DAY216 ネドじゅんさんの本から思うツインレイプロセスのことなど。

ここ最近、ネドじゅんさん関連のYouTubeを観ていて、遂に著書を読みたくなって、夕方に近所の本屋さんに行ってきた。
品揃えが微妙だったりするのだけど、ありがたいことに在庫があり、もう一冊欲しかった本と合わせて購入してきた。

ショーゲンさんの本は絶賛読書中

ネドじゅんさんの伝える【左脳さんの自動思考】、思えばだいぶ減りつつあるように思う。
あの時のあれってこういう意味だと思うんだよなぁ的な考えごとはあるけれど、あの時のあの人のあのセリフ許すまじ!みたいなことは、あまり浮かんでいない感。
でも多分、明日のあれこれとか昨日のあれこれみたいなのはやってくるから、もっとイマココに集中しきりたいなとは思う。

そして、左脳さんの自動思考を切り離して、再び新たな左脳さんをベストパートナーとして迎え直すという流れが、なんともツインレイプロセスだな、と思ったのだ。

先日ネットで『反宇宙』の記事を読んだ。わたしたちが存在する宇宙さえも鏡の存在があるという仮説。実際、全てにおいて二極が存在するという前提で考えると、反宇宙もあながち間違いではないと思う。
そして、すべてが『♾️』このカタチに集約されていると気づいたのが、今日のお昼のこと。ひとつのものが、ねじれて反転している。右脳と左脳も、そのひとつだ。

分離意識は、もともと分離などしていなくて、最初からひとつであるということを思い出すために必須の前提ルールだ。
そして右脳と左脳、別の言い方ならば潜在意識と顕在意識、このふたつがまぐわい、互いを赦し愛し合うことで、自分の中で統合が為されるのだと気づいた。

そう思うとツインレイは、それを目に見えるカタチで体感させてくれる唯一無二の存在ということになる。そしてそのことに気づいたらもう、ツインレイという存在をわざわざ追い求める必要すらなくなるのだ。
愛したければ愛せばいいし、たとえ離れていても存在の尊さに何ら変わりはない。

彼の女性性がわたしの中にあり、わたしの男性性が彼の中にある。そして、多分わたしと彼との関係性にとどまらず、すべての存在がわたしの中にあり、わたしがすべての存在の中にあるのだ。

仕事で嫌なことが起きて不機嫌な旦那さんも、同窓会から帰ってきて超絶ゴキゲンな義母も、きっとわたしの一部だ。そしてそれらに自分の気分を左右されないわたしがいる。
ちょっと前なら、つられて不機嫌だったと思うけど、人は案外変わることができるようだ。

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