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先輩と私の大失恋

社会人一年目、というか初日、私には指導してくれる先輩がついた。私は新卒より若かったけれど、新卒入社では無かったので、慣れるまでは指導係の先輩がなんでも世話を焼き、何でも教えてくれた。

笑顔が素敵で、説明も丁寧で、私のめちゃくちゃなデザインも褒めてくれた。結構忙しいみたいで席にいないことも多かったけれど。


これはその約1年後に本人から明かされたことだけれど、先輩はその日の前日、彼氏と別れていた。

しかも、彼の家で浮気現場に鉢合わせして。

大ゲンカの末に浮気相手を選ばれ、勢いで目の前で始まったプロポーズを見せつけられ、家から追い出された。明日は会社に行きたくない…それどころじゃない…。でも、新人さんが来るし、PCの配線とかちゃんとしてあげなきゃ…

と思い、来てくれたのだそう。

その話を聞いた時、普通にめちゃくちゃびっくりした。

あの日の先輩はとても笑顔で優しくて、丁寧でなんでも褒めてくれたから。とてもそうは見えなかったけれど、実は何度もトイレにこもって泣いていたのだと聞いた。

その時私は、先輩のプロ根性はすごいと思った。デザイナーとしてどうこう以前に、社会人としてすごいと思った。これがプロの社会人かと。


その話を打ち明けられた翌年、私にもその時がやってきた。

22歳の誕生日の1週間前、週末同棲のような関係になっていた学生時代からの彼に、振られたのだ。何の前触れもなく、一方的に。

会って問い詰めると、新しい彼女が出来たから…と言われてしまった。新しい彼女って…?私はもう古い彼女ってこと?と混乱した。

「荷物は持って帰って欲しい。服とか、あの絵も」

それは私が学校の課題で描いた絵で、彼が気に入ってしまい、欲しいと言われたものだった。縦横1メートルほどの大きな絵だけど、ここに飾りたいんだ。と車まで借りて運んで来てくれた絵だった。

それなのに、もう要らないのかと。

その時、あぁ、明日にでも、ここに新しい彼女が来るんだなと思った。ふたりで料理をして、映画を見ながら食事して、仲良く眠ったこの部屋に。新しい彼女が来るのだ。そして、また同じような時間を過ごすのかと。

悲しくて悔しくて腹が立って、朝まででも罵倒してやりたかったけれど、そうもいかない。

私は始発で東京に出張に行くことになっていた。

それは、私が初めてメインデザイナーを任された案件のモデル撮影の日だった。

私の私物と絵は捨ててと伝えて急いで家に帰り、とにかく寝なければと必死で寝た。

そして、この日のために一生懸命作った資料を持って、始発の新幹線に乗った。この案件が世に出たら彼にやっと自慢できる、と張り切って一生懸命作った資料を持って。何も知らずに沢山残業して作った資料を持って。新幹線に乗ってからは、資料に誤りがないか、抜け漏れはないか何度も確認し、ずっと泣いていた。


撮影スタジオについて、初めてのデザイン責任者としての役目を全うしようと必死だった。その時私は、ずっとあの日の先輩を思い出していた。けれど、先輩みたいに上手くやれていないと思った。側から見ても元気がないらしく、大丈夫?寝不足?緊張してる?と初対面のスタジオスタッフさんにも心配されてしまった。

目の前にいるモデルちゃんは笑っちゃうほど可愛くて、あぁ、私もこんなに可愛ければ振られたりしなかったのかなとか、新しい彼女はこんな風に可愛いのかなとか、ちょっと気を抜くとそんなことばかり考えていた。


休憩時間、モデルちゃんがスマホを見てため息をついていた。朝から夜までの長丁場、そりゃ疲れるよね、ごめんね。何か声をかけようとした時、彼女のマネージャーがやってきた。

彼女のマネージャーは「学校とか恋愛で色々あるの知ってるけど、仕事はちゃんと頑張らなきゃね」と注意していた。それを聞いて、私はまた衝撃を受けた。

こんな笑っちゃうくらい可愛いモデルちゃんにも悩みは沢山あるんだと。それでも仕事のために笑顔でカメラの前に立ち、良い物を完成させるためにチームの一員として必死にやってくれているのだと。そんな当たり前のことに衝撃を受けた。

私は自分のことでいっぱいいっぱいで、これは自分の案件なんだからちゃんとしなきゃ、みんなと違って私は辛いけど頑張ろう。と思っていた。楽しみにしていた撮影も彼のせいで台無しだ。失敗したら呪ってやる。と思っていた。

だけど実際は私だけの案件ではないし、辛いことがあるのも、きっと私だけじゃない。みんながプロとして、責任を持って一生懸命にやってるんだ。私ももっとしっかりしなきゃ!と、またあの日の先輩のことを思い出した。

思い出したというか、実はその日その場所にその先輩もいたのだが、私の失恋のことは言えなかった。いつも恋バナをしていた分、心配をかけたくないと思ったし、仕事をナメてると思われるのも嫌だった。そして、もしかしたらあの別れ話は勢いで、今にでもやっぱりやり直そうと連絡が来るのではとちょっと期待していたから。

その後、朝9時から夜23時に及ぶ長い長い撮影は終わった。全カット終了の声がかかった時、モデルちゃんは泣いていた。私もつられて泣いた。「なんで泣いてるの?」とモデルちゃんに聞くと「分かんない」と言われた。私も。と答えてスタジオの隅で、ふたりでじゃがりこを食べながら泣いた。先輩には、良くやった!と褒めてもらえた。次からは私がついてこなくても大丈夫だね、と褒められて、今度は間違いなく嬉しくて泣いた。


3ヶ月後、その時撮影した写真を使ったデザイン成果物が世の中に出た。

元気いっぱいなモデルちゃんの写真に、元気いっぱいな私のデザイン。大きな写真はよく目立ち、通勤中にも何度も見た。その度にあの時のどうしようもない気持ちと、達成感を思い出した。

実際のところ、デザイナーが一番大変なのは撮影の後で、フォントが決まらないとかレタッチがなってないとか、デザイン力が足りなさすぎるとか色んな課題にぶつかりながら完成させたものだった。

そんな濃い日々を過ごしたからか、彼のことを思い出しても悲しくなることはもうなかった。ひどい奴だとは相変わらず思っていたけれど。

そんな時、彼から連絡があった。

やっぱりあの時はどうかしてた、やり直したい、と。誕生日も祝えなかったから、もう遅いけどお祝いさせて欲しいという誘いだった。

もしかしたらこんな風に言ってくるんじゃないかと、どこかで期待していた。でもそれは、もう3ヶ月も前の話だった。

私は彼の話を断って、もう会わない、連絡もしないと言って電話を切った。

古い彼氏のことより、これから先のデザイナーとしての仕事のこと、これから先に出会う素敵な人々のことを考える方がワクワクしたし、楽しかった。

次の日

「実は彼と別れたんです。しかもあの撮影の前日に。」

と指導係の先輩と新しく出来た後輩に話した時、私はやっと社会人になったような気がした。

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