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娘にピンク色のダウンを買って「性」について考えた日

今日は仕事の合間をぬってユニクロへひとっぱしり。娘のダウンがヨレヨレになってきたから新しいダウン&その他諸々を買うため。   
 
これ絶対似合うわ〜着せるの楽しみだわ〜と思って、もう明日の朝まで待てないと思って。娘の反応を想像しながら、保育園へ迎えに行く時にさっそく買ったばかりのピンク色のダウンを持って行った。  
 
大好きなピンク色のダウンを見た娘、案の定テンションあがりまくり。「ぴ、ぴんくぅ〜!!!かあいいな〜!!!」とか言って。私も私で「いいねいいね、似合ってるね!」とふたりでキャッキャしていると、なにやら嬉しそうだねぇと近くにいた先生も会話に混ざってくれた。「最近ピンク大好きなんですよ」と私が言うと、   
   
 
「そっかぁ。女の子だもんね、ピンク好きだよねぇ」と先生。  
 
  
わかっている。本当に、なにも深い意味はないなにげない一言なのだけど。   
 
だけど私はこの一言に違和感を持った。   
 
今日は、なんで違和感を持ったのか、考えることがあったからそれを書きたい。   
 
P.S. 決して「この発言どうなのよ?」と先生を批判するためではないのでその点をご理解いただいた上で読んでいただけると幸いです。  
  
 

 
 
私には、いわゆる「LGBT」に当てはまる友人がいる。  
  
彼が「自分は性同一性障害なんだ」と私に告白してくれたのは、私たちが高校生のときだ。自分の「心の性別」と「身体の性別」が一致していない、そう教えてくれた。  
  
社会で定義されている「女の子はこう」というものから自分はかけ離れたところにいること、それに合わせて生活しなければいけないことがずっと苦痛だったと言った。 
例えばそれが、親がつけた女の子っぽい名前だったり、制服のスカートだったり、「女の子らしくしなよ」という一言だったりする。 
 
そういった自分の中での戸惑いや悩みを、誰にも言えなくて苦しかったと泣きながら話す彼の姿を今でも覚えている。    
 
心が「女」の私にとっては普通のことが、友人には苦痛だった。自分の言動次第で(たとえそれが悪気のないものでも)、友人のような人を苦しめてしまうことがあるのかもしれないのだと知った。
 
彼のような人が身近にいたおかげで、私は「性」について考える機会が多かったように思う。娘が生まれたときも、「女の子だからこうでなくちゃいけない」と思わせてしまう環境は絶対につくるまいと思っていた。  
 
娘にありのままで生きてもらいたいと思った。
 
そしてその気持ちは今でも変わっていなくて。女の子だからどうとか、男の子だからどうこうとか、そんな考えを押し付けたくない。そう思って接している。   
  
 
で、冒頭の話に戻ると。
 
もちろん、「女の子だもんね、ピンク好きだよね」と言った先生は本当に悪気なく言ったと思うし、その発言で娘がどうなったわけでもない。私がその発言自体を不快に感じたわけでもない。
 
だけど、そのなにげない一言に、性のマジョリティに分類される人(私含む)に刷り込まれている、「男/女だからこうだよね」という無意識の偏見というか思い込みというか、そういうものを感じた。おそらくそれで違和感を持ったのだと思う。
 
そして、そういうものを感じて私は、改めて娘に対する「言葉選び」を気を付けていこうと思った。 
 
「女の子なんだから」と言ったところで2歳の娘がストレスを感じるとかは今のところなさそうだけれど、今の段階から私自身が気を付けていないと、それこそ彼女がもっと大きくなった時、ストレスを感じさせてしまう言葉を無意識にかけてしまいそうだから。   
 
 

 
 
と、ばぁーっと書いてみたけれど、今日は書きたいことがうまく表現できなくて若干消化不良を起こしている。でも今の私の文章力ではこれが限界。もっと文章力をつけてから書いたほうがいいかなとも思ったけど、今日思ったことを新鮮なまま残しておきたかった。

 

 

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