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悟りという言葉が気にならなくなったワケ

以前この記事を書いたのですが「全ては私だった|悟りと呼ばれるものの理解と体験」、これをご紹介してくれた方がおり、それをきっかけにこの記事を自分でも久しぶりに見返しました。

ですが実は最近は悟り、目覚めという言葉があまり気にならなくなってしまいました。

なんとなく悟り、目覚めと呼ばれるものがこういう状態なのかも、というのがわかってきたからです。

しかしここでわかってきたと書いていますが、単にわかったと思っているだけかもしれません。そして私は何もわかってなかったのかもと思い始めています。

でも書いてみます。


思っていたのと違った悟りの感覚

以前からみんなが悟りと呼ぶ状態が、ずっと幸福な状態ではないというのはなんとなく分かっていたのですが、それがさらに理解が深まって、何かになるのではなく、ただ今の自分のまま、そのままを認識することだったんです。

今の私にとってはそれが悟りという言葉を満たすならやっていった方がいいことでした。

なので頑張って何かになる必要もないし、スキルも身につける必要がなくて、そんな自分では生活ができないんじゃないかと思うぐらい小さな自分を見て苦しんで、でもそんな自分をただ認識していく、過去に置き去りにされたことを思い出していく、ただそれだけなんだと思いました。

そしてそれをやって行き着く先は、人間として欲や抵抗感を持つ自分がいながらも、意識を拡張し、今自分だと思っている視点から人生を見る2つの視点を取り戻す。

さらに、その視点も外れていき、自分がただの空間になる、思い出していく。そういうことなのだと思います。


なので最近は悟りに向かっていく、というよりそれを思い出す、という方がピンときます。

だって今そのままの自分のまんまを認識するだけでいいですもの。


でもそう考えていくと人間的自分が思うのは、この世界の価値基準からすると淡々として面白くないだろうなということです。笑

ですが私は辛かろうがなんだろうが、やっぱり追い求めてしまいます。

なぜならそこに寂しさや怖さがありつつも、なぜかワクワクするような安堵感というか、そういうものがあるからです。


自分は悟っているのか、どっちでもいい

そして前はよくこの人は悟っているとか、悟っていないとかそういうことばっかり気になっていたのですが、それはどっちでもよくなってしまいました。

もちろん悟っているであろう人の本を読んだり、参考にさせてもらったりはするのですが、大きな視点で見れば全ての人は悟っていて、要するにどこの視点で見るかによって違うだけなんじゃないかなと思うからです。

そう思ったら自分は悟っているし、悟ってもいないので、まぁどっちでもいいし、みんな今やりたいと思ったことをやるのが一番だよね☆ってなってなってしまいました。

ここから先は悟っている、悟っていないという制限は最初からなかったのです。

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