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生命活動とは言語活動ではないのか?

世の中には、いろいろ理屈を言うばかりで、実際には何もやらない、という人がいます。

私も他人のことは言えませんが、これについてあらためて考えると「いろいろ理屈を言う」のは「言語活動」で、それに対し「何もやらない」のは「実際の活動」をしない、ということになります。

そしてさらに「実際の活動」と「言語活動」はどう違うのか?と考えていくと、結局は「実際の活動」というのも「言語活動」ではないかと思えるのです。

というのも私は言語というものをなるべく広い意味で捉えてみたいのです。

(上記の動画を元に記事を書いております。アドリブのしゃべりをアレンジしてるので、その違いもお楽しみいただけます。記事は後半から有料(100円)ですが、YouTubeは全編無料で視聴できますので、応援していただけると大変に助かります。)

そしてさらに言語の概念を、普通には言語を使わないとされる人間以外の生物にも当てはめてみたいと思うのです。

その研究のために、私は YouTube でいろいろな動物の映像を見るのですが、例えば若竹をムシャムシャ食べるパンダを見ると、本当に人間のように、おいしそうにムシャムシャべるのです。

あるいはクモザルとネコがじゃれ合っている映像では、クモザルの方が好奇心旺盛でネコにちょっかい出してイタズラするのですが、ネコもまんざらでもない感じで、クモザルに反撃してお互いにアマガミし合ってたりして、ずいぶん仲良くしているのです。

それは人間同士のコミュニケーションとまったく同じだと思えてしまうのですが、結局そのような、「言語を使わないコミュニケーション」も「言語」ではないのか?とも思えてしまうのです。

つまりそのような動物の行動自体が、一つの「言語活動」ではないかと思うのです。

そうすると、それは動物だけではなく植物もそうではないかと考えられるのです。

植物は、一般には「動かない」ように見えますが、時間を短縮したタイムラプス映像で見ると、植物がどんどん成長するその「動き」を見ることができるのです。

つまり植物の場合はその形態自体が「動きの軌跡」であり、植物としての「言語活動」ではないかと思えるのです。

そもそも生命活動とは何か?を考えてみると、例えば空に浮かんでいる雲は生命活動ではなく物理現象です。

そしてウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の冒頭によると「論理空間の中にある諸事実、それが世界である」なのです。

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