かの人生の一部分に焦点をあてたような作品を描き続けていました。
③「現実にはできないことも、物語ならばできる」という気づき
・キャラクターや世界観を掘り下げて、物語を作る
・一瞬の心の機微から物語を生み出す
これらの時期を経て、最近小説を書くことの原動力は「現実ではままならないことも、物語ならばできる」という理解に発展しました。
これは出産後に「ままならないなぁ……」と感じる場面が多くなったからだと思っています。
子供は可愛いけれど「これをやってみたい!」と思った時に、自由にできるという場面がほとんどなくなってしまったからです。
それに厳しい現実に直面することも多々あって、そんな時「現実は厳しい」と心折られそうになることもありました。
だけど、物語の中では、ままならないこともどうにかして解決できる。
現に、ある文学賞に応募した作品では「自分がこんなことをできたらいいのに」と思ったことを、そのまま小説にしてしまいました。
ここへきて、物語(=フィクション)の原点というか、最大の長所に立ち戻った気がしなくもないですが……。
現実ではできないことを物語ではできる、ということを身を以て理解したことは、自分の創作活動においては結構いい気付きと前進だったのではないか、と思っています。
また、その時々の環境や状況によって「書きたい」という原動力は変化していくでしょう。
だけど、それこそ生もの!という感じがして面白いですよね。
これからも小説を書くことが、自分のライフワークでありますように。
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