伊藤武@斎藤清版画ギャラリー

福島県会津若松市で斎藤清版画ギャラリーを運営しているイトー美術( http://ito…

伊藤武@斎藤清版画ギャラリー

福島県会津若松市で斎藤清版画ギャラリーを運営しているイトー美術( http://itobi.sakura.ne.jp )の伊藤武と申します。 自分が生涯を託した作家とその画業をお知らせすると同時に、日々の雑感を思いつくまま書き留めたいとの思いで、noteをはじめました。

最近の記事

「何としても、人に喋りたいことがある」

齢を重ね高齢になると、いい話・楽しい話・特異な体験や気付いた事・ためになる話・お薦めの場所・店等を人から聞いたり自ら喋って、モチベーションを上げ、明るい気持ちで過ごしたいものだ。私が、お笑いやバラエティ好きのくせに、根がオモロい男ではないし、取っ付きにくい印象を与え、相手が盛り上がらなかったり、又、自分が話をしても、すべったりして、話の意図が伝わらない事もある。それでも、何としても人に聞いてもらいたいことがある。 先日、何度か訪ねたことがある、新潟県五泉市のお客様、「そば処

    • 「病気や痛みの治癒には、四択あり」

      動物が病気になったり、怪我をした時、如何に対処するだろうか。自然に治すか本能や群れ同士の伝達によるのか解らないが、薬効のありそうな液体や地の恵みに辿り着くかの、どちらかしかない。人間の場合は、自然治癒、民間療法、医師の診察による薬の投与か手術が一般的だ。しかし、最近は、先ず医院や病院に駆け込む人が多く、しかも、直ぐに別のところで診察を受けるので、何処でも患者が溢れてる。大きな病院は、医師の紹介状がないと受け入れないところも多い。厚生労働省が、大病院等による診察の必要性があるか

      • 「最初にして最後の我田引水が始まる」

        私は、会津若松で会津出身の版画家斎藤清作品のギャラリーを営んでいるが、 何十年も前は、主に福島県内で油絵・日本画等を紹介していたが、ふとした 縁で、斎藤清の木版画に出会い、驚愕を覚えた。芸術性、多様性に優れ、抜群 のデザイン力があり、リアルな、日本及び世界各国の風景の中に、何故か、そこはかとない郷愁を感じさせられるものがあった。もっとも画家自身は、絵は、あくまでも構図であり、郷愁を意図して表現をしていないと語っている。当初は、理屈でなく、一瞬にして心打たれ、こんな作品を扱って

        • 人・国・生命・自然の来し方を埋もらせる訳にはいかない

          一昨年、加山雄三さんが最終ライブを終え、ホッとする表情に、一抹の寂しさを湛えていたが、紅白選出の連絡が入り、みるみる生気が蘇っていた。それ迄の人生に区切りをつけるチャンスに恵まれ、以後の人生にも弾みが付けられ、感無量だったに違いない。ツアーライブを辞め、これからの生きようを、常に、関心・感動・感謝を以て過ごし、以後の作曲、絵画制作等に備えると話していた。昨年、朝日新聞に連載された「人生の贈りもの」の連載を終え、徹子の部屋」にも出演し、過日、87歳の誕生日を迎え、成し遂げた業績

        「何としても、人に喋りたいことがある」

          笑いの王国が日本に地歩を築いた

          夏の暑さより、冬の寒さの方が、どちらかと言うと辛いが、いきなり冬本番の雪景色に見舞われ、第二波の寒波襲来で、大雪になり、耐え忍ぶ季節を迎えた。今季の先行きが思いやられる。近年、仕事の関連もあり、会津で過ごす事が多いが、過酷な季節に潜んだ情緒や人情の機微を未だに理解出来ていない。春爛漫、秋華秀麗さえも満喫していない様な気がする。今年も後、数時間。異常さを帯びつつも、悲喜交々の情感を伴いながら、来年以降も安閑と出来ない日々を過ごすことになると思うが、多少の余裕も持てなかったことを

          笑いの王国が日本に地歩を築いた

          サッカーのパスワークは、現代の人間関係にも応用できる

          サッカーのワールドカップ日本代表の試合が、11月23日午後10時〜(日本時間  )に迫っている。情報化社会のお陰で、それなりの知識を得て、気のおけない人と話をするのが楽しいが、交流範囲が狭く、レベルアップも図れない。今は、特に、コロナ禍の自粛で、唯一とも言うべき、サッカーだけでなく、スポーツ全般、芸能、社会、政治等について、語り尽くせる、高齢になってから友達みたいな存在になった二つ違いの兄と疎遠になっているのが寂しい限りである。そんな所為で、兄からコミュニケーションの手段をY

          サッカーのパスワークは、現代の人間関係にも応用できる

          秋の一日、評判の、道の駅を渡り歩く

          先日、山形県に出かけ、「米沢道の駅」に寄ってきた。買い物のビニール袋は、無料と表示してあった。大盤振る舞いされると、消費意欲が刺激される。以前から来県する時は、必ず、基点にしていた。品揃えが良く、野菜、果物も新鮮で補充も完璧である。特に、棒鱈の煮付けは、生臭さが少なく、酒を嗜む人や魚嫌いでない人には、甘じょっぱい味で独特の歯応えと後を引く食感がクセになる。日本各地の山国地域に出向いた折、この保存食を求めたが、米沢に優るものは少ない。数多くある、道の駅でも、東日本有数の売り上げ

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          生命を賛美し憐憫の情を持ち、自然の荒廃を抑止すれば、まだ間に合うかもしれない

          今年は特に、春夏秋冬が混在し、三重苦以上の、つらい日々を過ごしてきた。それでも、行きつ戻りつを繰り返しながら 南北に長い日本列島各地で、四季を体感できるのは、ありがたかったし、自然復元力には感嘆するばかり。その感謝の念で、少しでも、自然に負荷をかけない生き方と自分自身、本来の生命力に基づいた体力を維持したい。 10日以上前、いつも繰り返し通る、僅かな段差に躓き転倒した。咄嗟に、手と膝で支えたが大事には至らなかった。ただ、右、手の平、下部左側を擦りむき、毎日、治り具合を気にし

          生命を賛美し憐憫の情を持ち、自然の荒廃を抑止すれば、まだ間に合うかもしれない

          特定のワードが気になる今日この頃

          依然、睡眠負債が続いており、克服する為の方策をあれこれ試している。そんな矢先、更に、眠りを妨げる要因が加わっている。スポニチを毎日見ているが、中央競馬の馬名が気になり出した。夢を託せるような感心する名前が少ないようだ。世相を反映しているのだろうか。ヌーディーカラー、カワチャンフェイス、ネバレチュゴー、ポポラーレウーノ、ハナハナグスト、テンテキセンセキ、チアチアクラシク、チカポコ、タターガタ、ハットグッドゲット、デルマウッチャリ、ノーエクスキューズ、アパラージタ、ラヴィダヴィ、

          特定のワードが気になる今日この頃

          郷里に対する思い入れと優しさが人口の流失を防ぎ日本の進路も決める

          先日、散髪に行きそびれていた。だいぶ前から、予約制になっていたし、コロナ禍でもあり、お盆の時期とも重なっていたが、やっと都合がつき、サッパリすることができた。しかし、店に合わせ、約束の時間通りに行かないと歓迎されないので、結構気疲れした。以前は、余裕があった。早めに行って、新聞、雑誌、漫画を読んだり、居眠りをして、時間がくるのを待ち、その場がくつろぎの時間、空間にもなった。 そう言えば、近頃、どこかへ行こうと思っても、直ぐに行動を取り難い。消費者が、先方の意向を踏まえ、合わ

          郷里に対する思い入れと優しさが人口の流失を防ぎ日本の進路も決める

          やっとワースト三品の食事に出会ったのは、幸せな食生活の証

          腹が立ち、終いには、笑ってしまうほどの不味さだった。先日、二、三年前から気になっていたCafe定食で昼食を取った。辛さも多少の甘味もないナポリタンがしょっぱ過ぎて、水を飲み飲み食べきった。人生80にして、ワースト三品の食事に出会ったのだから、これまでの食生活が、いかに恵まれていたかと言うことでもある。物心がついた1945年以降、戦後の厳しい時代を経て、これまで、ほぼ100%満足してきた。その環境と単に食いしん坊に過ぎないかもしれないが、美味しいものを追いかけるに長けた執念が続

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          オンリーワンを自覚出来ない時代を生きる

          世の親は、子供が誕生するまでは、五体満足に生まれてくれば有難いと思い、誕生すれば、子育てに腐心する人も多い。自分の成功体験に鑑み、子供にも生き方を踏襲させ、いい暮らしをして貰いたいと思い、かたや、自分の越し方を反省し、子供にだけは、こんな親になってほしくないと願い、親と真逆の生き方を請う。他にもその親子なりに、見守られながら自由に育ったり、まったく野放し同然に育つ子供もいる。どの子供が幸せかは、子供の資質と受け止め方にもよるので一概に言えない。日本の子育てや教育に対する理念も

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          生死選択の最中でも、この夏どうしても着たいものがあった

          香川照之の「昆虫すごいぜ」というNHK 地デジの番組がある。子供向けの教育番組なのだが、興味が尽きない。いい大人が童心に帰って昆虫採集に夢中になり、昆虫を通して、生命の偉大さ、尊さを語り、我々、大人でさえも鼓舞されることがある。先般、国蝶の岐阜蝶を追った時の昆虫愛、リスペクトがハンパではなかった。道中も欣喜雀躍し、積年の思いを手にする心情が溢れていた。ご本人も言っていたが、役者稼業。演技することも可能な事を垣間見せていたが、やらせでない言動が心を打つ。岐阜蝶の羽をそっと押さえ

          生死選択の最中でも、この夏どうしても着たいものがあった

          他の車を慮らずには、車らしく走れない

          今や、車による走行は、多くの人に、直接、間接拘る事で、無関心では、いられない。自分勝手に走行していたら、大混乱に陥るので、道路交通法で、一定の規則を設け交通整理をしているし、交通マナーを潤滑油にして、スムーズで気持ちのいい走行を目指している。しかし、現状では、何らかのストレスを受けたり、与えたり、憂鬱な気分を引きずることが多い。何故なのだろうか。 違反運転をすれば、罰金と行政処分が課せられるので、ルールは守らざるを得ない。それでも無用と思ったり、悪質な違反が跡を絶たないし、

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          蕎麦街道を車で走って改めて気づいたこと

          普通、蕎麦街道と言うと、道路沿いに少なくても数件の手打ち蕎麦店が点在しているのを想像することだろう。山形県の次年子蕎麦が食べられる国道347号近辺の村山市〜大石田地域はそんなイメージがあるのだと思う。何件かを比べることができる楽しみがある.長野県中央の戸隠は、おいでおいでをしているかのように次々に店が現れる。信州・伊那地域等は、予備知識がなくても、行きさえすれば、ひょっこり蕎麦店が現れるし、何とかなる。従って、新蕎麦の季節には、長野は全国区の話題にもなる。蕎麦文化圏から離れた

          蕎麦街道を車で走って改めて気づいたこと

          メディアは、事実か、忖度しないであるべき姿を示すしか生き残れない

          一ヶ月近く前だったが、NHK BS⓷チャンネル午後後10時より、七回連続ドラマ「今度生まれたら」の⓹⑥⓻を見た。古くて新しい問題。女性が意識する、結婚・出産・子育て・配偶者の転勤による自分の趣味やキャリア断念や夫の仕事や投資等の失敗・過ぎた道楽等により期待を裏切られた現状の、虚しさと後悔の念。男性が思うところの女性のボス化による、家庭での居場所のなさと閉息状況から脱したいと願う、いつまで経っても細やかであれば、やり直せるのではないかと思っている理念や情念。この二つの縦の流れに

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