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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.188 私が父親を好きな割合は真ん中の5!

娘は、中学生になって初めての体育祭が終わり、ジャージ登校(体操服も含む)から、制服登校に今朝から変わり、普通の日常が戻ってきた。

相変わらず、バタバタして登校していったのだが、それも日常か。

娘は先週の土曜日、2ヶ月ぶりに、児童デイサービスに行ってきたのだけど、何となく勘づいてはいたが、母親である私も、ペアレントトレーニングの、2クール目を受けることになっていた。

やっぱりかとは、正直思ったが、2度目になると、更に頭にも入るし、復習にもなり、ずっと、子どもたちの運動や、ゲームやお話を見ていても、学びはあるのだろうけど、毎年、資料は少しづつ変わっていると、言語聴覚士の先生がおっしゃっていたので、すぐ受け容れることができた。

おおよそ、1クール目を受けている時点で、2クール目ぽい人がいたので、見当がついていたのだけど。

もちろん、1クール目でも聞かれた(自分で書きこむのだけど)0から10までのうち、大好きが10だとすると、嫌いが0、自分は父親のことを数字で言うとどれくらい好きかということなのだけど、それと同時に、自分の父親は自分のことをどの程度思っていたのかという質問になる。

同じことを、1クール目でやっているので、その時は父親は私のことをどのくらい思っていたか?という予想なのだけど、私は5にした。

しかし、私は父親のことを2か3にした。
父親が私のことを5という数字を思っていたのではないか?というのは、あくまで私が勝手に予想するわけで、もう少し上なのかもしれない。

しかし、5という数字は、私は母親になって、長男はもう24歳なので、さすがに、親の立場や想いを分かった上でのその数字だ。

逆に、私が思春期真っ只中で多感な時期に乳がんで亡くなった母親のことは、1クール目も、2クール目も何の迷いもなく、母親は、私のことを10、私は母親のことを10で、大好きだった。

私は51歳になったのだけど、未だに、母親は、44歳で亡くなったので、その時のまんまの気持ちであるし、色々なことが止まったまんまである。

父親の数字は、しらばく迷って書いた数字だったが、母親に対しては、即決だった。
何の迷いもなく、お互い10という数字だ。

今も母親が元気で生きていたら、色々なことがあったとして、ストレートに10(大好き)とはいかなかったのかもしれない。

同じ質問を娘にしてみたところ、9と答えた。

私は思わず、自分の母親に対する想いが重なってしまい、思わず、え?10じゃないの?と、マヌケなことを言ってしまった。

娘は、おそらく、母親である私のことは大好きに近いのかもしれないが、逆に10だと、気持ち悪いやろ?と言われた。

確かにな!
思春期真っ只中の娘が言った9という数字は、本当に素晴らしい数字だと思う!

私は1クール目終了の時に、父親のことは確か、8とか言った記憶だけど、5に下がっている。

と言うか、あくまで、その日の直感なのだけど、その後、父親とも接する機会があったりして、私は今のところ、カウンセリングを定期的に受けてきたのもあるので、父親のことは受け容れているつもりだけど、娘と同じで、あまり高い数字だと気持ち悪いやろと言いたくなった。

父親は、養鶏場をやっていたので大変だったのはわかるけど、子どもたちのことは野放し状態に近く、亡くなった母親からの愛情は途中で遮断され、父親からの愛情というものを全く感じたことがない。

結果、少なくとも、私個人としては、愛情というものを知らなかったと、言い切ることができる。
なので、甘えるのはものすごく苦手分野になる。

やはり、普通の5というラインはぎりぎり好きでもなく嫌いでもなくという数字で、子どもの時の感情はやはり低いところから高いところに急にジャンプするものではないのだということがわかる。

しかし、ペアトレで学んだことは、親は10子どものことを愛しているということ。

一度、父親に聞いてみたくもなった。
聞かないとは思うが・・・

昭和時代、子どもであった私は、父親も昭和バリバリの父親で、全く無関心に見えた。

親が、自分を愛していないと感じるのは、親は正しい愛情表現の方法を学ぶチャンスがなく、自己流で育てるしかなかったから。

親が自分を愛してないように見えるのは、親自身が周囲の圧力に、潰されそうになっていたから。

親が子どもを愛していないように感じてしまった時は、親の心が最大に弱っている時で、この時、虐待が起こってしまう。

10愛されることを感じられない理由、ということも、今回学んだ。

①叱られることが多かった。

②褒められることが少なかった。

③人と比べられることが多かった。

④自分がしたいことを認めてもらえなかった。

⑤過度に期待をされていた。

この5つのことを学んだ時、何と全てが当てはまった。

今となっては受け容れている父親のこと。

おそらく、2クール目終了の時に、また、数字は上がっているのだと思う。

色々な出来事で上下する。

でも、今となっては、私が父親をどう思っているのか、父親が私のことをどう思っているのか、過去のことだ。

良い意味でどうでも良い。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^






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