季節と記憶
ベトナムのホーチミンには暑い夏とめちゃくちゃ暑い夏の二つの季節しかない。雨季と乾季。年間平均気温は28度くらい。
小さい頃から夏の季節が圧倒的に好きで、常夏の地域で暮らすのが夢の一つだった。ホーチミンで仕事をすると決まった時は、常夏だ!ととても嬉しく思ったのを覚えている。
ホーチミンに住み始めたばかりのころは毎日暑い暑いと言いつつ、常夏を思う存分楽しんでいた。終わらない夏。最高だなぁと思った。
12月になってももちろん暑いから(乾季の始まりの時期)、クリスマスも年末年始も暑い。ロマンチックさとか切なさとかはかけらも感じられないし、かんかん照りの太陽を見ていると寒い年末になれている私には年末感が全くなかった。
2月、旧正月の休みも乾季(めちゃくちゃ暑い夏)の真っ只中。この休暇に日本に帰ると気温のギャップが楽しめる。
ホーチミンに住み始めていくらかの月日が経った時、ふと気づいた。起こった出来事の記憶が曖昧で、時系列が全然思い出せない。
ここでは6月とか11月とか、月の数字は数字であるだけで季節と結びついていない。
あの飲み会をしたのはいつだっけ、屋外でビールをみんなでじゃんじゃん飲んだ日。あの海に行った日はいつだったっけ、天気が良かったのは覚えているけど。
これが四季のある日本だったら簡単。
屋外でビールを飲めるくらいだから7月から9月の間くらいか、確か夏の終わりの9月のはじめだったな。海に行ったのはきっと夏休みの間だから8月だろうな。久しぶりに会った友達でも、前会った時は寒くて鍋食べたよね、とか何かしら季節に関することが記憶に残ってる。
四季があるということが、こんなにも記憶の維持に貢献していたのかとびっくりしたのを覚えている。
もちろん今でも常夏を存分に楽しんでいるけれど、四季があるということ、季節が移り変わるということの風情と尊さを強く感じている。
日本の冬に帰ると、寒いと感じられる特別感が嬉しくなる。でも大体数日で特別感なんてなくなり、長くいると気持ちもどんよりしてきて外に出るのが億劫になるくらいの寒さなんて嫌だ!と早く常夏に戻りたいと思う。
結局はないものねだり。自分の持っていないものを羨ましく思うのは簡単だけれど、自分の持っているものの価値に気づく努力を惜しまないようにしたい。