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Twitterに必要なのは余白としての「ツッコミどころ」である

昨日はやらかした。誤字だ。大阪出張と書いたつもりが大阪出身と書いてしまった。

それから仕事で忙しくしていたので夕方にTwitterを開いたら、コメントがたくさん入っていた。

この引用ツイートもそうだが、Twitterのリプには何やらその人のニヤニヤとしながら書いている感じが伝わってきた。
このツイートはあくまで余白として「ツッコミどころ」を残したわけではなく素で誤字っているだけである。


しかし矛盾するようではあるが常日頃私がTwitterにおいてフォロワーの方とコミュニケーションを楽しむことにおいて最も大切なのはこの引用ツイートにあるように余白としての「ツッコミどころ」を用意することだと思っている。

いわゆる有益なツイートをするアカウントはどこか人間性が計り知れない部分があり温度感が感じられにくいものがある。かといって感情を思うがままにつぶやくアカウントには人間性は現れるものの非常に絡みにくいのも正直なところである。

ある程度の範囲で良くも悪くも人間らしさやその人の素の部分が感じられた時に人は親近感を持って距離感を縮められるのだと思うのだ。何もこれはTwitterに限った話ではなくリアルコミュニケーションにも言えることだろう。


私がTwitterが優れていると思う機能の一つがこのリプの機能である。リプが多ければ多いほどフォロワーにそのツイートが表示される回数は多くなる。つまりコミュニケーションが発生するツイートはインプレッションやエンゲージメント率も高くなる仕組みになっている。

もちろんそういうWEBマーケティング的な見地からも優れていると思うのだが一番優れているのはFacebookやインスタではコメントはわざわざ見に行かなければ見られないのであるがTwitterのコメントはフォロワーのタイムラインにツイートとして流れるということだ。つまりコメントは可視化される。

例えるならば友達と会って立ち話をしているのが不特定多数の人に聞かれているということなのだ。だから決してコメント(リプ)も油断ができないのである。これに関しても他者目線を意識する必要があるのだ。
それをネガティブに捉えるとリプはしにくくなってしまうと思うのだがポジティブに捉えればリプを通して自分の人間性を伝えることができるということなのだ。


先ほども書いたようにツイートに余白としての「ツッコミどころ」を用意するとともにリプに対しても余白をつくることはTwitterを楽しむ上でのテクニックとして覚えておいた方が良いと思う。思わず再リプをしたくなるような余白を残していると再リプをもらいやすい。

そして楽しいやりとりをしていると、それに巻き込まれてくる人も現れる。そういう人はたいていの場合楽しいことや楽しい人が大好きで人が喜ぶことをしたり笑顔にすることが大好きなポジティブな人である場合が多い。
逆に多くの批判的であったりシニカルなツイートに巻き込まれてくる人は人を蹴落としたり嘲笑したりすることが大好きなネガティブな人である場合が多い。

ことTwitterにおいては感情が非常に循環しやすいものだと考えていて当事者がどのような感情でツイートしているかによって寄ってくる人の属性は左右されるのだと思う。

いつもTwitter上でかやまんという友人とじゃれあっていて本当につまらないやりとりを延々としているわけだが、それを見て楽しんでくれている人がいることも事実である。

余白としての「ツッコミどころ」を残すというのは何も面白いことを言わなければならないということではない。
例えば自分の「好き」を色々な角度で伝えることもいいと思う。その「好き」が「ツッコミどころ」となり引っ掛かりを持ってくれる人とのコミュニケーションの糸口が見つかるかもしれないし、その人と関係性が良い方向に発展するかもしれない。

そういうポジティブなTwitterの使い方をしていると、Twitterは自分にとってもフォロワーにとっても良好なコミュニケーションのツールとなるのは間違いない。現に私はこうやって多くのネットからリアルにつながる関係性を築いてきた。

SNSによってネットとリアルの境目がシームレスになった今、どれだけ自分が「ツッコミどころ」をさらけ出せるかが大切になるだろう。

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