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「ホリー・ジョンソンの愛人」のホリー・ジョンソンは、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのホリー・ジョンソンである

 「ホリー・ジョンソンの愛人」というタイトルである。
 このタイトルを持つ短編は、私の中・短編集『スズキ』(櫻門書房)に収録されている。ホリー・ジョンソンとは、1980年代に活躍したバンド、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのリード・ヴォーカルである。バンドの活動が1980年代に限られているせいか、「リラックス」、「プレジャードーム」、「トゥー・トライブス」などの大ヒット曲があるにもかかわらず、最近での知名度は低いようだ。いまの若いひとに、ホリー・ジョンソンといっても、反応が薄い。というより、ない。知らないのだ。
 この短編は、とても短い。本文にも出てくるが、10枚(400字詰め原稿用紙)程度である。
 私の1980年代は、音楽と雑誌、レコード(CD)、ラジオなどから流れる情報を貪欲に吸い込んで、膨れ上がった鯨のようなものだった。大きなくちをあけて、情報をむさぼりたべていたのだ。
 当時、大学の仲間と同人雑誌に小説を書いていたが、大したものは書けなかった。仲間からは、批判されてばかりだった。仲間の口調は、激しかった。いまでも思い出す。「才能のかけらも感じられない」が、合言葉のようだった。その言葉で、相手を罵倒するのだ。

「おまえの小説には、才能のきらめきが感じられない」
「文章に、才能のかけらもない」

 その時期のことは、決して懐かしくはない。未来がわからない。未来が信用できない。そういう時期、そういう日々だった。青臭い時間。つまり、あれが(いまから振り返れば)……青春だったのかもしれない。
 この小説は、私の1980年代の思いを総括して封印するような気持で書いた。事実でも、実体験でもない。でも、思いは、本物である。
 この小説は、小説など読まないような、音楽好きの友人たちのあいだで、評判がよかった。
 下記の文章も以前、noteに書いたものだが、読者が少ないようなので、再掲載します。

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 「ホリー・ジョンソンの愛人」。このタイトルの小説は、中・短編を集めた私の小説集、「スズキ」に収録されている。
 このわずか10枚(400字詰め原稿用紙)程度の短編(掌小説)を書いたことには、いきさつがある。二十年以上も前、知人から「総合芸術雑誌」をめざす同人誌を作る、といわれて書いたものである。
 「総合芸術雑誌」とは、知人によると、絵画や文学、評論など従来の文芸雑誌、美術雑誌の枠を超えて、いろいろなジャンルの作品を載せる、ということだった。
 この知人は画家であり、詩人であり、小説も書く。そしてかなりの論客でもあった。画家の周辺には、若く、無名ではあったが、演劇人、小説書き、評論家などが多く周囲にあつまっており、実現が充分に可能な環境だったのだ。
「バインダー形式で出す」とそのとき、画家からいわれた。
 
「読むという行為は、純粋に読者のものであって、作者のものではない。作者は情報を発するかもしれないが、受け取ったとたんに、それは読者のものになる。読者が自由にしていい資格を持つ。それを目に見えるかたちで、あらわすのだ。それがバインダー形式だ」

 読者が自由に作品の順番を組み変える、組み変えられる雑誌。文章はページ単位で、分断される。つまり、連続して読めない。
 バインダー形式で雑誌を提供する、という考え方は面白い、と私は思った。と同時に、予算と価格の折り合いがつくのだろうか、とも思った。若くて、無名、ということは、お金がないということと同義でもあったからである(画家は富裕層の出身らしかったが)
 まあいい。私は私に与えられたことをするだけだ。並び変えが自由で、しかも内容がわかるような形式の小説を書けばいいわけだ。
 文章の断片をどんどん並べていく書き方にしよう、と思った。断片として完結していて、しかも全体を順番どおりに通して読んでもふつうに読める小説である。

 書き上がって、私は小説を渡した。
 そのとき、ほかのひとが書いた小説を読ませてもらった。ごくふつうに書かれた小説が多かった。
 あれ。話がちがうぞ。雑誌の趣旨がきちんと伝わっていなかったのだろうか、と私は思った。どうするのだろう。
 でも、それは私が考えることではない。
 運営側が考えることである。

 結局、その「総合芸術雑誌」の企画は実現しなかった。創刊号は発行されなかった。
 ネックとなったのは、いったいどこだったのか。
 予算なのか。作品の質がいまいちだったのか(画家は、作品に対する優れた目利きでもあって、作品のよしあしに厳しかった)。
 どの時点で消滅したのか、私は知らない。
 結局、その後、一度として、私は、画家と会うことがなかったのだから。

 いずれにしろ、私の手もとには、ひとつの小説が残った。ずっと机のなかにしまいこんで、陽の目を見なかった小説である。私の頭の片隅にだけ、思い出のようにひっそりと置かれていた小説である。 

 ある日、アパートの押入れを整理していたら、段ボール箱のなかから身に覚えのない原稿用紙の束が出てきた。女の子の丸文字で書かれた手書きの小説で、作者名は記されていなかった。私はかつて同人雑誌をやっていたことがあった。だからおそらくその同人の一人だろう。読んでみてほしいといわれて預かって、そのままになってしまったのだろうと思う。
 読んでみると、固有名詞などからとうに過ぎ去ってしまったある時代を思い起こさせた。その意味でも興味深く、このまま埋没したままになるのは惜しいと思い、以下、その小説を正確に書き写すことにする。
 どの程度、事実が作品にしみこんでいるのかわからないが、「ホリー・ジョンソンの愛人」というタイトルの小説である。

 2013年に中・短編集「スズキ」を出そうと思ったとき、この小説のことを思い出し、二十年以上もの歳月を経て、この小説を収録しようと思った。その際に、このまえがきを書き加えたのだった。
 もちろん、この小説は、完全にフィクションであり、このまえがきも完全にフィクションである。
 ただ、そのフィクションのなかに、現実の自分の思いを、秘かに封じ込めた。

 その思いは、読者に、伝わっただろうか?


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