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「自己対話」のこと

振り返ると、
中学生か、もう少し幼かった頃か、
私の中のもうひとりの私と、日記の中で会話をしていた時期がありました。

前編会話形式の、きっと今読み返せば奇妙な文面でしょう。

自分との対話といった意味では、その辺りが一番古い記憶かもしれません。

今でも普通に、
自分の中にいるもう一人の自分と話し合うことはありますし、
目の前の現実について一歩下がった視点、一段上がった視点、といったところから眺めることはあります。

例えるならば、
今現在、現実に直面している自分と、少し離れた位置からそれを観察している自分、といった感じです。

こういうことは、きっと誰でも自然とやっていることでしょう。
私も普段はあえてそれを意識することはありません。

ですが改めて、
自己対話、というと、なんだか崇高な雰囲気を感じる方もいるでしょうか。

何か特別な訓練が必要なのだろうか、とか。
座禅を組んだり、修行じみたものが必要、、とか。

もしかしたら、別の角度から「自己対話」を語るとき、
もっと尊く、もっと神聖な扱いをするようなこともあるかもしれません。

私にとっては、そういうわけで、
自己対話はもうずいぶん長い間、しごく日常的なことです。

その時代、時代で、方法や内容は変化しているとは思いますが、
私の中のもう一人の私とは、なんでも話し、決定し、行動してきました。



「自己対話」と「想像力」は近しい部分があって、

自分との対話の中から生まれるイメージであったり、
想像力を発揮することで自己対話が進んだりと、

このふたつは「私らしさ」を見つめる上で
大切であり、必要な心の動きだろうと感じています。

逆から見てみると、

想像力を発揮できないときは、恐らく、
自己対話ができにくい心持ちのときだったり、

自己対話がうまくできていないときは、恐らく、
想像力が乏しくなっているかもしれない。

そんなときは、いずれにしても、
「私らしく」ない自分になっているでしょう。


自己対話は、つまり自分との会話。
自分の言い分を、自分がじっくり聞いてあげる時間をもつこと。

ただ、聞いてあげるだけでなく、
全部の言い分を、全肯定することが大事です。

そして、ただ、全肯定するだけでなく、
その言い分の内側にある感情を大切にしてあげることが大事。

簡単な相談事にせよ、
重い悩み事にせよ、
言いたいことがある自分の声に真摯に向き合い、
話を聞いて、そのすべてを肯定し、感情を感じきってあげること。

それから、その感情の内側にある「本当の気持ち」を
一緒に考えてみること。


自己対話がなぜ大切で、
想像力がなぜ必要なのか。

それは、自分との信頼関係を築くことに関わってくるから。

自分の本当の声を聴くには、想像力が必要です。

単純に、その気持ちの真意を想像するというだけでなく、
今ここから、この先の未来へ想像を馳せることが必要だから。

自分の中のもう一人の自分と会話をしながらも、
想像だけは、自分が数歩先へ足を向けている必要があるから。

そして、想像することは、心に余白を生むからでもあります。

心の余白に想像が広がるとも言えるかもしれません。


想像することがセットになった自己対話は、ポジティブです。

自己対話が自己嫌悪になってしまうときは、想像力が発揮できていないのかもしれません。

自己対話中に自分を責めて、ダメだしをしたり、後悔したり。
一緒に黒い沼の底に落ちていくような対話になるときは、
時間を決めてやりましょう。
ある程度、落ちるだけ落ちようと決めて、落ちていく。
時間になったら、そこで止めておくと決めて。

ついうっかりネガティブな対話になりやすい方は、
自分をおもてなしするやり方を心得ておくといいと思います。

話を聞きながら、接待するような。
感覚的に好きなこと、好きなもの、好きな食べ物、
好きな場所、好きな人、
ご機嫌が良くなるようなことをする、連れて行く、会わせる。


想像力をもった自己対話の良い点は、
根底に、「なんとかなるさ精神」があります。

想像力が根拠のない自信を勝手にもたらしてくれるのです。

どうにかなるさ、いずれ。

心に余白があると、軽やかでいられます。

自分との対話を真摯に重ねていると、
なんだか良さげな未来を想像する力がつきます。

それはつまり、自己信頼からくる自信。


この頃ちょっとうまくいかないな、とか、
なんだか不安がついて回るな、とか、

そんな風に感じているときは、
自己信頼が揺らいでいるのかもしれません。


ちょっとうまくいってない自分の話を聞いてあげてみてください。
なんだか不安げな自分の声に耳を傾けてみてください。

焦らず、ゆっくり、本当の声に手を差し伸べてあげてください。


タロットは、そんな自己対話をするのにもとても役立ちます。
リーダーがクライアントさまを見るのはもちろん、
自分自身の心を見つめることも。

ただ、私個人の感覚では、
自分自身の心を見るときは、
その時に開いたカードたちの声は、その時に全部拾いきれるわけではなく、
後日見返したときに「ああ、そうか」とわかることが多いです。

あの時は感じなかったけれど、そういえばこのカードはこんなことを訴えていたのか、という具合に。


昔から自分と会話をすることが普通だった私が、
自己対話型のセッションプログラムを作っている今。

昔から物語を作ることが好きで、想像し創造することが好きだった私が、
イメージの世界を形にするワークを作っている今。

昔から一人遊びができて、いつまででもひとりで黙々と何かしらのことに夢中になっていた私が、
「私らしさ」を探求するプログラム作りに没頭し、
それがとても楽しい今。

幼い頃から、
イメージを膨らませ、どこまでも想像を馳せることが日常だった私が、
タロットカードの意図をよみ、発想を広げ、言葉にして伝える、
アートから受ける印象から想像し、感じたことを言葉にしていく、
そんなワークを実践している今。

ito therapyを考案した、その源が、
もうずっと前から私の中にあった性質であり、
つまり、「私らしさ」の一部です。

イメージすること、対話すること、絵を描くこと、その絵を感じること、
そして、セッションを終えたクライアントさまが喜んでくれること。


ito therapyは、私の中から生まれたもので、
だから当たり前のことなのですが、

私にとって「オーダーメイド」のセッションであり、

そしてまた、
参加者のみなさまにとっても、
自分自身の中にあるものを見ていくので、
「オーダーメイド」のセッションなのです。


小さい頃から好きだったことを思い返すと、
「私らしさ」が見えてきます。

小さい頃に夢中だったことを思い出すと、
「使命」の欠片に出会えます。



      ~輝く未来へ~
アート&タロットで「私らしさ」に出会う旅
       ito therapy


ito therapy session - 輝く未来へ~art&tarotで「私らしい」に出会う旅 (jimdofree.com)

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