母親との関係性を、書きながら整理してみた。
ここ最近
noteを更新しようと思い
アプリを開いて書き始めるものの
途中で下書きして終えている
それもこれも
まだ着地点が見つからないから
というのが原因だ
ということで
今日は書きながら
脳内整理をしてみることにした
母親との関係性
これがすべてにおける
キーワードだ
わたしと元相方さんとの関係
わたしと旦那さんとの関係
わたしと母親との関係
ここに
大切なものがあるんだな
ってことまでは理解している
でも恐らく
まだ確信めいたものが
見つけられていないからこそ
言語化に苦戦しているのだろう
振り返れば
母親からの愛情を
あまり感じたことがなかった
学校行事は
入学式卒業式運動会以外全スルー
何処かに遊びに行き
夜遅く帰宅しても心配されず
インフルに罹れば怒られるし
高校時代は下宿から帰省しようとすると
お金がかかるから帰ってくるな
と言われる始末で
母には
手のかからない子だった
と言われたことがあるんだけど
こちらの言い分としては
手をかけてもらえなかった
のだ
そして併せて
父親は8歳の時に出稼ぎに行き
わたしは15歳で家を出たから
父親からの愛情も
あまり受け取りきれていなかった
先日noteで
アダルトチルドレンについての
記事を読ませていただいた
こちらをシェアさせていただく
あーわたし
自分としては全然
毒親育ちじゃないからなーって
思い込んでたからスルーしてたけど
母親が毒親かどうかはさておき
わたし自身がおもっくそ
アダルトチルドレンなんだな
という自覚を持った
何をしても許してもらえる存在
何よりも最優先してくれる存在
わたしの安心感の核になる存在
それを他人に求めていた
本来なら幼少期に
終わらせておくべき親子関係を
拗らせたまま
大人になってしまったから
甘えたいし
愛されたいし
安心したい
その思いを
相方さんや旦那さんに
ぶつけてきて
やっと今年に入って
心の臍の緒切りをしようと
意識が変化してきた
感情は感じきると手放せる
最近観ている「笠村メソッド」では
怒りの感情の原因は
母親との関係にあると伝えていて
もっと心配してほしかった
もっとわたしを見てほしかった
もっとわたしを優先してほしかった
という感情が
そこにあるということは
実は夏頃には気づいていたのだが
感じきる!
ところまではやりきれてなかった
のだろうとも思っている
でも相方さんとお別れして
その後、旦那さんとの関係を見直すと
これは親子関係の追体験だったんだな
と気付かされ
あとは臍の緒切りをするのみ
なんだなと思った
以前のnoteで
過去のトラウマについて書いていた
まだまだ癒しきれていないのなら
母への怒りの感情を出して
無になるまで感じきるしかなさそうだ