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≪小説≫クリスマスは誰にもやって来る

1999年晩秋

私のデスクに上野先輩がやってきて書類を置いて行った。書類の束の上にはポストイットのメモが。
メモはあの頃、社内恋愛の通信手段としてよく使われていた。しかし我々の場合はまったく違う。
そこには『30分後に煙』と書かれていた。
上野先輩は「他も呼んどいて」とだけ言って、自分の席へ戻って行った。
『煙』とは喫煙所のこと。当時でもさすがに自席での喫煙は禁じられてはいたが、喫煙者にはまだ市民権が与えられていた。勤めていた会社には立派な喫煙所が設けられていて、テーブルも椅子もあり、そこは非公式な打ち合わせの場でもあり、情報交換の場でもあり、時には人事異動の密談の場でもあった。

30分後喫煙所に集まったのは先輩と私のほかに後輩の高木ヨシコ、私と同期の村田ナオキだった。もう一人の下村オサムは営業に出ていて不参加。
上野先輩は目をつむり大きく煙を吐いたあと口を開いた。
「今井は死んだけどクリスマスはやって来るんや」
彼はいつもこういう判じ物のような言い方で大切なことを言い出す。
「クリスマスって?」ヨシコが訊く。
「奴んちじゃ、イブの夜はあいつがサンタの格好をしてプレゼントを持って帰っとったんや」
あ、そうか!そこにいた一同はたちどころに先輩の言いたいことを理解した。

1999年10月17日から数日間

亡くなった今井ヒロシと私たち合わせて6人は部署も入社年次も違っていたけれど、不思議とウマの合う仲間だった。
仕事帰りの居酒屋はもちろんのこと、休日もゴルフだスキーだと遊ぶ仲だった.
公私とも一緒で家族同様に過ごす、今となっては懐かしい「ニッポンの会社勤め」の姿だった。

亡くなる前日の日曜も揃って取引先が主催するゴルフコンペに参加していた。
月曜になり、今井が出社していないのに気付いた。律儀で無断欠席などするはずもないのにと思っていたら今井の妻から電話が入った。
胸が苦しくて救急車で運ばれたが意識はある。今から緊急手術になるもよう。急にこんなことになってしまって申し訳ないと会社の皆に言ってほしいと今井からの伝言だった。

仲良しの私たちは他の同僚から「コンペの後、二次会やって飲ませすぎたんじゃないのか?」と、冗談半分に言われもしたが、家庭第一の今井が日曜の晩御飯を家族と摂らないわけはない。
昨日はゴルフ場で一同解散をしたのだった。

「意識があるなら大丈夫だな」「ま、ひと月くらいゆっくりしたらいいさ」そんなことを言いながら皆それぞれの仕事に就いた。

二時間後、また今井の妻から電話が入り、亡くなったと告げられた。

その後の通夜、葬儀のことはあまり記憶に残っていない。
ただただ悲しく、呆然と儀式に参加していた。

1999年12月上旬

今井の家族は妻と子供が二人。上は小学校の1年生の女の子。下は3歳の男の子。
上の子は父親の死を理解したようだが、下の子は葬儀の間も無邪気にしていてその姿が周りの大人たちの涙を誘っていた。
その子たちにもクリスマスはやってくる。
サンタクロースはお父さんだったから、今年からはサンタさんは来ないのだよと子どもたちに告げるのは酷すぎる。
何としても彼らが大きくなるまでの数年は我々でサンタクロースを派遣しようではないか、というのが先輩の考えだった。もちろん私たちは賛同した。

今井の妻に訊くと、プレゼントのリクエストは今井が子どもたちから聞いて、サンタさんに伝える手はずになっていたのだそうだ。
リクエストの御用聞きは、子どもに好かれる下村の役目となった。
「しゅっちょ(出張)のパパの代わりにお兄さんがサンタさんにお手紙を書くから、何が良いかな?」
下の子はいまだに「パパはしゅっちょ」と信じていた。

下の子のリクエストは『働く自動車ならなんでもいい』
上の子のリクエストは『ポケモンの金と銀』
働く自動車は何となく想像がつくが、ポケモンとは何者なのか?しかも金と銀とは何なのか?私たちにはまったくわからなかった。
上野先輩と村田の子どもたちはもう大きくなっていたし、ほかの三人は独り身で近くに子どもはいない。
さあ困った。社内の似たような年齢の子どもを持つ人たちに聞いて回るとおおよそのことが判明してきた。
・ピカチュウという不思議な生き物が活躍するゲームのソフトらしい
・大人気で品薄、大行列をして買わねばならないらしい。
大行列ってどのくらい待てば帰るのか?それはどこで売っているのか?などなど。連日喫煙所での「作戦会議」が繰り広げられた。

やがて村田が今度の水曜日に入荷予定の店を探り出して来た。対象店舗は3軒。村田、下村それに私がそれぞれの店の行列に並び、買えた者は事務所で待つ高木に電話。高木と上野先輩がまだ並んでいる2名に電話を入れる手はずとなった。

明け方4時に起きて5時に店に行くと既に20人ほどの人が並んでいた。昨夜から並べば良かったかな?後悔の念がよぎった。しっかりと防寒対策をしてきたつもりだが、師走の夜明け前の寒さは厳しく、日の出が待ち遠しかった。
下村は昨夜、閉店前にどこで待てばよいか?を店員に訊ね、寝袋持参で待機、村田は明け方出動。当然下村が一番乗り出来るので、村田も私も並ばなくても良いと言えば良いのだが、この当時各店舗へ入る品数も少なく販売個数は公表されなかった。
万が一下村の並んだ店の情報が「ガセネタ」という場合もありうるのだ。今回だけは今井家のクリスマスのために失敗するわけにはゆかない。

ようやく開店の時刻になり「走らないで」の声を後ろに聞きながら売り場めがけて走っていると携帯が鳴った。走りながら出ると高木からの電話で「下村さんゲットしました!」声が弾んでいた。その声を聞いて気が緩んだのか、走る速度を落としたら、後ろの人に押されて派手に転んだ。

この日、行列組は休暇を取っていたのでこのまま帰宅もできたが徹夜や早起きのせいか気持ちが高ぶっているし、これだけ苦労して手に入れた「金と銀」なるものを見たかったので事務所へ行くことにした。
「金と銀」は上野先輩のデスクに置かれていた。
「これか~」
「こいつのために徹夜したのか。」
「CDみたい。これでゲームが出来るの?」
声高に色々なことを言い合ったが、経緯を知っている周囲は大目に見てくれていた。

ちょうどランチタイムになったので、三々五々いつもの居酒屋へ集合した。この居酒屋はランチもやっていて、日によっては昼食も夕食もお世話になるというありがたい店なのだ。
ランチの定食を食べながら上野先輩が口を開いた。
「あとは働く自動車を買えばブツは揃う。次はサンタさんや。」
「誰がやるんですかね?ボクは若すぎますよ。」と下村が言った。
「衣装のことや子どもの記憶を考えると今井さんと似た体型のほうがいいんじゃないかしら?」と高木。
「えーと、そうすると困ったね。私とヨシコちゃんは女だからダメ、村田くんは背が高すぎる。先輩どうですか?」と私。
「僕はダメ。そういうのは向いていない」
「だって、言い出しっぺは先輩じゃないですか?」などと言い合い騒いでいると、総務課の山野が「ここいいっすか?」と相席を求めてきた。山野は村田と私より2年後輩だ。
「いいやつ見つけた!」村田が大きな声を上げた。
今井は小太りな体型だった。いま、私たちのテーブルに割り込んできた山野もたっぷりと肉を付けている。背は今井より少し高いがこの際それは良しとしよう。

「あのな、山野よ、折り入って頼みがあるんだわ」先輩が切り出した。
今井家クリスマス作戦の概略を聞いた山野はそりゃいい企画ですねと言ったものの、サンタクロースは荷が重すぎるとごね始めた。こうなったら取引だ。私が口を開いた。
「あのさ、山ちゃん、こないだ稟議書急いでた時にさ、部長に早く印鑑押してもらえるようにしてあげたのは誰だっけ?」
「それからさ、先月の社内監査のための書類の準備を遅くまで手伝ってあげたよね?」
「そうそう、松永様からの書類の催促の電話に居留守を使ってあげたのは誰でしたか?」
立て続けに言うとあっけなく山野は降参した。
「24日は何時にどこへ行けば良いですか?」

サンタクロースの衣装とヒゲは私が今井家へ借りに行き、プレゼントは手先の器用なヨシコが綺麗にラッピングをした。
あとはクリスマスイブを待つだけ。

1999年12月24日

定時退社をした私たちは、もう少し仕事をさせてくれと哀願する山野の首根っこを押さえ、2台の車に乗り今井家へ向かった。山野は車内で着替えさせ、待機していると今井の奥さんからお願いしますと電話が入った。

「山ちゃん頼むぞ」小声で励まし山野を送り出した。

サンタクロースは玄関から入り、リビングで子どもたちにプレゼントを渡す。その時には「きょうだい仲良く」とか「勉強がんばって」など一言添えていたこと。プレゼントを渡したら「次のお家に行かなくちゃ」と言って立ち去ること等々、事前に奥さんからこまごまと聞いていた。それを元にして山野に演技の特訓を行なったから、きっとうまくゆくはず。

15分くらい待っただろうか。
目を真っ赤に泣き腫らし、鼻もトナカイより赤くした山野が小走りで戻って来た。
「やりました、やりました。成功しました!」と言って泣いていた。

その後

数日後、今井の奥さんからお礼状が届き、心遣いに感謝するということ、いつか子どもたちが大きくなった時にはこの年のクリスマスのことを話すつもりであるとも書かれていた。
山野サンタは数年続き、その後はプレゼントを玄関に置く方式として、子どもたちが大きくなるまで続けていった。

2022年冬

当時小学校1年生だった上の子は、来年母になるという。
3歳だった男の子は、世界中を「しゅっちょ」するビジネスマンに成長した。
そして私たちは、転職、異動、独立、定年などで居場所はバラバラになったものの、年に数回はあの居酒屋で相変わらず酒を酌み交わしている。


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