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ルース・ベネディクトとアメリカ人類学

『菊と刀  -日本文化のパターン-』講談社学術文庫、2005年

第1章 研究課題――日本
第2章 戦争中の日本人
第3章 「各々其ノ所ヲ得」
第4章 明治維新
第5章 過去と世間に負目を負う者
第6章 万分の一の恩返し
第7章 「義理ほどつらいものはない」
第8章 汚名をすすぐ
第9章 人情の世界
第10章 徳のジレンマ
第11章 修 養
第12章 子供は学ぶ
第13章 降伏後の日本人

第二次大戦中の米国戦時情報局による日本研究をもとに執筆され、後の日本人論の源流となった不朽の書。日本人の行動や文化の分析からその背後にある独特な思考や気質を解明、日本人特有の複雑な性格と特徴を鮮やかに浮き彫りにする第一級の日本人論。

日本人(インフォーマント)として読む:


アメリカの人類学者であるルース・ベネディクト (Ruth Fulton Benedict, 1887–1948) は、アメリカ人類学の「文化とパーソナリティ」論への貢献とともに、一連の日本論の嚆矢として知られている。彼女の 『文化のパターン(Patterns of Culture)』(1934年) は、生活を組織化する支配的なパーソナリティ、または彼女のいう「形態」(configuration)の観点から文化の分析を提供した。形態の概念は、1946 年の日本文化の研究である『菊と刀(The Chrysanthemum and the Sword)』(1946年)を含む、その後 20 年間にわたって彼女の著作に反映されている。

彼女は、文化の形態の完全性と特徴の分析を拡張して、個人に提供される自由と機会を評価した。これに基づいて社会を比較することで、ベネディクトは「文化相対主義」を認定し、社会変化の基礎として批判的な文化意識を生み出す人類学を提案した。

フィールドワークをしない人類学者:

ベネディクトと同時代の人類学として有名なのはB・マリノフスキー(1884-1942)である。彼は「フィールドワークの創始者」として研究史に名前を残している。一方、ベネディクトの理論はすでに有効性を失い、現在の人類学での存在感は希薄とされる。それは20世紀の人類学はフィールド調査の学問として自己提示してきたのに対して、ベネディクトはその重要性を認めつつも、そこで得られた情報と文化人類学的な知識を同一視しないだけでなく、集積された膨大な情報を解釈することも人類学的発想の重要な要素であると考えたためだった。日本人の国民性に関する報告書「日本人の行動パターン」を3ヶ月で作成した。その後、1年かけて補充研究を行い、『菊と刀』を完成させた。

・戦時情報局が作成した日本人の国民性についての報告書
・日本の新聞、小説、英訳の刊行物
・日本映画、ニュースフィルムなどの映像資料
・強制収容所の日系人へのインタビュー

ベネディクトの研究方法

形状主義(configurationism)の発想:

彼女の形態主義(configurationism)の発想は、『文化のパターン(Patterns of Culture)』(1934年)に由来する。日本では一般に、文化とパーソナリティの問題を提起し、ゲシュタルト心理学の応用により対象社会をタイプ化した民族誌であると、また日本における国民性研究や70年代の県民性研究の基礎を打ち立てたものとして認識されている。

一方、この形態主義(configurationism)への批判は、当該文化を調和がとれた総体として描きだそうとするため、パターン化に逆らう個人が排除され、結果的に社会の多様性を抑圧してしまったというものであった(Barnouw 1957)。

心理学に発想をえた「形態主義(configurationism)」を理論的根拠に、彼女は 1930 年代を通じて、野心、競争、個人主義、性自認などは狭義の文化の定義の 一つでしかないと考えた。また米国の支配的なエートスに適合しない気質を持つ諸個人を、抑圧し疎外する当時のアメリカ文化を批判した。

文化的不適合者を忘れないどころか、ベネディクトはその存在に着目し、社会の不適合者が文化の変容を促すと考えた(1934:262)。

文化の概念の先駆者:

アメリカ人類学の文化の定義、「文化とは特定の集団のメンバーによって学習され共有された自明でかつきわめて影響力のある認識の仕方と規則の体系に対して人類学者が与えた名前である」(J・ピーコック 1986)という認識をベネディクトは半世紀前に築き上げた。国家単位で文化の境界を設定して、「フランスをフランス人の、ロシアをロシア人の国にしているもの」(エートス)に関心を寄せたことは、後年、ナショナリズムを無批判に肯定し、再生産していると批判された。

彼女の著作は文化的価値観、慣習、イデオロギーが個人に与える影響を分析するが、文化を決定論的なものとして描写したことはなかった。日本を日本偉人の国にしているものは、日本人が持つ「生活の営み方に関する前提」(1946:13)なのである。彼女が対象とするのは、ある国民が生活に関する根本的な前提を抱いており、当事者にとっては言語化する必要がないほど、それは自明なこととされている事実であった(1946:16)。ここでいう前提が彼女のいう「文化」の概念になる。


彼女は、行動のパターンそのものが文化ではなく、行動がパターン化されるときの枠組みのほうが文化であると考えた。むしろ個人には生活条件を変える能力があると主張した。文化人類学者は、パターンとして浮上した「生活のデザイン」を分析し、この枠組を導き出すことが研究方法となる。その際、分析手法としては統計手法が思いつくが、ベネディクトは文化の分析には、統計は不必要であり、市井の人が誰でも知っていることを「理想的な典拠」とするだけで十分であると主張した(1946:16)。彼女は、文化をそれぞれの国別のレンズに、文化人類学者を眼科医にたとえている(1946:14)。市井の人々にとって、文化はあまりに身近なものであるため、意識的になることが困難であり、文化人類学者は市井の人に代わって、文化を対象化することが役割となるという。

文化について意識的になること(culture conscious):

ベネディクトが眼科医として見立てた日本文化とはどのようなものだったのだろうか。
👉 「日本文化の階層制」: この階層制とは、社会の成員が自らの居場所をわきまえることであり、階層制は日本社会を秩序化した(1946:20)。
 一方、階層性においてアメリカと日本は正反対であり、日本の階層制度を米国人が正しく理解することは難しいという。

👉「菊は花の形を整えるために利用される輪台がなくても、美しく咲く」。一方の刀は「理想的な立派に自己の行為に責任を取る人間の比喩になる」
👉敗戦後の日本人が、これまで強調してこなかった文化の側面に光を当てることにより、変化する可能性を期待していた。

自然なものを脱自然化する:

文化がそれぞれの社会において「自然なもの」となっていることは、人類学者の仕事は、自然化された文化を再び意識すること(脱自然化)することにほかならないという。

彼女が主張する人類学者の義務は、合理的かつ賢明な方法で社会の「直接的な」変化に個人を導く可能性のある可変性を提示することだった。

最後に、彼女の業績であまり知られていないのは、Journal of American Folklore (1925–1940) の編集者としての仕事と、神話や物語に関する一連の著作だった。人々が語る物語は、彼らの文化の「自伝」を構成すると述べてている。

大西洋を越えたファシズムの脅威に対してベネディクトは人類学者としての責任を果たすために、まず『人種: 科学と政治 』(1940 年初版) で人種差別を非難し、次に政府に参加して科学者顧問を務めた。世界的な紛争国に関する一連のレポートは、影響力のあった『菊と刀』(1946 年) で頂点に達した。戦後の研究プロジェクトである現代文化研究 (RCC) で、ベネディクトは人類学的洞察を近代的な複雑な社会の国民性研究に適用するという、戦時中の実践をさらに追求しようとした。彼女は、人類学調査はアメリカ帝国主義に奉仕するのではと、その危険性を指摘する批判には応えなかった。

参考図書:


Benedict, Ruth. 1934. Patterns of culture. Boston: Houghton Mifflin.

This is Benedict’s most well-known statement of the thesis that culture is personality write large; based on three ethnographic examples, and a discussion clearly placing US culture at the forefront of her disciplinary contribution.

Gaffrey,Margaret 1989  Stranger in This Land.Austin,TX :The Universityof Chicago Press.『ル ース ・ ベ ネ デ ィ ク トー さ ま よ える 人 』福井七 子、上 田 誉志美 訳 、関西大学出版部 。

  • Bennett, John W. 1946. Interpretation of Pueblo culture: A question of values. Southwest Journal of Anthropology 2:361–374.

  • Bennett offers a rigorous critique of Benedict’s description of the Zuni Pueblo, using data from his longtime fieldwork in the Southwest to challenge her characterization of the culture as Apollonian.

  • Li An-Che. 1937. Zuni: Some observations and queries. American Anthropologist 39.1: 62–76.

  • An early negative review of Benedict’s Patterns of Culture, and one of the first to denounce her ethnography of the Zuni Pueblo. The review suggests that Benedict created an ideal culture, suited to her temperament, rather than representing the actual complexities of day-to-day life in the Pueblo.

  • 川島 武宜 評價と批判(<特集>ルース・ベネディクト『菊と刀』の與えるもの) 『民族学研究』1950 年 14 巻 4 号 p. 263-270

  • Lindholm, Charles. 2007. Culture and identity: The history, theory, and practice of psychological anthropology. Oxford, UK: Oneworld.

  • Lindholm traces the history of the subdiscipline currently known as “psychological anthropology,” an extension of the culture and personality field to which Benedict contributed theory and method. The text covers related contemporary issues in psychology and psychoanalysis, and indicates the pertinence to Western societies.

  • Pandey, Triloki N. 1972. Anthropologists at Zuni. Proceedings of the American Philosophical Society 116:321–337.

  • An anthropologist of the Zuni, Pandey places Benedict’s work in a longer history of fieldwork among the Southwest Pueblo groups. He expands on her characterization of the Zuni as orderly, somber, and ceremonial. His paper has been reprinted in several collections.



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