どんなわたしも、どんなあなたも、笑っていられる。
昨日、年下の友人と
自分のミッションやビジョンについて
話をする機会がありました。
私のミッションは、
先日ブログに書かせていただいた
「年長者としての役割を果たし
人生の受容に向かう旅」
です。
その友人がご自分のビジョンと
考えているのが
ブログのタイトルに書いた
「どんなわたしも、どんなあなたも、
笑っていられる(世界)」
でした。
最初に聞いた時にも、
「とてもいいなあ・・。素敵なビジョンだな」と
感じました。
けれど、そのひとつひとつの言葉に
込めた想いを聞いて
尚更、素晴らしいと感じたのです。
それは
「どんな」
という言葉に込められていました。
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「色々な」とか
「様々な」とか
という言葉も考えました。
多様性を表す言葉だけなら、
それでもよかったのです。
けれど、なんだかしっくりこない。
「どんな」という言葉には、
多様性だけでなく可能性も
込められていると感じたのです。
どんな時も
どんな人も
どんな状況も
のすべてを含む
「どんな」
例えば
「今がどんなに辛くしんどい状況でも
笑える時が来る」
「どんな人も今が辛くしんどくても
笑えるよ」
と伝えたかったのです。
今ではなく、未来の可能性を
込めたかったので
「どんな」
という言葉にしました。
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とおっしゃるのです。
私は、そのお話を聞くまで
「どんな」という言葉について、
深く考えたことがなかったので
衝撃を受けました。
言葉ひとつひとつに想いを込めて、
自ら紡ぎだして作る
ビジョンやミッション。
それが定まると目指すべき道が見えて
迷わず前に進めると思うのです。
今の私がそうですし、
年下の友人もそうです。
あなたのビジョンは何ですか?
あなたのミッションはどんなミッションですか?
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