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自己肯定感、自己受容。そもそも”自己”なんてものは幻想なんだけど、というお話。

”わたし”というものがあると信じていますよね

決断の主体であるわたし。
わたしのこの気持ち。
わたしのこの感情。
この文章を書いているわたし。
読んでいるわたし。

ほとんどの人が”わたし”というものがあると信じていますよね。
おそらく疑ったことさえないはず。
わたしも昔はそうでしたよ~。(←この”わたし”も実は錯覚)

そもそも、自分が「これが私」と思っているこ とも、ただの構成概念。 つまり「思い」や「考え」の集まりなんです。
『人生を変える幸せの腰痛学校』195p

拙著『人生を変える幸せの腰痛学校』にこう書いたのは6年前。
当時は「”わたし”はただの概念」だとそれほど理解できておらず、ただ構成概念という言葉を使いたかっただけでした(笑)

参考文献にも挙げた頼藤先生の下記のご著書に影響を受け、よくわからないまま書いたというのが本当のところです。

そもそも「人格」というのは構成概念なのである。構成概念とは、平凡社の哲学事典に よると (岩波の哲学・思想事典にはなかった) 「われわれの感覚、知覚において完全に与えられはしないが、われわれが感覚し、知覚する事柄を理論的に説明するために構成され、導入される概念。うんぬん」とある。 フロイトは精神分析の用語のほとんどが構成概念にすぎないことを自覚していた。しかし弟子たちや、臨床心理学者の多くはこのことを忘れて いる。「人格」などというシロモノは、誰も見たことがないし、触ったこともない。普通の 人間の内部に想定されている架空の主体である。
精神科医とは何者であるか』頼藤和寛 PHP出版

わたしはただの概念 わたしという錯覚

2022年現在の「わたし」は、「わたしはただの概念。わたしというものがあるという感覚は錯覚なんだ」とある程度理解しています。
そうなるとどうなるか? とてもとても楽に生きられるのです。

「幸せかどうかは自分で決められる」
うん、だって幻想だもん。なにを決めるのも自由。決めているという感覚もまた錯覚なんだけどね。

「自分にダメ出し、自分責めはまったくしない」
うん、だって「自分」なんてないんだもん。なにを責めるわけ?

という風になれます。

前野隆司先生とガザニガ先生のおかげです

そこで、今日は、わたしが「わたしは錯覚」と理解できるに至るまでに、お世話になった本と動画を紹介します。

最初の一歩は、前野隆司先生のご著書『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)』です。

この本に出会ったのは10年ほど前でしょうか。
なんだかよくわからない、というのが正直な感想でした。

一昨年、前野隆司先生が主宰されるオンラインサロン「ウェルビーイング大学」に入会したことをきっかけに、前野先生のご著書を読み返すことにしました。
脳シリーズ3冊、そして、関係するいくつかの動画を見ることで、だんだん、だんだんと理解が深まってきました。

脳シリーズ3冊のうち他の2冊

そうか、”わたし”も”感情”も”感覚”も”痛み”も、すべてクオリアなんだ。そして上の動画の中でも紹介されているガザ二ガ先生のこちらの本で理解がぐぐぐ~んと深まりました。

左脳にあるといわれる「インタープリターモジュール」の働き。
なぜこんなにありありと「わたし」という存在があるように感じるのか? それは脳の中に、記憶、経験、感情、感覚などそれぞれの活動に整合性を持たせ、ストーリーをつくる働きがあるからなんですね。
そうか、そうか、だからみんなストーリーにすぎない「わたし」や「自己」の探求にはまってしまうのですね。

「インタープリター」についての説明はこの動画をご覧ください。

この哲学チャンネルさんは、『〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義』についてシリーズで解説されています。
とても役に立ちました。

五蘊仮和合,五蘊皆空

そしてもうひとつ、五蘊仮和合という言葉を知ったこととです。

五蘊というのは、色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊のことで、ざっくりいうと、思ったり感じたり、考えたりするこの感覚。
これらの感覚が「インタープリター」の働きによって、整合性がとれたひとつのストーリーになったとき、そこに「わたし」があるような感覚になるそうなんです。
これに気がついた仏陀はすごいですよね。

わたしは「ある」けれど「ない」
これが色即是空。
わたしの大好きな世界観です。

心理学・心理療法では解決しない次元

子どもの頃から「こころ・心理・しあわせ」などに興味があり、山ほどの心理学系の本を読み、講座を受けてきました。

おかげさまで「慢性的な不幸感」から解放され、今では毎日ほぼ「いい気分」で「安心」して過ごせるようになりました。

心理学&心理療法、大好き人間だったのですが、ここ2~3年、特に心理療法への興味・関心が急激に褪せていったのです。
必要がなくなったことが一番の理由ですが、そもそも前提である「わたし」「こころ」についての見方が変わったからだと思います。

ざっくり言って「わたし」や「わたしのこころ」という実体がないもの(物語やストーリー)について探求し、あれこれ変えようとするのが心理療法です。

そもそも前提が「空」であるとわかれば、そりゃ興味を失いますよね。

心理療法に何年も何十年も通っているにもかかわらず、同じような悩みを抱え続ける人は多いんですよね。一生勉強は続く、何十年かかってできたパターンはそう簡単には変わらない、といわれればまあそうなのでしょうが、アインシュタインの言う通り、「わたし」「こころ」があるという前提の次元では、解決できないんじゃないかと私は思っています。

問題はそれが起きたのと、同じレベルで解決することはない
<アインシュタインの名言>

「痛み」の改善法も同じなんです。
その「痛み」の原因を探してあれこれ改善法を探っている間は、ずっと「痛み」に意識を向け続けることになり、改善に時間がかかります。
そうではなくて「痛み」は脳の神経活動。実体はない。○○が痛いと感じるのは脳の錯覚、とわかっちゃった方が早い気がします。

とはいえ、どうやったら「わかる」のか?
これが難問。
そもそも「わかる」ように人に教えることはできるのか?

理解は「する」ものではなく、「おこる」もの、と聞いたことがあります。
「理解しよう」と思って「理解できるもの」ではないのかもしれません。

ただ、上記にあげた本や動画を繰り返し見ているうちに、
「あっ」「わかった」という瞬間が来るのかもしれませんね。

「わたし、自己肯定感が低くて」
なんて言葉を聞くたびに、あ~勘違いなのにな、と思います。
よかったら「わたし」も「こころ」もないという世界観に触れてみてください。


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