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【出張よりみち紀行文】広島、修学旅行をたどって

 もう丸一か月前になるのですが、さる7月23日は広島のアナログゲーム即売イベント「たちまちゲームマルシェ」にLARP(=LiveActionRollPlaing)
部門にてブース出店致しました。その節は主催関係者様・出展者の皆様・ご来場くださいましたお客様、誠にありがとうございました。
 当方LARPは愛好者としてもまだまだ勉強中で、また他のアナログゲームには疎くて…というワケで、素敵な現地レポートは既に7月中に色んな方が出してくださってますので、そちらに頼むとしまして…長文リハビリも兼ねて、その前日現地入りした話を書きたいと思います。

広島と言えば小学校の修学旅行

はじめて広島を訪れたのは、30年前。小学校の6年生の修学旅行先でした。行先は平和記念公園と宮島の「平和学習」が主なテーマでした。(宮島は完全に息抜き的観光でしたね。)
 事前学習で、戦争の事や平和記念公園の事を学んだり班ごとに調べて、いざ現地に向かうという流れで、原爆ドームや資料館を見学したり、千羽鶴を奉納した思い出。
ちなみに生まれて初めて新幹線に乗ったのも、この修学旅行でした。

41歳一人旅の修学旅行

それから早30年。以来特に広島を訪れるご縁はなくての30年。が、この度このタイミングで行くご縁を頂きました。出店を決めた時から、前後どちらかの日程で平和記念公園は行きたいと考えてました。単身出張で、行きたいところにフットワーク軽く行ける貴重な機会でもあるので。
 小学校6年の時はぶっちゃけ「決められた内容・決められたコースをたどったのみ」だし、戦争や平和に対する考えもある意味「教科書どおり、常識どおり」の考えや思いでした。
 もちろん、その当時の自分だって小6なりに自分の考えや思いがあり、学びを得て帰ってきたのだから、それが悪いわけではないのです。
 大人になり色んな考えを知ったり、自分も40代になった時、自分で選んで赴き見れば何が見えるのか、それが知りたいと思ったのでした。

(やっと本題)修学旅行記

はじめての路面電車

 京都から新幹線で一路広島。車内で駅弁を味わいつつ、到着したのは昼過ぎ。まずは路面電車・広電に乗り込みます。生まれてこの方、路面電車が生活圏に無く、乗ったことがないし、車の免許取る際に座学教習の「路面電車のある道を走行するとき」の箇所で、全くイメージ湧かず覚えるの苦労した思いがあるので、これは一度路面電車は体験しておきたかったのです。
「電車」なのだけど交差点の信号に従う「バス」のような感じ…今まで乗ったことない人間には、かなり新鮮でした。そんな感想でガタゴト揺られながらたどり着いたのは「原爆ドーム前」

平和記念公園に到着

下車してすぐ、世界遺産・原爆ドームが目に入る。ああ、修学旅行で見た時もこんなのだったか…でも、もっと大きく見えたか…周囲の開発が進んでて、高いビルやマンションの中に「スン」とある。痛ましいとかいう思いよりも、そんな気がした。
 ドームの向いは川、それを渡れば中州=公園の中心地。水が豊かに湛える川、そして緑豊かな、地元の散歩者や通り道として行き交う人…ありていな言葉だけど…
「普通に良い公園」
なんだな~と思った。修学旅行で訪れた際には「次は資料館と原爆の子の像です」みたいな案内にせかされ、周囲はそんなに見ていなかったように思う。けど、この「普通に良い公園」というイメージもこの後に覆されるのだけども。

平和記念資料館へ

 公園の緑を抜けて、慰霊碑に手を合わせ、平和資料館に至る。ここは近年館内を全面リニューアルされ、修学旅行で見た時とは違う展示を見る事になる。けども、その展示で訴える現実・考えさせられる平和は重く、痛く、悲しい。
 何が悲しく、重いかって…自分が子のある母親目線で見てしまう事だった。突然降りそそいだ大きすぎる暴力に、可愛い我が子を守れない無力さ・無念。郊外から市街に動員に出た子を変わり果てた姿で迎え、そのまま先立つのを看取った遺品。親を失い大変な苦労で生きた孤児…。
小6の時の感覚は
「自分がこんな体験したらどうしよう。こんなことが二度と起こらないよう、平和は大事だ。」
だったと思う。けど今は
「我が子をこんなに目に合わせてはならない。戦争で市民が被害を被るのはあってはならない。」
…正直ここまで書いてやっと言語化できたぐらい重く、ショックな思いだった。

 資料館では被害の記録と共に戦後の世界の核の開発と軍縮の歴史も紹介されている。またしても複雑な思いで見てしまう…2022年の「今」だ。
多くを語るわけではないけど、今尚かの国では一般市民の平和が理不尽に脅かされている。あの国は77年前、終戦とされた後にこの国に侵攻し、その一部を掠め取った。…歴史は地続き。
 そう思いながら資料館を出た…目に映る公園の景色は資料館に入る前と後では違って見えた。
 ここは元から公園ではなく、戦前は人が暮らす中洲の町だった。それを知ると今もこれからも公園であり続ける意味は重い。

歴史を担って住む

なんとなく元来た方向に進むと、追悼平和祈念館が見えた。だけども、申し訳ないけど今回見学は出来なかった。家族の悼みに触れるのはもう心がもたないから。追悼モニュメントにだけ手を合わせると、再び元来た道へ。
 行きしなに気なっていたレストハウスの前に至る。綺麗な洋風の建物だけど、実は被爆建造物で地下室は当時の姿を残しているという。こちらも見学。地上部分はお土産屋さんや市民交流スペースらしく、少し和む。地下室は行ってみたけど、自分が元来閉所・暗所恐怖症なので、すぐ退出…。
 暗い所からまた、川辺に出ると空の青さが目に染みた。目の先には原爆ドーム。先ほどと変わらず周囲の景色と共に「スン」して在る。
その時思ったのがこの時のツイート。

この時「思うことが多い」と感じたのを、言葉に引き出したら、早2300字超なのである。改めて、今この地でこの歴史と共存し繋いでいらっしゃる皆さんに大きな敬意を。

レモンサワーを飲みながら

 自分で感じ学びを拾い集める修学旅行。それは想像以上に大きく、感情も思考もフル回転の時間だった。
忘れてはならないのは、翌日は仕事!
ともすれば、この感情や思考をめちゃくちゃ引きずりそうなのだが、そうしてもいられない。いったん切り替えなきゃ。と、休憩と気分転換もかねて「おりづるタワー」に入る。ここは、広島県在住の友人がおススメしてくれていた場所なのもあり。原爆ドームの真向いに立つ展望付きの新しいビルで、1階はショッピングとお洒落なカフェが入る。何か冷たい物でも取ろうと入ると、夕時には少し早い時間帯なのもあり、イチオシの「瀬戸内レモサワー」がソフトドリンクと同じくらいの価格のサービスタイムだった。

締めにこれはどうなんかなぁ…と少し迷いつつも、ちょっと振り切るぐらいの切り替えと休息がほしかったので、せっかくだからとご当地サワーを頼んだ。
キリッと冴えた味、それでいて香りが優しく爽やかで、考えすぎた自分を通常モードに戻していく。
 今ここで得た思いや思考はまた長きに渡り自分の根幹になる気がした。また子どもに話していきたい。

修学旅行モードはこれで区切りとし、このあと私は翌日のイベント主催者様のお店を訪問したり、その道すがら中国エリア一の都会の賑わいにワクワク、ちょっとビクビクしつつ(ちょっとした歓楽街に踏込み焦る田舎者)通り抜け、広島お好み焼きを堪能し、翌日に備えたのでした。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
笑門来福。

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