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裏切りの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」

※「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のテレビアニメ全エピソード、外伝映画、および劇場版(完結編)すべてについてネタバレへの配慮をいっさい行いません。ご注意ください。


「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を、人名だと思っていなかった。
私が最初に目にしたのは劇場版のポスター。そこには傘をさして旅行鞄らしきものを携えているうら若い少女と、彼女の纏うドレスに比べればいかにも収入の低そうな服装の男の後ろ姿。
「令嬢と庭師の切ないラブストーリーかな」と想像を巡らせた。


「ガーデンというからには庭だろう。ヴァイオレットというからにはスミレだろう。きっとこの令嬢のお気に入りの庭は本来ならスミレが咲き誇るはずなのに何らかの理由で枯れ果ててしまい、令嬢も緑の指を持っているが何かしらの事情で旅に出ねばならず、ひそかに彼女を慕う庭師(彼女に園芸の技を伝授した師でもあるが身分的には下僕ポジション)が何とかかんとか彼女の帰還までにスミレを再び咲かせようと奮闘するのだろう。エンディングでは旅から戻った令嬢が手袋を脱ぎながら「何か変わったことはないかしら?」「ありますとも……ほら」「……あ、ああ……!」庭じゅうのスミレが一面に花ひらき風に揺れる場面にエンディング曲が重なるのだろう。スミレがずっと咲く=フォーエヴァーみたいな感じなんだろう。もちろん令嬢と庭師の愛もフォーエヴァーなんだろう。何ならエンディング後に幼い子どもがスミレを摘んでいたら同じ年ごろの男の子と出会ったりするんだろう。ぱちぱちとまばたきしながら見つめ合い少女がスミレの花を渡したりするんだろう。そうして受け継がれていくものの象徴がガーデンなんだろう。代々そのガーデンのあるじは一定の年齢にさしかかると旅行鞄にスミレの種をしのばせて旅だち荒廃した世界に配って歩く使命があったりするのだろう。エヴァーは forever だけでなく whereever だったり whenever だったりするんだろう。世界じゅうがガーデンなんだろう。愛で満たされた庭の物語なんだろう。やだ素敵!ベタすぎて素敵!」


と、ほぼ自己完結で終了しかけていた。

しかし、その数日後、ツイッターのフォロワーさんが「ヴァイオレット・エヴァーガーデンの映画がすごく良かった」と呟いてくれたのを機に、興味がいや増した。
「それ興味あるんですよ」とリプしたところ「観るならテレビアニメから」というアドバイスを頂戴し、私にしては珍しく素直にNetflixに加入してアニメの鑑賞を始めた。


最初の感想は「主人公の名前なのか……」であった。
ヴァイオレットがエヴァーガーデン家に引き取られたあたりで「ここから庭ね!準備はできててよ!」と思ったら、庭いじりの展開など一カットもなく、気づいたらヴァイオレットちゃんはヴァイオレット・エヴァーガーデン名義で郵便社で働き出していた。
そして庭師は行方しれずの上官であることが判明した。
おかしいな。こんなはずでは。
と思わなくもなかったが、結局そのまま最後まで観てしまった。

とても美しい物語であった。それは確かだ。庭とか中盤あたりからかなりどうでも良くなった。
何というか、予想外のほうが楽しめることってあるよね!でなきゃお金を払う価値がないし!プロの仕事はアマチュアの期待を裏切ることよ!!
と己を慰撫する必要もないほど夢中になった。
そして続けざまに外伝を観てベネディクトくんに盛大に惚れ直し、いざ劇場へと赴いたのであった。
「もしかしてポスターってややネタバレなんじゃ?」というささやかな危惧を胸に。


というわけで、原作小説以外の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を完走した今、思ったことをつらつらと連ねていきたい。


まず、少佐はずいぶんひどい男だな。
これだけは言いたい。何度でも言いたい。
だって瀕死の場面で「生きて自由になりなさい」と突き放した次の瞬間に「誰よりも愛してる」って、ずるいじゃないですか。
結局その矛盾がヴァイオレットちゃんを束縛したとしか思えない。ヴァイオレットちゃんの依存っぷりを理解してなかったなんて言わせない。
すべて意識した上での行動だとしたらもうひどいなんてレベルじゃないです。最低です、少佐。
で、劇場版でもとにかく煮えきらない態度で子安、じゃなかった社長を困らせた挙げ句、ヴァイオレットちゃんに対してもきっつい決定打を放つでもなく、中途半端に理解を求める姿にわたし、涙がひっこみました。数分だけ。

お兄ちゃんである大佐が「麻袋につっこんでヴァイオレットのところへ引きずっていってやりたい」みたいなことを言っていたけれど、むしろ何故そうしない!?お兄ちゃんもだが社長がやれ!いっそヴァイオレットちゃんが扉を蹴破って二、三発お見舞いしても誰も責めないよ!たぶん!
離れて別々に生きることが少佐にとっての愛であり償いなら、「もう愛してない」ぐらい言わないといかんでしょうが。

こういう懐かせておくだけおいていきなり自分の感情を優先させたがる男って本当に何なのまったく共感できませんどっちかっていうと悪役ぶってるお兄ちゃん大佐のほうが好きです少佐はしょせん坊やなのさ。

というかアニメのわりと序盤からずっと思ってたけどあなたは「機動戦士ガンダム00」のロックオン・ストラトス(ニール)タイプですね?
ならしょうがない。十年後には好きになっている可能性があるのでまたお会いしましょう(私にとってはニールがそうだったから)

とはいえ、お兄ちゃん大佐の説得が後押しとなり、ついにヴァイオレットを抱きしめるラストシーンは涙腺を大破させるに充分な、圧倒的な何かであった。
シンプルに感動的であり、戦争が終わった実感の疑似体験でもあり、ここまでこじらせているカップルはかなり少数派だろうけれども世界のあちこちでこういった再会があるのだろうなと思うと胸に迫るものがあり、良い終わり方だったと言わざるを得ない。

また、ヴァイオレットちゃんを幸せにできるのは結局のところ少佐しかいないんだよなと理屈じゃなく腑に落ちてしまうあたり少佐はやはり少佐なのだ。
私からすればこんな残酷な男ダメだろってところもひっくるめて愛すべき少佐だし確かに愛してるをあたえるひとなのだ。
全編を通してセリフは比較的すくないのに、かつ何か言えば大抵ろくでもないのに、その絶対的な存在感の大きさは高く評価したい。


さて、このクライマックスに多大なる貢献を果たしたお兄さん大佐。
(※ところでこの記事の編集中に階級を確認すべくちょっと検索したら原作のネタバレの嵐に遭遇してしまったが見なかったことにして以下の文章の訂正を一切せずこのまま保存します)
私は少佐より大佐派です。少佐か大佐かと言ったらそりゃもう大佐です。本命はベネディクトくんだけどそれは置いておく。
劇場版で大佐の少年時代などがだいぶ掘り下げられ、多感な時期になかなか鬱屈していたことが分かり、そのへんは「まあそうだろうな」といった範囲である。

けれど良く考えると、軍人の家庭で兄弟の兄の方が冷遇気味であるというのは、何だか妙でもある。
そこそこ年齢差のある兄弟なので、弟が生まれるまでは当然、彼が家督を継ぐ算段だっただろうに、どこでどう弟に後継者としての素質が際だっていったのか。そのへんは謎である。これが双子だったら分かるよ、双子なら。双子なら大佐くんは早々に全寮制の私立校に編入するパターンです。
テレビアニメで母親が「二人は仲の良い兄弟だった」と語っていたと思うが、あのころ既に母親は記憶が危うげだったらしいからやや信憑性に欠ける。
でも大佐自身による、子ども時代の船の思い出を聞く限り、途中まではやはり仲よしだったのだろう。
威厳ある陸軍所属の父親が次男少佐に目をかけるようになってからひねくれた兄大佐……うん、だから全寮制の私立に(以下同文)

そのへんはさておいても、大佐の良いところといえば私情をまじえない冷徹さ。偽悪すれすれかと思ったら八割はただの性格という絶妙なバランスがたまらない。
だってこれがまるごと偽悪な人ってだけだったらヴァイオレットちゃんが少佐の面影を追って……とかあり得ないけど絶対に無いとも言えなさそうなので大佐はあれでいいんです。
畑ちがいの海軍に入って色々ご苦労されたぶん性格の難に磨きもかかっただろうに、ヴァイオレットちゃんを手ひどく扱った人間であることに違いはないだろうに、だからこそひたすら孤独なひとという印象を貫いているのに、そのくせここぞという時だけやたらと良いところを持っていくので何か得してるから良いじゃんってなりかねないのに、私はどうあがいても大佐派です。だってわたしライル派だし。

テレビアニメでは最終話ですらちょっと発揮しきれていなかった大佐の魅力。劇場版で拝めてとても満足です。
(ところでこのひと手紙とか書くのめちゃくちゃ苦手そう)


肝心のヴァイオレットちゃんについては書き出すとものすごく長くなる。よってまた次の機会に。
ただ、ひとつだけ。

ヴァイオレットちゃん……絶対に脳とかいじられてます……よね?


幼少期から軍にいて徹底的に訓練されていたとしても、生身の人間にはどうしても限界があるはず。
その垣根を超えすぎです。素養とかスキルとかいう問題じゃない。
アニメ最終話で爆弾を素手で撤去、というのも、あれは義手だからできたことだろう。痛覚を司る神経が途絶えていたのと、火事場の馬鹿力で成し得たこと。普通なら肩が脱臼して一巻の終わりのはず。
また、言語が未発達なのに報告などはこなせたり、文章読解の習熟も早かったイメージがある。
ドールの学校に通った際もタイプライティングも他者の追随を許さない速度で身につけ学力もちょっと不自然なほど秀でていた。

大佐がヴァイオレットちゃんを「兵器」とか「武器」とか「戦争の道具」呼ばわりしていたのは、そりゃ大佐の性格もあるにせよ、それが事実だったからではないか。
ガンダムでたとえると強化人間。不幸ルートが王道です(例外あり)
というか、大佐がつれてきたということは、最初は海軍にいたの?で、なんで不要になったの?そのへんの説明があったかどうかちょっと思い出せない。

ヴァイオレットちゃん自身による回想は少佐との出会いからしか始まらないので、それ以前のことを語るのは無粋なのか。原作を読めば何か分かるのか。
ただ、私はアニメ作品で完結しているものを小説で補完することが好きではないので(この作品に関しては小説がそもそも原作である事情はあれど)そこは自由に妄想させてください……最初の妄想を鑑賞によって是正したからには前日譚やアフターストーリーぐらい妄想させて……。
劇場特典の小説、書籍化をお待ち申し上げております。本屋さんがお望みならどこでも駆けつけます。紙媒体収集家、ブックイット・エヴァーガーデンです。


という、ひとまず「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の感想、第一弾でした。
ゲーム「デス・ストランディング」の感想と同様、思い立ったら第二弾があるかもしれない。
デスストはともかくヴァイオレットちゃんについてはいろいろ書きたいな。
あとベネディクトくんを語りたい。劇場版で博物館の案内人になってたのなんでベネディクトくんじゃないの?と憤懣やるかたない程度にはベネディクトくんが好きです。いや大佐も好きだけど博物館にいる大佐とかそれただの骨格標本みたいな……良いねそれ。それで行きましょう!

決してそうじゃないことを確かめるためにも「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の鑑賞をオススメします。
劇場版なら近日中に発売されるバッカスかラミーを帰りに買いたくなりますよ。葡萄つながりで。
てかバッカスってブランデーだっけ?
まあ細かいことはともかく、雰囲気って大事です。
ブランデーとか大佐が好きそうじゃんっていう妄想もとっても大事です。おわり。


追記:書き損ねたが、私が少佐を「ひどい男」と認識しているのは少佐が既婚者だと長く誤解していたからというのもある。
ヴァイオレットちゃんを別荘につれていった時、ばあやさんが「奥様は?」と尋ねたので「少佐って奥さんいるんだな」と。お母さまのことだったのね。
早くそう言え。ヴァイオレットちゃんに対してどこか後ろめたそうにしてるのもそういう事情かとばかり思っちゃったじゃないか。



「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン(のパンフ)」と「デス・ストランディング」の記事はこちらです。
よろしければ。


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