見出し画像

エントロピー増大の法則

昨年、日本に帰国した際によく耳にしたキーワードは「エントロピー」でした。畑のツアーに参加した際も、友人との会話でもそのことばが出てきたのです。

意味を知らなかった私は、調べてみることに。

エントロピーの増大の法則とは、物事は放っておくと、「乱雑さ」「不規則さ」「曖昧さ」方向に向かい、自発的に戻ることはない、ということ。

外の世界は、コントロールできないことばかりです。エントロピーの増大の法則によれば、どんどん物事や思考は複雑化してしまう。ニュースを見ていると、どうしてこうなってしまうんだろう、なんで?と思うことに溢れています。コロナの問題、国際情勢、政治、温暖化問題然り。理由がシンプルではなく、複雑に絡みあいすぎて、全てを網羅し理解することは到底できない。さらには、身近なトラブルや人間関係も同じことが言えるのかもしれません。

過去に原因はあるのだろうけど、解決は自発的には起こらず、放っておけば雪だるま式に問題は大きくなっていく…
そんな濁った状態をエントロピーの増大は説明していると解釈しました。

これら対して、個人が均衡を保つためにできること。それは、自分の好みの時間の中で、居心地の良さに浸る。それが、私にとっては畑作業や茶道だったのです。

二つの共通点は、心穏やかになり、没入できること。
外部との世界を遮断するように集中し、自分の中の「静寂」を感じることができるのです。カオスの外側、穏やかな内側と単純化するならば、思いっきり穏やかな内側寄りに浸ることでエントロピーを縮小させる。そんな時間を私たち現代人は本能的に、欲していると思います。

流れていく日常の中で「始まりと終わり」を作り、集中することで、カオスな頭の中を一旦鎮めることを、得ることができるのです。スポーツでも、料理でも、ジャンルはなんでも良く、極めることでたどり着ける穏やかさ、です。

ちなみに、400年前、千利休は以下のような「茶の十徳」を残しています。(※1)お茶を飲み、稽古をすれば十の徳が備わるというものです。

・世の中すべてのものに守られている
・眠たくなりにくい
・親孝行になる
・重い病気になりにくい
・全ての人を愛する事ができる
・欲望や執着、妬みに迷わされる事がなくなる
・病気や災難にあわあい
・心有る人にあう事ができる
・長生きができる
・ことごとくぼんやりする事がなくなる

十徳を読んだ時、戦乱の世でこのような境地に至った利休さんはどのようなお人柄だったのだろう、と想いを馳せました。特に気になったのは「世の中すべてのものに守られている」「心有る人にあう事ができる」という部分です。心も体も、安心・安全とは程遠かった社会ゆえに、利休さんの願いが込められているようにも見てとれます。

そして、こちらの十徳に書いてあることこそが、エントロピーを自発的に縮小させることができる行いなのだと感じています。

また、「一期一会」という言葉は茶人の井伊直弼が遺した言葉ですが、その元を辿れば利休の言葉「一期に一度の参会の様に」を引用しているそうです。(※2)それはざっくり言ってしまえば、きっと「心を込めて生きる」ということのように思います。今でいうマインドフルネスに、茶道という鍛錬を通して、きっと利休さんは到達していたのでしょう。

畑仕事は、目の前の土、草、作物に集中でき、終わった後は爽快感でいっぱいです。つい最近も、レタスを収穫する際にパキっと、気持ちの良い音がしました。水分を多く含んだ葉に、生命力がみなぎっている!と感動。
毎朝、ベジガーデンに行き、前日とは明らかに大きくなるズッキーニやきゅうり。蒔いた種から、芽が出る喜び。だんだんと色づくトマト。無音の世界で、それぞれの野菜たちと向き合うことは、瞑想的でその静かさがとても気に入っています。

とうもろこしとかぼちゃたち。この眺めが好き
レモンと洋梨
庭のりんごがたわわ

エントロピーの増大という原理を知って、自分が今夢中になっている二つのことが、より理解できた気がしています。静的な時間をキープできれば、自分の機嫌や心地よさによる「ニュートラル」を維持できるのだと信じていきたいです。