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筋トレが好きな人はみんなでがんばろうとしないでくれ

筋トレをしてる人、まじですごいと思う。ちなみに僕はしてない。できないから。ほぼ赤ちゃんなので……。

もちろん筋トレをしてる人にもいろいろいて、筋トレをするにいたった理由は人によってさまざまなのかなと。単純に身体を鍛えたい。体力をつけたい。痩せたい。モテたい。とか。

ぶっちゃけ、別に筋トレなんかやらなくてもいいことだ。

「部活で強いられてるんです」とかって人もいるかもしれないが、そもそも部活がやらなくてもいいことだし、「痩せたい」「モテたい」にしたって他にいくらでも方法はある。ちなみに筋トレをするとテストステロンって男性ホルモンが分泌されて女性にモテるらしいけど、あれはウソ。そんな定期試験前のバズツイートに使われるためだけのホルモンいくら垂れ流してもモテるモテないに影響なんかない。モテるために筋トレをはじめた田邊君はいっこうにモテるようにはならなかったし、今井君は筋トレはじめる前からモテていた。残酷なんだいつだってこの世は。

中には、筋トレが純粋に好きでやってるって人もいる。どうしてそんなことになってしまったのかわからないが、いる。そんな不可思議な人たちについて今回は言及することになるんだけど、あまりにも自分とは異なる種の話だから、ここからは僕の憶測と偏見が飛び交うことを許してほしい。

思うに、彼らはストイックな自分が好きなのだ。誰に言われるわけでもなく、「もう限界かも」からもうひとふんばりすることができる自分に酔っている。悲鳴を上げる己の筋肉に「まだいける」と声をかける姿は控えめに言ってもやばい。なんならやばいと言われることにすら快感を覚えるタイプの変態。普通に酔ってる可能性もある。あいつらたぶんプロテインにアルコールいれてぐびぐびいってる。

もっとわかりやすく言ってしまえば、きっと彼らは、単純に「がんばりたい」人なんだと思う。筋トレに限らず、部活とか、合唱コンクールとか、思い出してもらえればそういう人はけっこういたはず。完全に周りよりモチベーションがワンランク高い人。

まあ、実際のところ、学生時代ってそういう人は揶揄されがちだし、むしろ「がんばりたい」のに周りの目を気にしてがんばれなかったような人もいたのかもしれない。その反動で筋トレが楽しくてしょうがないのかもしれないと思うと少し泣けてくる。がんばるのがダサい、みたいな風潮の被害者。それはそれでくだらない同調圧力だと思うし、何かをがんばることは純粋にすごいことであってほしい。少なくとも僕は尊敬する。かっこいいもん、何かをがんばってる人。

それはそれとして。

がんばる方向にも、がんばらない方向にも謎の協調性が作用していた中高生とちがって、大人になるとだんだん「がんばる」「がんばらない」は個人の自由になっていく。要するに個人戦。がんばりたい人はがんばればいいし、がんばりたくない人はなるべくがんばらないようにがんばってる。それが社会。うわ、つらい。

そこを理解してないのが筋トレしてるやつら。断罪すべきはその中の一部であることを承知であえてここでは一括りにさせてもらう。

もうね、あいつらは誤解してる。なまじ自分ががんばりたい側の人だから、「なんだかんだみんなもがんばりたいんだ」って思い込んでる。これが厄介。

まあ600000歩ゆずって、協調性が結果に結びつくような場面、学校でいえば合唱コンクールとか、社会でいえば繁忙期の仕事とか、そういうときはそれでもいいかもしれない。がんばりたくない人も諦めてがんばらざるをえないときもある。

ただ、資格とか、スキルアップのための勉強とか、社会においては完全に個人の自由の領域においてあいつらは、なんと周りもがんばらせようとしてくるのだ。もちろん、直接的に強制してくることはほとんどない。でも、「ここでちゃんとやっとくと後が楽だから」とかなんとか適当な理由をつけて、一緒にがんばろうとしてくることがある。なんだ勉強会って。逆にそういうこと言ってくるやつらは筋トレかマラソンを必ずやってる。これはまじ。

そういう個々の自己責任の領域で「がんばり」の協調を求める行為は、「この人は素直にがんばりたいって言えないだけでほんとはがんばりたいに違いない。がんばらせてあげよう」って親切心が無意識のうちににじみ出てて、本当に苦手だ。

そのあふれ出ちゃうくらい純粋な思い込みがもうこわい。めちゃめちゃこわい。こっちはただ「がんばりたくない」だけなのに。

ちなみに、「君も仕事でもないのにブログとかで文章をがんばって書いてるじゃないか。ほら、君だってなんだかんだ自分からがんばってる。やっぱりがんばりたいんじゃないのかい?」って想像上のインターネットきんに君が問いかけてくるけど、いや、ちがう。

僕が文章を書いたり、その他の趣味に意欲的なことがあるのは、半分は逃避行動で、もう半分は承認欲求と好奇心とストレス発散がごちゃ混ぜになった何かで、そこに純度の高い「がんばりたい」は含まれてない。わかった気になるな想像上のおまえ。

情けないことに僕は、純粋にがんばることの美学みたいなものからは、いつだって逃げようとしている。なかなか理解してもらうのは難しいかもしれないけど、もう少し上手に表現できるようになってから、そこに焦点をあてて改めて言葉にしてみたいとは思う。がんばりたくはないけど。

とりあえず言いたいことはひととおり言ったので今回はこんなところで勘弁してやろうかなと。

ちなみに。

以前、そんなこんなで筋トレする人が昔から苦手だったというような趣旨のツイートをしたところ、「筋トレ」でエゴサをして一緒にがんばる仲間を探していたであろう筋トレが趣味の知らない人からすぐにいいねがきた。ほんとにそういうとこだぞおまえ。

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