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「美味との出逢いは、四季折々の追っかけ」

私には、毎年、四季折々、予定通りの、思いがけない、又まぼろしの、コレコレ、この、味、香り、食感に出逢い、万感の思いを以って食べるものがある。正に追っかけをやっているようなものであり、日常から、非日常に、一時でも解放される特別感のある時間軸なので外せない。うっかりすると見逃してしまうので、注視も怠れない。今年は、苺には、恵まれなかった。全国的に季節感が乏しくなったが、有名産地のものは、各地のスーパーなどで入手出来る。営業拠点の会津にいることも多く、栽培ものは、年末年始から二月頃までが食べ頃だが、大味なものしか見つからなかった。甘味が強く、適度な酸味を含んだコクのある苺をつぶして、牛乳に浸す。抜群のハーモニーで、更に旨みを引き出してくれるのだが。

早春から初夏にかけて数多の春野菜、山菜などが登場する。真っ先にお目見えする浅葱は、絶対に見逃せない。酢味噌和えは、ほのかに甘酸っぱい味噌にマッチした白と(薄)緑色のコントラスト、ピュアな味は、秀逸。春一番の突風と、何方が早いのか?水菜の辛子醤油和えは、大人向き。辛味を効かし、微かな苦味をも忍ばせる、爽やかな食感で、これ又、こたえられない。川なずな(クレソン)も捨てがたい。さっと湯がき、自然の風味に、拘った削り節をかけ、醤油少々。シャキシャキ感とカツオ味がそれぞれを主張しながら、まとまり、余韻を残し喉元を過ぎてゆく。次に狙うのは、アスパラ。市場に出る前の、もぎたてを、焼いてダイレクトに食べても、炒めることにより旨さをコーティングするも良し、茹でて閉じ込めた香りと食感を味あうも自由。メインディッシュとして、それぞれ一回だけ贅沢に食べるのが、ここニ〜三年通例になっている。又、あの美味しいタラの芽は、どこに行ってしまったのだろうか。何十年も前、出逢った天ぷらは、植物性?動物性?と見紛うほど、コクと歯応えがあり、さっぱりもし、二、三年は夢中になり、恩恵に浴していた。以後は栽培ものも多く、今日まで、ずーっとあの時とは別物の様に感じている。地勢が弱ったり、乱獲で、木が弱ったのであろうか。それとも思い過ごしであろうか。

春爛漫から初夏にかけて、鯡の山椒漬けが懐かしい。かっては、妻が、毎年、40k g以上作り、贈答品として差し上げていた。今や復活の見込みがない幻の逸品である。醤油・酢・甘味の割合、1・1・1のタレを作り、製造日が新しいソフト鯡を、酒で何回も洗い、生臭さを出来るだけ除き、容器に漬け込み、一晩寝かす。摘みたての山椒の若い葉をどっさり入れ、重しをして、更に一昼夜漬けるだけで一週間は、そのまま、おいしく食べられるが、炙ってもイケる。当初は、少し硬めだが、だんだん浸かって柔らかくなるまで、それぞれの食感を楽しめる。タレと魚のタンパク質・脂質が旨味成分を醸成し、タレに負けない山椒が、残った生臭さも消し去り、酒のつまみや、ご飯のおかずとしても最高度の食品になるのだろう。晩酌は、しないが、時には、酒呑みたい!となる。市販のニシン山椒漬けは、生臭さが残り、酒飲みでない自分には適さない。俳句に読まれる初鰹や秋の戻り鰹も捨てがたい。身が柔らかいので、鮮度が命。たたきにした鰹を醤油、酢にニンニクか生姜をスライスし、少し馴染ませたものが食欲を満たす。条件が整えば、酒のお供も悪くない。名前が違っても各地の山中に生える細いタケノコ、地筍も捨てがたい。白濁した硫黄泉の露天風呂に入り、取りがけを湯がき、マヨネーズ、醤油、味噌などをつけ、温泉旅館で振る舞われたことも遥か昔の思い出になっている。柔らかくも歯応えがあり、多少のエグ味・甘みが同居した、小さな筍をシンプルな味付けで食す。やはりアルコールがよく似合う。

やがて夏を迎えるが、流通が発達したお陰で、果物を始め、他の食材も季節を乗り越えて、入手が可能になった。ありがたさと同時に戸惑いもある。西瓜は、母親から、肝臓に良いからと、節になるとよく食べていた。晩春から初夏にかけ2ヶ月位は各地のものが出回るが、本来は、盛夏に適する果物。今は、熊本の大きな西瓜がお気に入り。当たり外れもあり、難しい。真っ赤に色づいた濃厚な甘さのものを求めるが、くどさがなく、爽やかな、さっぱりした満腹感に浸れる。多少食べ過ぎても、ある程度時間が経てば引きずらない。出張の際は、三度の食事の代わりに食べ、胃腸の調整をすることもある。夏の真ん中には、醤油、酢、多少の甘味を調整したタレにくぐらせた、冷やし中華がある。必要な具を十分入れ、辛子や、時にはマヨネーズを使うのが定番。好きが高じて、冬でも食べるほどだ。鰻は好物であり、他の季節でも食べることがあるが、経緯はどうであれ、先人の知恵のお陰で、ザ夏みたいな位置を占めた。出所が明らかで、生育環境が整い、栄養を蓄えた鰻の余分な脂を取り除き、控えめのタレで主役を引き立たせなければならない。蒸したり、焼いたり、合わせ技もあるが、要するに、素材のよさを最高度に生かせばいいのだ。今では、狂おしい夏を元気に過ごし、乗り越える為には、欠かすことができない。手打ちそばは、年中、視点に置いているが、とりわけ、暑さが、漂ったり、目眩く節を迎えると、ひんやりした、こくのある蕎麦により、束の間の非日常を感じ、生気を取り戻せるから、ついお店に行ってしまう。更に四国、今治沖、深海で流れの速いところに棲息するアコウである。その身は、脂が乗ってマッタリしているが、あっさりもしており、刺身、洗い、煮付け、どれも甲乙つけがたく、選択に迷う。一つ選び、後に、あらや骨を入れ味噌汁にする。夏といえば甦る、至福の時間である。

夏の終わりから初秋・中秋にかけては、一昨年の病以来欠かせなくなった、命の水?は、梨(幸水)と甘酒であった。暫く、水を始め、他の飲食物が一切喉を通らなかったが、救われた。甘酒を以前から飲んでいるが、以後、幸水の爽やかな甘味もお気に入り。これ又、なかなか、納得のいくものが探せない。川魚特有のクセがない天然の鮎は、節になれば、探しても食べたいもの。機会があれば、どの地域でも結構。まだ河川ごとの味と香りを見分ける程、研鑽を積んでいないが、川沿いに鮎の塩焼きを見つけると、所、時間構わず飛び込む。骨と頭を残し、銀鱗が程よく色づき、パリッとした、香ばしい皮と身をすべて食べ尽くす。落鮎のたまごも美味。

秋から初冬にかけても楽しみなものは数々ある。キノコは勿論だが、妻が苦手なので、最小限しか口にしない。秋が深まると里芋がおいしくなるが、昨年、格別なものになった。意を解してもらい、今年も販売先の末端に加えて貰えるよう期待している。比較的小さめで、すべて均質。程よい歯応えと適度の、やわらかみとネットリ感がくせになる。芯がなく、皮がスルッとむけるのも嬉しい。蒸して味噌をつけて食べるのが待ち遠しいし、イカの甘煮、筑前煮、鍋物でも脇役以上になれる。干し柿といえば、長野県伊那の市田柿。甘味と旨味が熟成し、白い粉にまぶされ、小さめで、程よい外側の硬さと内側の柔らかさが連動し、滋味が溢れる。お茶に珈琲、酒のつまみにも合うはず。

冬、本番。何を望むか?脂の乗った干物は如何。沿岸近くの沖合で栄養を蓄えた、鳥取県の境港、秋田県沿岸で水揚げされる鰰(ハタハタ)の一夜干し。この魚が、生食以外で、こんなにおいしいとは、知らなかったので驚き。一夜干しの干物は、炙る様に、丁寧で、焼きすぎないのがコツ。年明けが迫る十二月には、北海道、釧路の一夜干し。氷下魚(こまい)はプリッと身が剥がれ、しっかりしており、小さい鱈の様。チカは、形はワカサギ、味はシシャモの如く旨味が詰まっている。きゅうりは、野菜のきゅうりを思わさる香りで魚くささがない。それぞれが特徴を担い、ラインアップ。鍋物といえば、鱈鍋であろうか。野菜の旨味もたっぷりあるが、いつの間にか、崩れた鱈を探している。ポン酢のタレで食べ尽くし、ご馳走さま。満足感に浸れる。そして、年末には、各地域で、素材と呼称の違いがあろうが、慣れ親しんだ、「こづゆ」がある。たくさん入れた(ホタテの)貝柱の出汁に、葉物以外、里芋や形のある野菜等とアクセントの動物性食品も入れ、煮込んだ、ごった煮。いわば、鍋物と煮物を一緒にした様なものだ。出汁が染み込み、これだけで、バラエティに富んだ王様になれる。

季節は常に移ろっており、年初の冬には、寒い・辛い・厳しい、夏には、鬱陶しい・暑い・身の置き所がないほど狂おしい、秋には、うら寂しい・もの悲しい・暗いと体感したり、想ったりするものだ。食を漫然と軽く捉えている人達!せめて、味覚を研ぎ澄ませて、お気に入りをターゲットにし、リズミカルに過ごせば、癒しやこの世の楽しみの一つとして、立派に通用することを提案したいと思う。




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