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サントリーローヤルを見ると思い出す事

私が小学生のころ、今から40年以上も前の話である。

私の親父はいわゆる呑兵衛でウイスキーを毎日常飲していた。
好みのウイスキーは、サントリーホワイト。
価格が安く気軽に飲め、自作のアジのなめろうやイワシの煮付け、鯨のタレなど地元の房総の魚介をあてに飲んだいたので、食中酒としてホワイトのサッパリとした比較的軽めのテーストを好んでいたのだろうと思う。
ホワイトが切れた時は、よく、近くの酒屋に買いに行かされたものだった。

私が社会人になり帰省した時、ホワイトより高級なローヤルをお土産に買って行ったことがあったが、親父はあまり喜ばず、「相変わらず甘ったるいウイスキーだよなー」と言って好まなかった。
ウイスキーは高ければ美味いというものではない、様々な味の違いもあって、また人それぞれに好みがあるのだとその時知った。
辛口な酒が親父は好みだったのだが、コスパも考えてあまり高い酒を買って気を遣うなとの意味合いもあったような気もしている。

日常ではローヤルとは無縁だったそんな親父でも年に一度ローヤルを買って飲む時があった。
毎年夏、T村さんが別荘にやって来る時である。

T村さんとは、父の知り合いで某大学医学部の元教授だった人で、都内で開業医をしていた。
私の実家の裏にある高台に別荘を持っていて、奥様を連れて毎年夏に遊びに来ていたのである。

親父がどんな経緯があってT村さんと知り合ったかは知らないが、T村さんから別荘の管理を頼まれていて、毎年夏T村夫妻が遊びに来る前には、別荘の周りの草刈り、部屋の掃除を行っていた。
夫妻が着いた日の歓迎の飲み会には、親父はサザエやら鮑やら伊勢海老やら房総の海の幸とともにT村さんの好きなローヤルを買って持参し、T村夫妻との飲み会に参加していたのだった。
実はローヤルは高級ウイスキーだったせいか、家の近くの田舎の酒屋には置いていなかったので、館山の酒屋にわざわざ買いに行っていた。

この飲み会には、親父は、何故か当時まだ小学生だった私に一緒に付いてくるように言われ、飲み会によく連れて行かれた。
夕方、実家裏山のT村夫妻の別荘まで歩いて5分位の距離だが、毎回ローヤルを持たされたのは今でも覚えている。

歓迎の飲み会は大人の酔っ払いの席であったが、私はこの飲み会は実は結構好きだった。

T村さんは70歳過ぎのとても穏やかな紳士で上品で房州の漁師町にはとうていいないタイプの人種で、聞く話が職業柄医療や研究の話をよくされていて、話題が新鮮で非常に面白かった。
そして、奥様は30歳代半ば位に見えて若くて綺麗で、感じが良い人だった。
都会の上品なお菓子、面白い本や図鑑、ラジコンやプラモデルをお土産にくれたり、「勉強はどう?」とか、「将来は何になるの?」とか、酒席の大人の話に退屈しないよう優しく話しかけてくれて、都会の色々な話が聞けて楽しかった。

毎年何回か飲み会には親父と参加し、別荘近くにカブトムシを捕りに行った時は別荘に寄ってジュースやお菓子をごちそうになったりしていた。
奥様に毎年会うのが本当に楽しみだった。

今にして思うが、T村夫妻は謎だった。
70歳の男性と30代半ばの女性。
今思うと、T村さんは愛人を連れて房州に旅行に来ていたのだろうと思う。
小学生だった当時は全く気にはならなかったが。

私が小学校5年生くらいの頃だったと思うが、ある日、小学校から帰ると鴨川にある某高級温泉旅館にこれから行くぞと親父に突然言われた。
訳を聞くと、T村夫妻が訳あって別荘に今後来られなくなる、T村夫妻とは、今日が多分最後の食事になるだろうとのことだった。

高級温泉旅館に着いた親父と私は、T村夫妻が宿泊する部屋に通され、そこでT村夫妻と食事をすることになった。
部屋は最上クラスで露天風呂が付いていて豪華な広いお部屋だった。
そこで夫妻と親父と私4人一緒にお別れの食事をした。
親父はちゃっかりローヤルを持ち込んでいて、T村さんと談笑しながら、みんなで豪勢な食事を楽しんだ。
T村夫妻は非常に満足しているようだった。

食事が終わりになる頃、奥様が突然、「洋くん(私の名前)、部屋の温泉に入って行きませんか?もしよかったら一緒に入りましょうよ!」と言った。

「一緒に?」

いきなりで、驚いて恥ずかしくなり、さすがに…と思ったが、T村さんがにっこり頷いていて、親父も「せっかくだから入ってこいよ」と言った。
内心では気があまり進まなかったが、最後だからということで奥様と一緒に入浴した。

入浴中は二人で温泉につかり、少し会話をした。
湯船からは太平洋が一望できたようだが、全く落ち着かず眺める余裕もなかった。
ちょっと湯が熱かったのと恥ずかしかったのもあって早めに風呂を出た。
風呂から出て部屋に戻ると、T村さんと親父はローヤルを酌み交わていたが、T村さんは私を見ると「ありがとう」と言った。
そして奥様が部屋に戻ると、少ししてから夫妻とお別れをした。

帰りのタクシーの車内で、親父が、「温泉はどうだった?」と聞いてきた。
「まあ、眺めが良かった」とあいまいに答えたが、「何でまた急に風呂に入ることになったんだろう?」と不自然な成り行きの疑問を親父に話した。

親父の話では、T村夫妻は自分の医院を継がせる子供が欲しかったが、二人には子供がなかなか出来なかった。
特に子供好きだった奥様が私のような小学生の子供が欲しいと常々親父に言っていたらしい。
私を養子にもらえないかとまで話していたらしく、親父も私が房州の田舎を出て都内で勉強して、医師を目指し医師になるのも悪くないだろうとまんざらではなかったようで、そのことをいずれ私に話すつもりだったようだ。

ただ奥様は最近体調を崩すことが多くなったので、しばらく別荘に遊びに来られなくなって、養子という話はなくなりそうだとのことだった。
ただ最後に「息子」と一緒に温泉に入りたいという願望があったようだと聞いた。
T村さんは喜んでいるからあまり気にするなと親父は言った。

もしかしたら、私はT村夫妻の子供になっていたのか~としばらくボンヤリと考えていたが、半年位経ったころ、T村さんの奥様ががんで亡くなったことを知らされた。
結構ショックだった…

以上がローヤルの四角いボトルを見ると思い出す話である。

親父はそれ以来ローヤルを買って飲むことは全く無くなったことは言うまでもない。

今現在、帰省の折はサントリーホワイトを土産に買って、親父の仏壇にお供えしている。


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