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愛車との最後の日

いよいよこの日が来た。

私の愛車エスティマとのお別れの日だ。

こちらの記事でも書いたが、私の愛車エスティマは購入して14年ほど経ち走行距離もそろそろ30万キロというところまで来ていた。

今朝新聞を読んでいたらこんな広告が目に入った。

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ちょうどセンチな気分になっていたところにタイムリーに飛び込んでいたこの記事は、自動車に慣れ親しんだ子供たちがその自動車と別れるのを嫌がり新しい自動車を受け入れようとしなかったところに自動車屋さんがその車になりきり手紙を子供たちに送ったという心温まる話だった。
ここに出てくる子供たちに激しく共感し胸が熱くなった。


14年前、私は結婚したばかりで今後子供が生まれる予定もあったので何人子供が生まれてもいいようにと7人乗りのミニバンを買おうという思いでいた。それと同時に趣味のサーフィンのロングボードが中積みできるようなセンターがスルーになっている車がいいと思っていてそれにぴったりの条件に合う車がエスティマだった。

もちろん家族ができてからというもの家族4人で遠出する時はこのエスティマが大活躍した。ナガシマスパーランドや芝政ワールドといった遊園地に出かけたり、富山の実家に帰省したときもお義父さんからもらったたくさんのお土産を車に積み込んで帰った思い出がある。

しかし、それよりも圧倒的に一人でエスティマに乗ることが多かった。

特にSNSで全国各地に友達ができるとサーフィンを兼ねて、全国津々浦々へとエスティマを飛ばして会いに行ったものだ。そしてその土地土地が大好きになって帰ってきた。

友達の出演するフェスを応援するために島根に大阪の友達を乗せて直行したり、千葉〜茨城をサーフィン旅行しながら友達に会いに行く旅をしたり、マラソンに出場するために鳥取に車中泊して前日に友達のオススメのカレー屋で美味しいカレーを食べたり。

今日思い返していたら本当にエスティマを相棒にして出かけた旅は今でも輝かしく私の心の中で生き続けている。


まだまだ走れるぞという姿勢を見せる愛車だったがやはり30万キロを海へ毎週走り、雪道も走ってきたことを考えるとかなり車体は満身創痍だということを友達の車屋さんは言っていた。

大事に乗ってきたつもりではあるが、私の趣味であるサーフィンが潮風を浴びたり悪路を走行するコンディションは必定なのでやはり車には良くなかったのだろう。

アイドリングの時に少ししんどそうにしながらもたくましく動き続ける健気さがあったから本当は最後の最後ダメになるまで看取ってあげたかった。
だがこればかりは事故してからでは遅いので私は彼と別れることを決意したのだ。

もはや機械ではなく私の相棒であった彼とは今日でさよならだ。
しかし彼と過ごした14年の思い出は私の中に生き続ける。


長い間、私を安全に素敵な場所に運んでくれてありがとう。



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