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笑いの王国が日本に地歩を築いた

夏の暑さより、冬の寒さの方が、どちらかと言うと辛いが、いきなり冬本番の雪景色に見舞われ、第二波の寒波襲来で、大雪になり、耐え忍ぶ季節を迎えた。今季の先行きが思いやられる。近年、仕事の関連もあり、会津で過ごす事が多いが、過酷な季節に潜んだ情緒や人情の機微を未だに理解出来ていない。春爛漫、秋華秀麗さえも満喫していない様な気がする。今年も後、数時間。異常さを帯びつつも、悲喜交々の情感を伴いながら、来年以降も安閑と出来ない日々を過ごすことになると思うが、多少の余裕も持てなかったことを省みて、忙中、閑を噛み締めて、丁寧に過ごしていきたいものだ。まだ間に合う事を願って。

かって、人は、知られたくない、黒歴史、ホワイト、グレー、ブルー、ブラックな時代をひた隠しにして生きて来たものだった。特に、1941年の太平洋戦争の敗戦前後に苦労してきた人達は、暗い時代を嫌い、明るく、希望のある話題を求めていた。しかも、、過去を封印して多くを語らない人達も多勢いたと思う。既に、ドラマでは、そんな境遇から脱却した人物を扱い、人気作品の数々を生み出していた。しかし、その戦前、戦中、戦後世代に育てられ、艱難辛苦を克服し、成功した一部の人が、勇気を振り絞り、カミングアウトしたり、貧困に喘ぎ、友達にも恵まれず、孤独な時代を過ごした過去を語る様になり、時代は一変した。

その端緒を切り開いたのは、間違いなく、明石家さんまさんと大竹しのぶさんの結婚であった様な気がする。国民的人気女優と人気絶頂のお笑い界の王様。二人とも同じトレンディードラマの主演を務めていたので、世間に衝撃を与えた。以前にも女優さんと各界の成功者との結婚は、話題になっていたが、同じ芸能のジャンルとは言え、トップ女優さんが、玉の輿に乗る風潮に逆らって、いささか、毛色の違った、新興勢力の頂点の人とペアーになった例がなかったし、届くはずがない高嶺の花をゲットしたかに見えたので、多くの人に夢と希望を与えた。誰が見ても、さんまさんの逆玉に思えたが、それも杞憂に終わった。離婚を踏まえ、大竹さんも他のジャンルにも挑戦し、巧さにナチュラルさが憑依し、演技をしている様には見えないほど、役に、なりきっているし、かたや,さんまさんは、そのことさえも想定内であったかの如くクリアーし、以後、脇目も降らず?お笑い界の局地を極め続けている。しかも、大御所でありながら、現場に降りてきて、若手や人気芸人達と絡みながら、全力で視聴者や出演者を楽しませている。まさに、小さな出来事を見逃さず、テーマに沿って笑劇で繋ぐオムニバスドラマに仕立てている、優れた出演者、MC兼プロデューサーである。最近のお笑い芸人の人気度ランキングでも、一位、ニューヨーク、五位、明石家さんまとあり、未だ、笑いの戦場で闘っているのが窺える。笑いに関しては、妥協せず、厳しすぎることを揶揄する向きもあるが、バラエティー番組等では、それぞれの良さを引き出し、強調し、転がし、人気者を輩出するのに大いに貢献している。

時を前後して、若手お笑い芸人及び志望者が、目的を成就する為、数多の犠牲を厭わず、大志を抱き、切磋琢磨しながらチャレンジを続けている。さんまさん等のバラエティー番組に出演し、いじってもらい、脚光を浴び、起爆剤にする、そんな構図も出来上がった。芸人達も過去現在にかかわらず、奇行、奇癖、人に知られたくない事などを惜しげもなく、むしろ開き直って語るのがトレンドになった。並行して、笑ビジネスも盛んで、各賞レースで競い合い、登竜門である、鯉の滝登りをしているかの風情がある。

それらの影響も陸続と現れている。従来、対象にもならなかった人達が、上り詰めた彼等を意識する様になり、社会で、一定の、ポジションを確保出来た。しかも、波及効果も少なからざるものがあった。社会全般に、好きなこと、やりたい事をひたむきにやっていれば、何時か日の目を見る事があるという期待を抱かせてくれている。やればできる!現に、高学歴で、安定した民間企業、公務員を目指していた人達の一部が、自分の将来に疑問を感じ、苦慮しながらも岐路を選択しているし、従来の路線を辿っている人達も、後悔しない様、思い切って転職もしている。成功する人よりも失敗する人が多いと思うが、少なくも、自分を何とかしなくてはと言う気にさせている。更に、1941年前後に、戦争による悲惨な体験をした人達も、自分の責務として過去に区切りをつけ、清算する為に忌まわしい過去を語り始めている。

元々各界で活躍し、その実績を踏まえ、得意分野の課題を解決し、発展させたり、広範な分野に於いても、その知見を生かす為に政治の世界に挑戦するルートがあった。更に、若い頃から青雲の志を持つていたり、政治家二世の人達が日本や地方を何とかする為に政界入りをしていたはずである。然るにこの度、驚天動地の政界事情が発覚し、多くの国民が、唖然、呆然、愕然とした。神話にも便乗した、日出る国の万世一系の天皇を奉じ、日本が、アジアの盟主と信じて疑わない保守勢力の大半の政治家が、韓国のキリスト教団体と気脈を通じ、日本の信者の犠牲のもと、支持基盤を強化して貰い、選挙活動に多大な奉仕を受けていたのである。国力に自信とプライドを持っていたとしても、本来、日本人の由来や文化に多大な影響をもたらしたアジア諸国に対し、感謝すべきであり、先の戦争で迷惑をかけたことに対する反省により、謙虚な言動を以って然るべき立場を忘れてはならない。しかし、知ってか知らずか、姑息で破廉恥な行為により、政治信条と異なる、二律背反の構図を見せられた思いになった。国民の一部の信者に、巨額の献金や不当に高額な物品の購入をさせ、経済的に疲弊させ、精神的にも家族を拘束して、どん底の状態に貶める悲惨な状況を招来し、その資金の流れで、保守勢力が恩恵を得ていた事が、安倍元総理の銃撃事件をきっかけに白日の元にさらされたのである。

思えば、個々の国民は、国から、新自由主義の自己責任を強要されるまでもなく、以前から、頼りにならない世情を鑑みて,自己責任を自覚し、生きる為にコツコツと努力を重ねてきている。中でも同胞達が各界で抜きん出た活躍する状況は、我々、個人個人を奮い立たせてくれるモチベーションになっている。それに比べ、国が何か、全国民の大半を一時でも幸せにする政策を先取りして発表し、信頼と安心感を持たせてくれた事があっただろうか。また、世界各国に先駆け、独自のリーダーシップを発揮し、国民に誇りを持たせてくれた事があっただろうか。思い出す事が出来ない。むしろ、拠出を強いられることが多く、国に奉仕するが、守ってもらえないし、日本人としての誇りを持たせて貰えない意識の方が強いのではないだろうか。先人達の努力や強い要請でこれまでの立場を確保しては来たが、国民や人類の幸せに尽くすべき立場の人たちが、表向き、高邁な政治理念をぶち上げているが、その実、自己の保身と地位に連綿としがみついているに過ぎないのではないだろうか。

我々は、過激な時代を通り過ぎ、物分かりのいい、穏健な国民になってはいるが、我慢の限界がある。この際、与野党を問わず、薄汚なかったり、メッキが剥げたり、成長がなく、理念を実行する意思と手段を持たない政治家には、撤退して貰いたい。日本や地方が、どうあるべきか、どう進むべきかの最小公倍数、最大公約数は、自明だと思う。そろそろ、党派、イデオロギーに依らず、何とかしたい救国のグループが出て来ても良いのではないだろうか。


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