子どもの発達について(療育を知る)
3歳半検診にいった。
偶然にも3歳半検診の翌日に発達検査を受けることになっていて。
結論から書くと、療育に行った方がよいということだった。
療育のことなど、自分の中でこういう方向でやっていこうということをなんとなく決めてから受けたから、話はスムーズに終わる。
マイルールが強いこと、身体が動きやすいという特性があるから、社会的な部分を補う時間をつくってあげるほうがよいのではないかということだった。
息子はいろんなことに興味津々で、ことばも、想像することもこちらがハッとすることがある。山のなかで暮らしているから坂道で足腰鍛えられたのかとおもうほど体力に関してもびっくりするくらいタフ。
とにかくエネルギーの塊のような方だ。
最初に発達に関しての話を保育所の方に離されたのは去年の春。
「感覚統合じゃないのか」という話をされたとき、正直ピンとこなかった。
話を伺う中で気になることは以下のこと。
・友達にぶつかってしまうこと。やめてといっても、伝わらない。
・言葉はわかっているけれど、指示に対してことばが入らないこと。
・舐めるなど原始反射が残っていること。
「一度病院で発達検査を受けて未定欲しい」そう言われたのは最初の話の2ヶ月後くらい、夏のことだった。
小さな頃から意思が強くて、癇癪になることはほんとによくあり、途方に暮れることも少なくなかったように思う。けれど、そうなるときは理由があって、そういう性格なのかと思っていた。(今もそう感じる部分もある。)
保育所で、検査に行って欲しいと話をされてから、息子を観察してみることにした。
どういう時にどうなるのか。
どういったら伝わるのか。
息子はいろんなことを「イメージ」しているのではないかと思った。
例えば、十個お菓子が入った菓子袋を持っていたとする。
わたしはその中の二個を今日のおやつにしようと思うのだけど、その菓子袋をみたときに息子の頭の中で五個食べると決まっている。
だからその数がもらえないと癇癪になる。そんなようなことが日常のあらゆるところにあると思う。
はじめての子育てで同じくらいの子がどんなかんじなのか、それがどれくらいが個性の範囲で、どうなると特性と呼ばれるものになるかは正直わからない。
「お母さん、指示が伝わらないのですがどうしたらいいですか?」
と聞かれても、わたしもどうしたらいいのかわからないままここにきている。
その中でどういうふうに子どもを見守っていけばいいのか。
この半年くらいいろいろと考えていた。
私が思う大切なことは、集団教育についていけることだけではなくて、息子が息子としてたのしく生きていけれること。
社会の中で生きている私たちだからこそ、集団は大切だと思う。でも、まずは個人としてできることを学びながら集団を知っていくことがいいのではないかと感じている。
そして、わからないからこそ保護者である親、先生、信頼できる専門家が一段となって子どもを見守っていけれる仕組みがあるといいと思う。
みんなで見守れる仕組みをつくることが私が具体的に決めれることなのではないか。
そう思ったらあとは動くだけということで、今いろいろな療育を回って見学とお話を聞いている。
療育という個別に対応していただける場所があること。
息子を通してわたしも学ばせてもらっている。
わたしも、注意欠陥やこだわりというところをみたらなにか特性がある人だと思う。だから彼のこだわりも、理屈ではなくただ気になるのだということも、すこし想像がつく。
心に刻みたいことは。
息子はこうだとか、発達障害とはこうだとか、何か物事を決めつけないで、生きているということは「変わっていく」としながら、今、いまに、向き合って関わっていきたい。
「すーちゃんはすーちゃん」
友人からいわれたことばを懐にしまって。
時に泣きながら、時に笑いながら、ともに歩いていきたい。