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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.172 ついに、藤原先生に会いに行くことが実現した。(第1話)

私は、今から1年1ヶ月ほど前、愛媛県にある自律神経メンタル専門心療整体 健優館の、藤原優先生と、リモートで繋がり、Zoomカウンセリングを受けたのが、今回の愛媛県まで藤原優先生に会いにいくということと、愛媛観光に繋がっている。

1年1ヶ月間、LINEカウンセリングや、Zoomカウンセリングを受けてきた私である。

私は今51歳だが、腹鳴恐怖症のことも、パソコンやスマホで、とことん調べた時期もあった。

はっきり言って、腹鳴恐怖症なんて、治るはずもないと思っていたし、この歳になると体重も日に日に増加傾向だった。
もう、50歳か…と只々マイナスなことしか考えず、将来にもやりたいこともなかったし、かと言って今の生活に満足していないかと言われれば、それなりには幸せだと思っていた。

やりたいことがあったとしても、行動にストップをかけ、なかなか実現には程遠かったし、なかなか本音を言えない私であった。

藤原先生と出会った頃は、丁度、娘が、吃音が原因で学校を休みがちになったのと、仕事の区切りで、任期満了ということで、家に居た。

このままじゃダメだと、心のどこかでは思いながら、何か良いサプリメントはないかと探していた。
ちなみに、サプリメントは数回試したが、ほぼ、効き目がなかったと私の場合断言できる。

異常にお腹の音が大きいことに、もう、何十年も、納得しない日々を送っていた。

そんな時、いつものように、何気にネットでサプリメントを探していたのだった。
その時に、藤原先生のところにたどり着いた。

それでも、初めは、ネット上では怪しいものがたくさんあるし、だけどこのタイミングで何か行動しないと終わりだなというのもあった。

藤原先生の書かれているネット上の、腹鳴恐怖症というところを読んで、私は、これだ!やっぱりこれか!!と確信したのだった。

それでも疑い深い私は、いつも何かにつけ相談にのってもらっている、弟に相談した。

『この先生、凄く良い先生っぽいし、腹鳴恐怖症のこと、めっちゃ当たってる、一度見てみてくれん?』

弟は、そこまで疑う余地はないと、『これで嘘はありえん、凄く良い先生だと思うよ』と私に言ったのだった。

私以外の人が言うことは、100%正解かと言われれば違うかもしれないが、かなりの高確率で私は弟を信じているので、確認がしたかったのだ。

私は、やはり、子供の頃の育った環境がかなり良くなかったみたいだ。

というか、今まで生きてきて、それはわかっていたが、こうやって、noteをしたり、藤原先生と奇跡的に出逢えたり、この歳になると、『亀の甲より年の功』というように、生きてきた分、経験してきている部分はあると思う。

しかし私には、腹鳴恐怖症や、子供の頃から今までの苦労話くらいしか、『亀の甲より年の功』と言える部分はないのかもしれない。

私は、長年、腹鳴恐怖症に悩まされ、結果、過敏性腸症候群でもあるのだと最近ますます思うようになった。

人よりも腸が過敏なために、受け付けないものもあるみたいだ。

その辺も頭に入れ今からは食べることにも気をつけないといけないと思っている。

食べ合わせとかあるんだなと思う。

つい、昨日の話だが、とても苦しんだ。
愛媛に行った時でなくて良かったと心からそう思ってしまった。

昨年の5月に、愛媛に行こう!と家族の中でも、その流れになっていたのだが、コロナ禍ということが大きく影響し、結局のところ断念した。

しかし、その時、愛媛に行けてたら、もしかしたら、藤原先生とは、縁が切れていたのかもということも考えたりする。

昨年の6月は、とても異常な大きさの耳鳴りを経験したり、10月には、2年半施設にいた義母が家に帰ってくることになったり。

義母のことは、施設に入る前の4年半くらい家でみていたため、介護は素人ではなかったが、あまりの突然の出来事で、この介護に関しては、藤原先生と繋がっていなければ、かなり、マイナスなイメージで捉えていたと思う。

私は介護となった時に、すぐに藤原先生に相談したのだった。

状況的に、Zoomは無理だ。今更的なところはあったが、LINEでのカウンセリングをやっていただくことにした。

1ヶ月間LINEカウンセリングをしていただいたが、最後の方はもう、気持ちにも余裕が出てきていた。
おそらく、今までのカウンセリングの効果もあってのことだと思う。

2週間ほどは、全く家を出れないという状況であったが、義母も、デイケアや、デイサービスには行ってくれるようになった。

再び、Zoomカウンセリングのチャンスが訪れた。
それからというもの、一ヶ月に一度程度、今のところはZoomカウンセリングをやっていただいている。

私が今回、愛媛に行こうと決心したのは、正直、お正月に地元の温泉に義母と実父2人のお年寄りを連れて行った、家族旅行に行けたことで自信がついた。
私は計画立てる側で運転はもっぱら男たちであったが。

気持ちの問題だろうけど、もう、口走っていたのだ。

それから、3月の娘の小学校の卒業というイメージが、藤原先生と出逢い、しばらくしてからあったのだった。

なので、娘の卒業旅行という名目で、今回の愛媛旅行は現実となった。

noteでも度々書いていることだが、愛媛に行くまでには、軽くいざこざがあったのも事実だ。

ちょっとのことから、私は夫以外を敵にまわした状態になっていた。

そのことがあるまでは、義母とはとても良い状態で、私は自分で言うのもどうかわからないが、優しい気持ちで、綺麗な気持ちで接していたつもり、あくまで、つもりなのだが、そんな一つの出来事で、歯車が狂い始めていた。

介護しながら、娘の卒業、入学、年度の変わり目などでバタバタもしていた。

愛媛に行くぞー!となってから、どうやっていく?にもかなり揉めた。
揉めたというより、長崎から愛媛まではどのみち簡単な道のりではない。

娘と2人、新幹線やJRを使って行く。
私は基本、運転は生活できる範囲でしかしないため、次男、もしくは夫の運転で、しまなみ街道を通ってとか、福岡までJRで行きバスターミナルから高速バスでとか、大分の臼杵港まで車で、大分の臼杵港から、オレンジフェリーに乗るとか。

他にも、愛媛に渡る船は色々出ていて、それだけでも迷ったが、結局、福岡にいる息子に運転してもらい、臼杵港からフェリーに車ごと乗せて八幡浜まで2時間20分程で渡るという方法をとった。

出発する前、義母には声をかけてと思っていたが、前の晩、声をかけていたので、あまりによく寝ていて、早朝だったため、義母とは話さずに家を出た。

もちろん、このコロナ禍のため、感染症対策をしっかりして出かけた。

今回の旅行では、夫は、私の『愛媛に行っていい?先生に会いに行きたいんやけど』という言葉に、『行ってこんね、行きたい時に行かんともう行けんよ』と言ってくれた。

夫は、九州男児、昭和の人というイメージがとても強い人だ。

今回は、夫に、義母のことをみてもらい、4月1日から3日の、2泊3日の旅となった。

義母は施設にお泊まりはしないという気持ちがとても強く、夫も休みが取れるというので、どちらかと言うと、娘の卒業旅行ということで、今できる、最大限のことをやって、この結果だと思う。

1日目は、夫にもLINEをしていたが、なかなか、LINEの返信はしない人だ。
ただ、フェリーの中で見た、夫の返信は、『元気に行ったよ!楽しんでこんね』だった。

義母はデイサービスの日で、元気に行った、私には、楽しんでこんね、という一言。
この時、なんと器の大きい人なんだ。
こんな夫はなかなかいないと思った。
卒業式にも感動する間もなかった私だが、胸が熱くなりジーンとした。
ウルウルしそうになった。

こんな時に、夫の偉大さに気付かされたし、愛媛に行かせてくれたことに、とても感謝の気持ちでいっぱいになった。

この愛媛旅行は全てが繋がっていて、とても不思議な体験だったと思う。

オレンジフェリーは、たまたま、次男の彼女さんが、四国に親戚がいるらしく、オレンジフェリーを何度も使ったことがあると、次男に聞いた。
これも何かの縁だと思う。

何かにつけて、船というイメージが悪すぎて、船酔いのイメージが強かった。
なので、事前にオレンジフェリーが、ほぼ揺れないと聞いたプラス思考に変わったことは大きかった。

フェリーの中では何も飲食できないだろうなと思いながら、娘がおごるというので、ハーゲンダッツのストロベリーをはりきっておごってもらった。
娘はお年玉をほとんど使っていなかったので、お金持ちだ。

自分で買っても味は同じかもしれないが、人からいただいた、おごってもらったというものは、何故か、数倍のおいしさになる。
コーヒーを飲んだりもできた。

そうこうしているうちに、愛媛県に初上陸。

八幡浜港すぐそばの道の駅にはすでに、愛媛全開のものがたくさんあった。
当たり前か、愛媛県だもの。
長崎から愛媛に来たのに、なぜか、ちゃんぽんがあった。

☆次男が食べた八幡浜ちゃんぽん☆

長崎は豚骨や鶏ガラベースブレンドのものが多いみたいだけど、愛媛は、鶏ガラに昆布などのあっさり系みたいだ。


☆娘と私が食べた、鯛めし

鯛の上にかかっていたお醤油は、長崎に似て甘めだった。

☆オレンジ色のポスト☆



☆みきゃんの自動販売機☆


愛媛県に上陸した途端、沢山の愛媛に出会えた。

八幡浜港から、松山まで、1時間半くらいのドライブだったが、長崎の外海に似てるね、と言いながら、桜の花が満開で、長崎ではなく愛媛で花見をした感じになった。
長崎よりも愛媛の方が桜が多いように感じた。

☆松山に向かう途中、少し車を停めて☆

松山駅の近くの、ホテルサンルート松山に向かい、そこで、東京に住む実弟と合流した。

長くなったので、(第2話)で続きを書きます。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました^ ^




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