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人・国・生命・自然の来し方を埋もらせる訳にはいかない


一昨年、加山雄三さんが最終ライブを終え、ホッとする表情に、一抹の寂しさを湛えていたが、紅白選出の連絡が入り、みるみる生気が蘇っていた。それ迄の人生に区切りをつけるチャンスに恵まれ、以後の人生にも弾みが付けられ、感無量だったに違いない。ツアーライブを辞め、これからの生きようを、常に、関心・感動・感謝を以て過ごし、以後の作曲、絵画制作等に備えると話していた。昨年、朝日新聞に連載された「人生の贈りもの」の連載を終え、徹子の部屋」にも出演し、過日、87歳の誕生日を迎え、成し遂げた業績に対する達成感に浸るでもなく、これから先を見据え、淡々と、爽やかで、スマートに生きる姿を想像して、おこがましくも、高齢化社会のお手本として見習っていきたいと思った。

最新のDNA鑑定で、古代人骨を解析した結果、日本人のルーツが明らかに成りつつある。現在、タイ南部に何万年と暮らしている四千人程度のマニ族(ホラビニアンという種族の一部)が、アジア諸国中、現在の日本人に最も近いらしい。古来、アフリカで誕生した人類の祖先で、アジア方面に進出したホラビニアンの一定の集団が、交雑することなく、ユーラシア大陸から分離した日本列島各地に居住する様になり、狩猟文化の縄文人になったらしい。その後、大陸から農耕文化をもった人々が渡来し、弥生文化圏を形成する。紀元230年代には中国の魏に、耶馬台国の卑弥呼が女王として認証されたことが魏志倭人伝にも記録されており、発掘調査により、勢力圏の証とされる前方後円墳が、日本各地で続々見つかっている。5世紀にはヤマト政権に引き継がれ、中国の宗に誼を得て、当時の国家造りに必要不可欠な鉄の産出地である朝鮮半島の百済と共に、高句麗を撃破し日本国を保持した。その後、幾多の政変を経て、天皇を中心とした高官等が遣隋使、遣唐使を派遣し、律令制度を習い、伝来仏教により人心を和らげ、神話も創成し、大陸から諸々の文化を取り入れた。奈良・平安時代には、完全に、天皇・貴族を中心とした中央集権国家体制ができ、日本・日本人の礎を築いた。

平安末期になると、台頭した武士の覇権争いを経て、天皇を中心とする朝廷に依らず、源頼朝が1185年に鎌倉幕府を開設し、北条氏の政権が引き継ぎ、実質的には武士階級が日本を牛耳ることになった。室町末期には、天皇を擁した足利幕府の崩壊により、下克上の戦国時代となった。各武家中、織田信長が天下統一を達成しかけたが、本能寺の変後、瞬時に権力者への階段を駆け上った豊臣秀吉が頂点に君臨した。幕末に至るまで、国内の権力移動は多数あったが、四辺、外洋で隔てられた日本に於いては、国の命運を左右する様な戦争は、鎌倉時代の蒙古襲来と秀吉の朝鮮半島出兵のみであった。多大な損失と疲弊による人心の倦みを慮り、国内的にも戦のない日本をつくるのが急務となり、徳川家康は、秀吉の歿後、時を経ずして日本を再統一する。権威者である天皇・宮家を利用した政治権力の奪取を回避し、1603年、徳川家による政治権力の持続、禅譲を期し、江戸幕府を開設した。より強化した所司代を置き、近畿以西にも警戒を怠らず、各藩に密偵を送り、日本全土を完全に掌握することになった。更に、日本の独立性を維持する為、外国文化との接触を長崎の出島とする鎖国政策も取られ、封建制度下、士農工商という身分制度の徹底が図られ、ある一定の範囲でしか自由が許されなかったが、江戸町民文化、京都の雅文化、大阪の商人文化等の華が咲き、260年余の永きに亘り、天下泰平を享受出来た。

然るに、1868年の明治維新を遡る幕末に、開国を迫る欧米諸国による外圧が高まり、世界の流れから取り残されていたアジア諸国中、日本は、公武合体を計り、王政復古を遂げ、天皇を中心とした立憲君主国になり、大日本帝国憲法を発布し、正当性を内外にアピールした。明治政府は、喫緊の課題として、近代化と富国強兵策を選択し、1869年(明治2年)にアイヌ民族の居住地でもあった蝦夷地を北海道として統治下に治め、1877年(明治10年)には、琉球王国を併合し沖縄県とした。資源立国でない日本は、欧米列強による侵略を防ぐ為の大東亜共栄圏を築き上げるという錦の御旗を掲げ、資源と領土拡大を求め、アジア諸国に国民を移住させ、植民地政策を実施した為、当地国や西洋諸国等との軋轢が生じ、利害得失も対立した。武力衝突を繰り返した挙句、1941年12月8日の日米決戦の太平洋戦争に突入し、人類初、原爆投下の洗礼を受け、史上最大の代償を払わせられ、1945年8月15日に敗戦が決定した。

戦後初めて、象徴天皇を戴き、立憲主義による民主主義国に移行した日本国と国民は、荒廃した国土の回復と日常生活に必要な物資の取得や食糧不足の克服に腐心し、艱難辛苦を耐え忍んでいたが、南北朝鮮戦争等による特需もあり、驚異的な経済復興を遂げた。日本が再び独立するまで、統治国アメリカの意向もあり、戦前の勢力と官僚体制をある程度、温存、利用する流れが出来、資本主義経済下、民主主義の主要素でもある自由主義、個人主義、実用主義に見舞われ、当然の帰結として、現在の新自由主義に辿り着いてしまった。しかも、成長経済に甘んじて、要らざるものと足らざるものを峻別する事なく、今日迄来てしまった。

幸にして、現在の日本は、先住民等の権利が侵害されていたり、北方領土の領有権回復や領有権確立等の問題もあるが、1945年以降は、概ね、他国とのトラブルが最も少ない国の一つであり、未だ大事には至っていない。これまでの歴史を俯瞰して見れば、小さな島国列島の日本が、神国でも、単一民族でもなく、普通の国として、諸外国から様々の恩恵を得て、世界の中の日本を築き、今日まで生き延びて来た。アジアや東ヨーロッパには、我々と同じルーツを彷彿とさせる民族や日本人に類似し、酷似した懐かしい顔も散見される。世界各国も、国内外の消長を経て、現在の勢力圏を支配した国が、その地域を統治して来た。歴史を顧みれば、数多の領土変遷があり、恨みつらみの禍根が残り、いがみ合ったり争いが絶えない。他の生物の進化、発展に於ける固有種と外来種との関わりを見ても、固有種を維持する事も生存競争に勝つのも容易でなかった。これ迄、切磋琢磨して存在出来た現状を認め合い、お互い様、お陰様の意識で仲良くしたいものである。我が国が、蓄積された経験値を活かし、紛争諸国に対し、先入観を持たず白紙の立場で、情理を尽くし話し合えば、解決に至る道筋が見えてくるのではないだろうか。まだ間に合うかもしれない。戦争をしない平和日本を国是にしている国だから、留保している信頼関係を取り戻せるに違いない。

最近の世界情勢下では、和をもって尊しとして来た日本でも、何時、戦禍にまみれるかとの不安が高まっている。政府は、国防や同盟関係を縁に、殊更、危機を強調し、煽る事により、軍事・防衛予算を増強し、国内外の軍需産業の要請に応えているが、抑止力を誇示するだけでなく、気配を察知したら、先制攻撃も辞さない考えなのではないだろうか。しかも、集団的自衛権の解釈次第で、同盟国等への攻撃や侵略を日本への脅威と認識し、アメリカと共に軍事支援するポジションを取っている。ウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナ、中国・台湾有事等紛争解決の仲立ちも出来ず、北朝鮮国力示威の象徴である、日本近海に向けてのミサイル発射テスト中止を説得するどころか脅威を強調するだけ。このままでは、自国を防衛する範疇を逸脱し、紛争当時国の一方に組みする事にもなり、敵対国から、攻撃され、大きな戦争になる恐れが出てきた。

利害関係にある国同士が、それぞれ、恣意的な行動を取ったり、自国にとって都合の悪い国際連盟を脱退したり、同盟条約・平和条約等を破棄し、先制攻撃をかけて如何なったか、日本は、熟知している筈。しかも、日本が攻撃されたとしても、諸問題を抱える同盟各国が、大義名分以上、自国民に多大な犠牲を強いてまで援助するとは限らない。むしろ、援助や攻撃に直接・間接に関わることによる報復の連鎖による重大な事態を考慮し、躊躇する可能性もある。各国も建前はともかく、知恵と情報を駆使して、自ら突出する立場を取らずに生き残る道を選択するのだろう。

かって、敗戦国の日本を共産主義陣営のアジア席巻による脅威から防ぐ橋頭堡として、日米安保条約があり、日本は、戦争をしない宣言を建前に、経済を優先し脅威的な発展を遂げた。しかし、今の時代は、自由主義・民主主義と共産主義・社会主義のイデオロギー論争による勢力圏争いに終始するほど単純ではない。民族間紛争及び人種差別、宗教対立、資源争奪、貿易格差、雇用・失業・貧困問題、積年の怨念等あらゆる紛争要件が複雑に絡み合い、一触即発の可能性がある。日本が、何らかの立場で、戦争・紛争に参加したり、協力支援することになれば、特異な来歴と苦渋の経験で築き上げた自国の平和が脅かされるだけでなく、世界の紛争を激化させ、核戦争をも惹起することになり、ひいては、地球上の生物の存亡に拘ることになる。先駆けとしての導火線になることだけは、絶対に回避し、人道的に限って、支援する事に終始したいものだ。

一般民間人とは違い、法律を創り、国としての姿勢を内外に示し、業務を遂行したり、それが妥当かどうか判断する人達がいる。中でも、政治家や、国家行政機関、地方行政機関の国家・地方公務員の内、特に三権を統べる立場の人達は、日本の要を握っている。立法・行政・司法の三権が分立し、互いに干渉せず、粛々と業務を執行する。しかも立法府の国会議員を国民が選び、更に、権力に対するお目付役のマスコミが真実を報道するので、民主主義は安泰だと思うのは幻想にしか過ぎない。実際には、多数の国会議員は選挙に立候補し、多額の資金と票で支援してくれる所属政党や重鎮・スポンサー及び地元有権者に生殺与奪を握られている。同じく行政機関・司法機関の上級職も、言動によりその後の キャリアアップが左右されていると思われる。NHKを含むマスコミとて、TV局の電波許認可権は政府に握られており、NHKの予算も国会の承認後執行され、他のマスコミの収入源は、資本主義社会の根幹企業のスポンサーであり、内閣や与党を構成する議員に献金等を提供している企業でもある。現場の取材により、内閣・与党等に不利と思われる、真実らしき報道が為されても、偏向報道との解釈により、与党国会議員、内閣、当該企業幹部、スポンサー企業などの圧力を受けたり、忖度もせねばならない。矛先が鈍り、反論報道を垂れ流したり、どちらが正しいか検証せず、目まぐるしく変動する社会情勢・山積している課題・多発する新規事件等により、いつの間にか都合よく棚上げされ、忘れ去られていくのを、我々は、呆然と眺め、諦めるしか無いのだろうか。

国際社会でも、同じ構図がまかり通っている。それぞれの規模に応じて、国力のある国に寄り添い、依存し、迎合したり、利用され、正論を述べられない。しかし、日本こそ、そんな存在であり続けてはならない。日本国の過去を省みて、世界に発信する理念等は、誰もがイメージ出来、共有されている筈。勇気を以って発信しなければならない。それは、国内外に限らず、どんな体制であろうと、民主主義的な考えの下、自由、平等を徹底し、人権と収入の収奪を排除し、社会福祉政策等により足らざるところを補い、力なき人にも手当し、各国民の暮らし向上にも協力し、平和を願い、絶対に戦争を阻止する努力を怠らない事であろうか。

国民がこぞって、日本国に対し、いいね!を発信する機会はなかなか訪れない。最近、政府は、家庭・子育て支援策、物価高に対し家計補助などを確定しているが、これまで同様、財源の手当方法が、安易に過ぎ、画一的である。大義名分を訴え、我慢を強いられるギリギリの金額を、あまねく、国民全員に負担させるもので、弱者に過重負担させることにもなる。平時において、何十年もメスを入れることなく、懸案の無駄遣いを正したり、予算配分の弾力的な運用を計り、流用資金を捻出すべきだった。今からでも見直して貰いたい。災害復興支援、継続的な弱者救済等も捗らず、物価や金利の上昇に対処して、実質的な所得の増額や減税策等有効な手を打てない。しかも、国からの政党助成金不正使用及び献金の裏金脱税問題、上級公務員等の不祥事続きなど陸続とした流れ。新年早々、気候変動と地殻変動による悲惨な災害も追い討ちをかけた。青年が将来に不安を感じ、希望を見出せず、壮年が惰性で働き、老後の守りに捉われ、老いによる諸機能の劣化、病身、経済的不安に怯える老齢者等大半の日本人は、何を信じて生きていけばいいのだろうか。それでも、数多の有名・無名日本人の快挙・偉業・社会貢献を知り、溜飲を下げ、関心を持ち、感動し感謝する。我が身を顧みて、自分のフィールドで又頑張ろうと、やっとの思いで気を取り直しているのが現状である。

もう既に、我々が、生き残る為のタイムリミットが到来しているのかもしれない。全ての地球上の生物は、他者に依存したり、命の循環により生かされている。文明の進歩と共に破壊されてきた自然を更なる人間同士の争いにより失えば、必ず報復を受けるだろう。かって、実際に見たかのように錯覚した、荒涼たる地球の姿が思い浮ぶ。先ず、人類の共存、生命の共生を実現しなければ、地球は絶対に存続できない。その全体を司れるのが、人間に他ならない。

この国は、確固たる連綿と続く官僚国家であり、例えどんな勢力が政権についても整合性を保ち、滞りなく機能するだろう。穏健な国民になって以来、久しく時が過ぎた。大半の国民は、多少、向かう方向が違っても、直ぐに適応出来、極端な事には、 NO!と言ったり、修正する慣性が備わっているようだ。それもこれも我が国の歴史の重みで培われた、悪く言えば優柔不断な、よく言えば、慎重に熟慮し、最後の選択を間違えない国民性の賜物であろうか。こんな国家・国民だから、暴走することなく、人類の理想に向けての献策に、より貢献できるのではないだろうか。そろそろ、国民の大意で稼働する国になって欲しい。政治家を始め、国家公務員や地方公務員が大所高所に立って、国論を纏める方向にシフトし、内閣の組織も、どこかの党や派閥が牛耳るのではなく、超党派から人材を登用し、業界団体や個人等の利益代表になったり、省益を主張させず、日本を始め、世界各国の国民が平和で幸せに暮らせる様、全人類が共鳴出来る高邁な理念を掲げて、邁進してもらいたいものだ。そのリーダシップを日本国がとるべきであり、国民は、長いこと待たされている。

志を抱き、高潔だった政治家が、特権階級としての妙味を覚え、現状の保持、持続、栄達を願う様になる。いつの間にか中身の濃い財布を抱き、財力を駆使する事と地位で人を動かすメカニズムが体に染みつき快感さえ覚えるのだろうか。以後、初心をないがしろにし、変節を繰り返し、出世街道真っしぐらは、笑止千万。本来なら、議員各位の信念を原点に、より中身を充実して、政治活動を全うし、少なくとも、持ちつ持たれつの、悪しき利益誘導型政治を断ち切ってほしい。市町村及び区議会議員・首長は、地方の代表として、地域が将来を見越した展望が出来る様な生活環境を提供し、都道府県議員・知事は、該当都道府県が他に先駆け、住んでいる人達が、幸せを実感できる模範自治体にしなければならない。又、国会議員、各省大臣・総理大臣は、予算を国民の為、等しくかつ弾力的に運用し、ひいては、日本国・国民に、あまねく恩恵が及ぶようにしなければならないし、対海外諸国と仲良くし、日本の存在価値を高め、日本に生まれたことを国民が感謝出来るようにしなければならない。

その為には、国会議員を選ぶ際、比例代表制の、党を選ぶ選挙を廃止した方がよいのではないだろうか。立候補した人が、どんな会派に属し、如何なる識見があるかは、広報、公営放送、選挙演説等でわかる筈。会派に所属していれば党議拘束はあるが、個人を打ち出すことにより、より自由度が増し、政治活動をし易くなる。総定数を決め、一定の人口稠密地域の市及び都府県の選挙区は大選挙区、それらを除いた、人口の少ない他の道、県も一選挙区とし、更に道州ブロック選挙に参加する。つまり、人口の少ない地域にも配慮し、広域から多数の支持を集められる人も選ばれる様にすれば、より公平な民意も吸収できるのではないだろうか。都道府県議員・市町村・区議会議員を選ぶ場合も住民の意思が、ある程度確実に、反映される選挙制度が出来るといいのだが。要は、各議員は、それぞれ一地域の出身であるが、国・都道府県・市町村区の議員なのだから、矜持を以って、代表自治体の住民の大意を聞き漏らさず、実現し、負託に応えて貰いたい。少なくても姑息な利益誘導を図らず、選挙民にも辛抱して貰う事も必要だ。いい国、いい都道府県、いい市町村区になれば、おっつけ、地域住民が幸せに暮らせるのだと思う。国民も代表の人達が地域の誉れとなれる様、性急に過ぎず、注視し、見守っていきたいものだ。

希望の灯火も見え隠れしている様な気がする。岸田文雄首相が、当面の課題を抱えている日中韓会談に出席し、取り敢えず、現状認識と展望について語り合った事。東アジア安定の端緒になったり、北朝鮮への援助等を通じて、国の存立を保障し、安心させ、暴走阻止の道が開けたら有難い。石破茂さんが、富士山噴火のシュミレーションのテレビ番組で、国土災害省を作り、災害に敢然と立ち向かうべきと熱く語った事。出来れば、戦争を仕掛けられない為、最低限度の国防を司るエリートと精鋭部隊の省庁と防災省庁に振り分けられたら安堵出来るし、軍縮の先駆けにもなる。石破さんは、幹事長、防衛大臣を務め、国防色の似合う、強面の戦争おたくの印象もあったが、今迄の言動を見ていて、政権欲しさに変節することもなく、慎重居士で、初志貫徹する人柄とお見受けする。この人なら日本国の為、軽挙妄動に走らず、与野党の意見も十分聞き、国民の大意を忖度し、最後の決断を見誤まらない、そんな人に見えるのは、私だけであろうか。変わらない与党政治が続くなら最後の希望を託したい気持ちになる。更にもうひとつ。都知事選の結果とその後の都政が日本を変える節目になるのを期待する。誰が知事になっても、今迄の延長であってはならないのは、周知の事実である。独りよがりの都政から、地方と連携した都政を考える時期に来ている。一極集中で成長してきた東京は全国・世界から注目されている。今年の予算は、8兆4530億円でスエーデンの国家予算に匹敵する。それもこれも地方から東京等で暮らしている多数の人たちが税金を払っているお陰なのだ。国と東京等大都市も地方と都会の連動を考えないと日本の更なる発展と再生はないだろう。

しかし、不安材料も顕在化してきた。アメリカの国防長官が、台湾有事の際、初動の人的被害を避ける為、ドローンで対処すると述べた事。その後、人の判断によらず、AIが状況を察知し、先制攻撃するシステムが出来上がっているという報道もあり、予想不能のことが、次々興り、瞬時にして展開が変わる様相である。一人の人間は、流れに落ちた一枚の木の葉にしか過ぎないのだろうか。この時代、国民は自己責任を強調され、自業自得として黙殺されることが当たり前であり、それぞれの思いで必死に生きていても、すべて社会や国に繋がっており、時至らば運命共同体に組み入れられてしまう。しかし、人・生命を介して地上・海・空等自然環境が悪化し、変化したにせよ、なんとか保たれてもきた。人類は、地球環境を破滅に追いやるか、維持、再生させるか、二者択一の岐路に立たされている様なものだ。日本に暮らす人、日本国が良き選択の先達になれたら、どんなに誇らしく、素晴らしい事だろう。我々人間が、生命、自然、国の有り様を正さなければならないし、これ迄生きながらえ、寿命を迎えてもいないのだから、qそれぞれの来し方を絶対に埋もらせる訳にはいかない。



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