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初めての不安発作

私が異常に緊張するようになったのは、まだ小学生の頃だ。

小学校中学年くらいまでは、音楽の授業中、皆の前でリコーダーを吹くこともできていたが、5~6年生で不安障害の症状が出始めた。

「不安障害」というのは、精神疾患の中で、不安を主症状とする疾患群をまとめた名称です。その中には、特徴的な不安症状を呈するものや、原因がトラウマ体験によるもの、体の病気や物質によるものなど、様々なものが含まれています。中でもパニック障害は、不安が典型的な形をとって現れている点で、不安障害を代表する疾患といえます。″

出典:厚生労働省 みんなのメンタルヘルス


初めての症状は不安発作だった。

ある日国語の授業中、音読せよと当てられて読み出したはいいが途中から息ができなくなり、声も出せなくなった。

私は訳が分からず、アフアフしているうちにクラスメイトが笑い、すっと緊張が解けた。

中学入学以降に高まる、緊張していること自体への猛烈な恥の意識がまだ薄かったことも幸いした。

その日帰宅した母に、授業中に教科書が読めなくなったと相談した。
母は、それは練習不足の所為であるから、しっかり読み込んでおけばよいと指示した。

素直で無知な子供であり、何より二度とこのようなことはごめんだと考えたので、毎日のように何度も何度も教科書を音読していた。


6年生の時、父親参観日があった。

あらかじめ父親に関する作文を書く課題を提出していたが、その作文を父親参観日に発表するとは知らされていなかった。

私はその作文に、脚の悪い父が子供の頃からの大変な差別と苦労を乗り越えて、立派な大人になっていく様を書き、そんな父を尊敬していると締めくくった。

しかし、子供ながらに父親の脚に対するコンプレックスを日々目の当たりにしていて、脚の話は父から触れなければ、話題にするようなものではなかった。
父は脚へのコンプレックスを周囲に隠していた。

私は、父の耳に入らないところで、大好きな父のサクセスストーリーを書いたまでだった。
偉大な父を先生に自慢したかった。

父はとても「しつけ」が厳しかったが、私は父を畏れながらも慕っていた。

そんな厳しい「しつけ」を施されている私は、将来きっと成功するに違いないと保育園児の頃からおかしな選民思想を持つほどだったので、そんな思想も手伝って父の伝記はなかなかの大作だった。



父親参観日に父が来た。

私が父には聞かせたくない、父が誰にも聞かれたくない父の話、父の恥、父の秘密をこれから発表しなければならない。

順番が巡って来てしまった。

堪えがたかった。父に申し訳なかった。

父のコンプレックス、その気持ちは秘密であると知っていることを、父だけには知られたくなかった。
発作を起こしたら秘密を知っていることを父に気づかれてしまう。

発作が起きた。息が吸えず、声が途切れる。

何度も中断しながら、クラスメイトの何倍も時間をかけて父についての作文を音読した。

クラスメイトのある少年は「さっさと読めよー」と苛立ち、ある少女は父の伝記を聞き、「かわいそう」と泣き出した。

その日はどうやって家に帰ったのか記憶がない。

次の記憶は父親参観日当日の夕食の席だ。

父が私に「目立とうとして、あんなに時間かけやがって」と冗談のような、わざと見当違いなことを言って作文の内容には触れないようにしているような場面だ。

私は父に、自分が、本当にただの目立ちたがりだと思ってほしかった。
父の脚について気を使っているなどと知られたくなかった。

6年生の父親参観日は、音読に決定的な不安を抱え、父に対する負い目と歪んだ自意識を抱く、決定的な日となった。




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