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『誰かの為になんて生きてなかったのは』

第1部
今からここに記していく内容は
僕自身の記憶の中にある
小さい時から今までに至るまでの(心)です。
もしも今生きていることに
苦しみや不安や自分でも
どうして良いか分からない様な感情を
持っている誰かが居たら、それはなにも
特別でもなくて、誰にも言われるような
ことでもなくて、君が思っている以上に
当たり前のように
同じ人間がいるという事を
知ってもらいたいので、
ただただ書き記していきます。 

[あなたが苦しんでいるのは誰かの為にあって、
僕が生きているのはそんなあなたが
いるからだという事を今より少しでも
感じてそこに居てほしい]

幼い頃から取り巻く環境や状況の影響もあり、
僕自身の他人へ対する感情は著しく関心のない
幼少時代を過ごしていました。
今現在からあの頃を振り返ると
嫌な思い出しかなかったのは間違いなく、
その後の数十年に渡り自分自身の精神を
形成してしまうものに
なっていたんだと思います。

どんな場所に居ても人に
対する感情や期待がなく
ありふれた日常を手に出来ないその環境を
ひどく恨んでいた毎日を
一日 一日とゆっくり感じながらも
ただボーッとして生きていました。

結局のところ何が言いたいかなんて明確で、
人間が死ぬほど嫌いだった。
そして自分自身が
早く消えてしまえばいいんだと
真っ直ぐに信じていた
7歳になる自分がいました。

過去をいくら振り返ってもやはり
前向きな心は見つけらんなくて、
どこか遠くを見つめているのが
精一杯な時間をたくさん過ごしていた。

[今日死ぬか] [ 明日死のうか]
[今日生きようか] [明日はどうしようか]

毎日がこんな思考で溢れていました。

この時に初めて
生きていることや死を考えるということを
学校で学ぶ前に認識した瞬間だった。

ここからの長い間をまだまだ
自分でもなにか分からず
抱えていくことになるなんて
思ってもいなかったし、
なにより嫌っていた人間に助けてもらうことに
なるなんて思ってもいなかった。

第2部 『自分以外』

感覚的な話で、かなり分かりづらい
言い方かも知れないけれど
小さい時から他人を見ている中でどうしても
上手く伝えられない感覚があった。

それは自分を見つめている人が
どれだけ優しい感情でいてくれても、
悪い感情でいたとしても、
僕には白いぼんやりしたものか
黒いぼんやりしたなにかに見える感覚だった。

簡単な言葉にすれば自分にとって
良い人か悪い人かを
その瞬間で理解する感覚だった。
幼少期から他人を信用する事が出来ない
環境で生きていたのもあり、
攻撃してくる人間を見極めて
回避するのが癖のようなものになっていた。

それがただひとつ自分が一番安全に
生きれる方法だったから。

そこからでしょう 
対人関係をかなり引いた居場所から
見るようになったのは。
どうしようもない時でさえ、
感情を吐き出す相手もおらず
逃げたくても逃げる場所さえ分からず、

自分の中のよく分からない
黒い塊のようなものに
毎日の数秒 数時間 数日間と
終わりのない痛みを
耐えるだけの時間をギリギリで生きている、

みんなの記憶から消える方法を
なによりも頑張って探していた
14歳を迎える自分がいた。
この時期を今思えば、
いや今思うほど見動きのとれない心だったなと
改めて深く思います。
たとえあの日たちのどこかで
救いの様なものがあったとしても
僕は誰の言葉も響かなかったんだと思います。

あの日の自分はもう手遅れなところに居た。
人を[形成]する中で
圧倒的に必要なのは
他人からの理解だと感じます。

自分の居場所が不透明で
あればあるほど他人からは
見つけてもらえないものになるし、
透明になり過ぎていても
見つかりたくないものになるんだと思います。
この闇を感じる居場所を[認識]される時は
まだまだ先のお話ですが
誰かの為にある[闇]になるのは意外にも
早い段階での話となります。
あの日 あの人に どれだけ救われたか
どれだけ もがいても分からなかった
[人間]を急速な速さで近づけてくれた
存在を今でも忘れはしません。

第3部『痛み』

これまでにどれだけ心が
崩れるのを感じてきたか
覚えてもいないくらいに沢山あった、
窮屈で狭い暗い場所でどれだけ
泣いていたかわからないけど、
今現在それでも呼吸して 
誰かの痛みに触れて生きていることに
不思議を感じる事も少なくはないです。
自分の中に確かにあるこの剥がすことの
出来ない感情をがむしゃらに引っ掻いたり、
傷つけたりしてきたけれど、
なにも変わらないことに
ある種の諦めはあったとは思います。

自分の痛みに対して少しづつですが
麻痺みたいな状況が訪れていた
17歳を過ぎた僕が居ました。
この時期からのお話は今までの暗いものや、
吐き出せなかったものが、
新しい形になっていく事になるお話になります。
人生の何個かある内の確かな
一つ目だった一日になります。
過去のどんな辛い日よりも
どんな悲しみに暮れた夜よりも
涙を流した日になった、
そんな大切な大切な一日です。

初めてのバイト先での月日も1年ほど経ち、
慣れない環境で働きながらも
やはり他人に対する気持ちや思いは
これっぽっちも変化することなく
日々の中にあるモヤモヤに
混ざり合っていくだけでした。

誰にも見せないものを大事に抱えて
毎日を過ぎ去っていきました。
そんなある日、他の店舗からヘルプという形で
一人のバイトが自分のいる
店舗に来てくれていました。
何気ない毎日 味気ない人達の中に
一人だけ何食わぬ表情で
当たり前の様に、どこか余裕さえ感じるほどの
空気感で働いていた女のコが居ました。

僕はいつも通りに自分の中で割り切って、
自分とは明らかに対称にいる存在な
人間だなと感じました。

彼女からは圧倒的な光のような
印象を受けました。

ただひたすらに人間として眩しい 
そんな女のコでした。
いつもの様に形通りの会話があって、
上辺だけのやり取りが起きて、
興味のない話でなんとなく
時間が過ぎていくと思っていました。
それが普通で過ごしていたのだから
当然の考えでくだらない日常で
終わっていくのを待っていました。
昼休憩時に普段と変わらず誰とも
挨拶も会話を交わす事なく
休憩場所に行くと彼女は先に座っていて、
自然と目を合わせることになった瞬間、
[一緒にご飯食べよっ]と声をかけてきました。

はっきり言えるのは完全に
思考の外側から飛んできた言葉とその意味に
なにも言えなかった自分がいました。

目も顔も合わせていながら言葉も
聞いてるはずの僕が答えないまま
立っているのも構わず隣のイスを
ゆっくり引いて招いてくれました。
今考えて見てもあの一瞬の出来事は
記憶にある中で
断トツで呆然とした時間でした。
そんな中会話もしないし
答えもしていない僕に向かって、
用意された食事を口に含みながら
言葉を休むことなく
僕に浴びせ続けていました。
今起きていることに理解が追いついていなかった
僕の表情も感じ取れている様でしたが、
言葉は止まることなく続いていきました。
なにを話すでもなく本当に味気ない僕に、
誰とも会話をしていないはずの
一番声をかけづらいはずの人間に

『普通の会話』をくれたんです。

どれだけの時間どれだけの年数が経ったかなんて
その時は思い出す事もしていなかったですが、
何かが空いた様な感覚に陥り
普通に彼女と会話出来ている自分がいました。

この今までに誰もくれなかった『普通』を
こんなにも心に土足であがってきて
なんの見返りもないのに僕にくれたんです。

存在なんてしないと思っていたはずの
『普通』という
感覚を知ることになった一瞬でした。
この一日を境に生きていた世界が
今よりももっともっと
窮屈じゃないことを知りました。

産まれてきて初めて僕は
この世界に居てもいいんだって思えた
そんな大切な大切な一日でした。

第4部 『春雪』

-積み重ねる日々の中 
何回もの季節がめぐり 繰り返しは
また繰り返して同じ景色を感じていた
あの日々の中ありふれたものが
少し暖かく感じ始めた3月。

この記憶のまま今より
少しだけ光を感じれる日常なんてものに
触れていた- 前回のお話からの続きになり、
少しづつではありますが
感情の揺らぎみたいなものを
確かに感じていく期間を通り過ぎていくのを
またまた長いものになりますが
読んでいただけたら嬉しいです。

『18歳』 実に12年もの時間を
学校という場所で
過ごすことが一般的に当たり前なことで、
その場所で培う
発見や感覚や思い出は将来にも
計り知れない程のものを
残す大切な時間だと思います。
変えられない記憶となるものです。
本来ならばその12年は良い悪いはあれど、
心を満たしてゆく為の
月日の重ねになるのですが、

僕にとってのその12年は
『地獄であり孤独』でした。
多くの皆さんと同じ時間の中で起きた
変えられない記憶に変わりないのですが、
それはいつの時も変えたい
記憶でしかなかったものです。
家族からの愛情がなかったわけではなく、
理解がなかっただけだったのは
今となっては分かってはいるのですが、
その人自身を『理解』することの難しさを
感じとれるまでには
途方もない時間を必要としました。

それこそが僕の12年という歳月でした。
人の心情を突き動かすものに
何よりも恐怖があり、
興味を惹かれていくものであって、
幼きころに感じた自分自身への
答えのようなものだと思っていました。

今尚もそれだけを拠り所にして
精神との調和をとっていきながら
今を進めているんだと感じます。
ダラダラと垂れ流していく
言葉や感情に意味を持たせること自体が
無意味なものかも知れないけれど、
近くに居た誰よりも、言葉も感情も
吐き出せなかった僕はそれを
ただ信じて行くことで
自分という人間を
『認識』させているのだと思います。
あの日浴びた、生きていていいんだと
言う感覚をこの先の知らない
誰かに感じてもらえるように、

痛みの中でしか生きていけない人の隣で
そっと寄り添えるような人になりたいと、

闇の底から上を向いて思えた18年目の終わり。


第5部 『18年前』

前に触れた[理解]について
まず一つ目に僕は誰のことも信用しません
それはあくまでもスタートであり
ゴールでもありその途中でなにが
起ころうとその軸は変わりません
僕が[信用しない]という言葉をつかうのは
する しないを切り替えるという意味です
理解は時に深みにはまりながら
もがく時が来ますその一瞬の出来事に
自分を持ち去られないように
真実を逃さないように、
する しないを決めます
どんな仲を築いていて
どんな長い時間を共にしていても
一瞬の折に人間は視線を他へ移してしまいます。
簡単に言うと無意識で心を裏切ります。
そこに悪意もなく、善意もなく、
その時に置ける感情や興味を示すものに
移りゆくのは普通だからです。
あなたが普段通り隣でうたた寝していて
でもその数時間前になにをしていたなんか
誰にも分からないもので心の真実は
いつも不確かなところに
コロコロ転がるものなんだと思います。

絶対なんか一つもないから、
絶対的なスタート地点とゴール地点を
勝手に決めないという小さな
でも大きな僕のルールなんです。
心の防御をいつも気にして生きていたから
いつだってそうしてた。

月日を重ねるのは楽しくもあり
寂しい状況もたくさんありました。
けれど未だ生きてられているのなら
僕が僕でありますように。

第6部 『見えない声』

今この瞬間にこうしていられることが
少し息苦しい時があります。
それは決して悲観的なことや
不安な要素とかではないけれど、
フッと 気を抜いた時に
訪れる周期的なものであって、

でもどこか悲しいような感覚。

この『感覚』的な経験が少しづつ年齢を重ねて
薄れていってしまっていて、それをどこか
俯瞰的に見ては
懐かしいだけのものになっているんでしょう
この度この瞬間をもって
また新たな思い出になるであろうその
『感覚』とやらに少しだけ心を
触れられていくのでしょう。
僕らの生きているこの世界って中で
呼吸しているのですが何かの疑問と
何かの正解の中でしか生きていることが
できなくなっていたら、
それは当たり前にように奥底の自分が
少し不安を感じてしまうのかもしれません。
夜の時間を感じていたかったり、
何気ない会話をただただ聞いていたかったり、
そのごくごく小さい見えない物質を
自分の手で集めたを感覚を感じたくて。
思い出の中で生きている確かな記憶は
今生きることの一歩や
ひと呼吸になっていて
その吐き出した音にならない
言葉を誰かが勘づいちゃったりして、
また少し心の中でドキッとしちゃったりして、
そうやって誰にも知られることのない
自分を今日もスッと忍ばせてる。

僕やあなたの中で今、こうして呟きたい本当の『声』はありますか?

第7部『指先』

ここからのお話は
僕自身の19歳くらいからの記憶になります。

今描いているこの環境や
人生観の大半の一歩目になる
短くて長い数年が始まります。

これを読んでいる皆様の中で
今一番の悩みはありますか?
おそらく何かを思い描いたとおもいます。

小さくても大きくてもあなたに
とっての抱える何かは、
確かに一緒に 共に歩いています。
その手の中にある問題に
どれだけ向き合えているかなんて、
今は明確に言葉に出来ないですし
どうやって解決していけば
良いかなんてのもさらに
頭を抱える要因になっているでしょう。
人間である以上、ぶつかる痛みや問題に対して
対応していかなければならない時が来ます。

そんな冷静なことをつらつら言ってはいますが、
そんな判断を19歳の僕は
もちろんのことわかるわけもなく
凄まじい勢いで痛みに襲われていました。

人は簡単に変われる瞬間があって
それはいとも容易く
人間自体を方向転換していきます。
そんな方向に曲がったこともないのに
急激な勢いをつけて、心はねじれていくのです。

体験したこともない衝撃を身体いっぱいで
心いっぱいで味わい尽くすのです。
そうすることで僕の中で
新しい暗闇を生み出すことになっていくのです。

『人を知り』『人を見る』今までの人生において
関わってきていなかった
レベルでたくさんの人との
会話をしていく中で心の中には
『救い』と『迷い』が生まれました。

これまではなかったものを
急激に取り込みすぎて、
僕はボク自身の中身に無理を強要していました。

自分自身を問い続けた、
悩み続けたボクは次の自分である、
人の闇を聞く側になっていきました。

小さくても大きくても
あなたにとっての抱える何かは、
僕にとっての『救いと迷い』をくれました。
自分には訪れないと確信していた救いと
自分以外の迷いを知った時にこれまでの
自分の中での誰のためにもならない
『闇』が誰かの『光』に変わった瞬間でした。

言葉に出来なかった感情も、
関心もされなかった人間性も、
捻じ曲がっていた考えもこの瞬間では
知らない誰かの『救い』に変換された
衝撃は今でも忘れない
あの時起きた指先の震えは生きていることを
明確に知らしているようでした。

あの日から18年の歳月が経ち
振り返ることなんていくらでもあるけれど
どの記憶を辿っていったとしても
間違いだらけだったとしても
この記憶はこれからの誰かの
『救い』になるのだから
やっぱりまだ大丈夫って、生きていることに
前向きになれているんだと思います。

あなたの中にある今まで起きた
痛みや不安がもしかしたら

あなたの近くの手を差し伸べたい
大切な誰かの
命の繋ぎになるかもしれないのです。

今起きていることの重要性は自分ではなくて、
自分以外に触れた時に本当の重要性を
生み出していくのかもしれません。
心の震えに気付けますように。

第8部『光と闇』

過去のお話を今まで少しばかり
お話してきましたが、
まだまだ話足りないことばかりです。
今からお話する内容は普段ここ17年ほどの中で
沢山の関わってきた人達との積み重ねです

これまで僕自身の幼少期から
青年期(20歳ほど)までの
お話をしていました。

その頃も、僕は僕自身の『闇』を
まだまだ否定していた時期が続いていました。

少しづつ変化してきていた時期も
同じようにこの頃と重なるのです
少しだけ生きていることに
自信を持てた時から
自分以外の人間から相談ごとを
受けることが多くなってきました。
多種多様な問題が溢れていました

人間関係、恋愛、自分自身への、、、
などなどありきたりですが

どんな時代でも明確な解決なんてものが
ない人間としての悩みの数々、色々な種類の
お話を聞いては、自分なりの答えを発して
また考えて、その人の考えを砕いてはまた
構築して、新しい答えとして発してを
繰り返していく内に薄々感じてはいた
感情にぶつかる時がありました。

あれだけ自問自答して苦しんで、
死にかけて、でもまだ生きていて、、、

そんな自分が人様の悩みや言葉を聞いて
なぜ答えを出しているのだろうと

これはあくまでも主観ですが、
多様な悩みを聞いてはいるものの

死に直結していくような
内容の悩みは当然あまりなく、
必死に一生懸命やってはいたが

どこか自分の過去と天秤に
かけていたことがあったと思います。

僕自身の苦しみとみんなが
発している苦しみは
明確にどこかが違うんだと

感じながらもその過去の自分が
経験出来ていなかったが故に起きている
このズレを調整している
時間だったのかもしれないと思います。

色んな感情に振り回されて
必死だったのは相談相手だったんじゃなく
本当はやっぱりまだ当時の
僕自身だったのだと思います。
新しい自分を見つけて また新しい『闇』が
成長していく過程が始まった17年前。

そこから数年の中で沢山の
生きることへの悩みや

死を選んでしまいたい感情の
お悩みを聞いていた経験と
過去の自分の『闇』を含んだ経験は
人間そのものを見る『眼』になりました

夜毎に関わる相手からの相談や
感情を聞く心の聞き役となっていました。
それから今までをそうやって呼吸をするように

関わる人々の死生観を
共有して生きてきました。
本当に感謝

今のこの環境でもそれをすることに
意味があるかと聞かれたら
間違いなく言えるのは
誰かの為にやってるのと同時に自分の為にも
やっていると言えるでしょう。
だってどんな環境や今があろうと

過去の『闇』が誰かを救えるような
『光』のようなものになっているので、

同時に僕自身も救われているから、
終われないのは当然。


そして今現在のここ数十年に
及ぶ中での答えのような
お話をしていきます。
これらのことが少し理解出来るだけで、
関わる環境や対話する人間関係の中で
起きる事象を
ある程度明確にして
俯瞰で物事を考えられる
要素になるかと思います。

それでは長くなりましたが
本題へと続きましょうね

ここからは少しシンプルな話のようで
難しい関係性を生むお話をします。

ですが気をつけていただきたいのが、
これらの内容はあくまでも
僕自身が今まで生きてきた中で
感じてきた体験や感覚であり

辛い感情や楽しい感情のように
当たり前として味わったお話です

なのでこれが誰しもに
該当するわけではないし、
参考までに留めておいてください


生まれてからの自分を思い出してみてください

あなたは『闇』を感じて生きてきた人ですか?

あなたは『光』を感じて生きてきた人ですか?

この2択はそれからの対人関係そのものを
表していく指標になります。

この二つのスタートで行き着く
最初の合流地点はおそらく

相反する意見や感覚と何より
『理解』し合えない思考です

『光』を感じ成長してきた感覚の中では
『闇』の苦しみや葛藤は理解出来ないでしょう

行ったこともない部屋の間取りや
色や匂いは思い出せないからです。

『闇』を感じ成長してきた感覚の中では
『光』の当たり前の普通や
    言葉の輝きは行動出来ないでしょう

浴びたこともない刺激や眩しさを
表現できないからです。


この2択の二名がぶつかるというだけで大量の
『理解』出来ない事象が起きるのです

それが数名 数十名 数百名と増えていくことで
さらに難解なことになってしまいます

だからまず理解しないといけないことは
『理解』するということを
考える必要があります。

ざっくりいうとA型だから
こういう人、B型だからこういう人
という括りがあるように

人は過去からの積み重ねでいる
目の前の人を判断しているのではなく

今現在の結果の自分を
見られていることに集約してしまう
ということだと感じます。性質上、
光と闇の両者では
理解し合えない感情や思考の量が
多すぎるということです

なのでこれらを多少なりとも
解決へと向けて行けるのは

理解し合えない部分を
無理に見過ぎてしまわないようにするのと
相手自身の当たり前を
捻じ曲げないようにしないといけません。

僕自身が性質上『闇』でありながら
『光』に入っていけるのはこれらを
徹底して俯瞰で見て
中間から行うから成り立つと思っています。

どちらのことも互いが完全な理解が
出来ないのは最初から決まっていることなので

スタートの段階から理解している
フリをしないことが相手にとって
真実に近い寄り添い方になって
それが相手の心の余白を生んで、
相手の本来理解出来ない部分を
許容し始める事が出来始める
きっかけになるのだと思います。
簡単な事だけどたった二つの要素が

これらを極めて難しい関係を
作り出してしまうのが人間なのです。


僕の中ではこの二つの『光と闇』をまず
行動や仕草や言動や癖から基づき、
その人自身の過去に起きたことを想定して、
なぜそうなってきたのかをさらに付け足していき

相手が求めている
寄り添い方で関わっていきながら、
一緒に痛みや喜びを感じています。

出来ることに限界も責任も乗るような
辛くて暗くて痛くて、
でも生きたいが溢れている
お話を何度も何度も一緒に体験していることで
生きていることの意味を今でも
更新していって今も知らない誰かや関わって
いてくれる人々に助けられています。

昔関わったある子に言われた言葉が誰かを
生かす言葉にもなっています。

『生きてるってなに?』

その時返した言葉が自分の中で
どうしても今でも思い出せないのです。

だからこれからもこのお話は
続いていくんだと思います。


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