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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.108 ある意味、みんな生きづらさを抱えている。

つい最近、かれこれ20年くらい前からの知り合いのところに、娘に、お下がりをあげるからというので、いただきに行ったのですが・・・

その方は、本当にとても良い方で、そこの子供さんは四姉妹なのですが、1番下が高校生です。

うちの長男の一つ下が、そこのお宅の長女さんです。

長男と次男が幼稚園の時からの知り合いですが、
うちとは全く違う感じなので、そこの奥さんは、とても、子育てが上手で素晴らしいという印象を昔から持っていました。

私とは全く違う感じなのに、人を見下したりとかしない、とてもできた人だと思います。
それは、20年経っても変わらず、そう思います。
何年かぶりにそこのお宅にお邪魔して、1時間半くらい、楽しくお喋りをしていたら、ご主人のお父さんが突然来られて、話は終わったのですが・・・

長女、次女は大学、恐らく、あと二人も大学まで行かれるんだとは思います。
うちは、上2人は、県外に就職したので、家庭環境も、かなり違うと思います。

今は私も『存在価値』ということを、先生から学び続けたのでもう、人と比べることは、あまり無いのですが、まだどこかで比べる自分がいることは確かです。
ただ、4割の部分で比べたとしても、自分はどうせと、落ち込むことはなくなりました。

どんな話をしたかと言えば、今の家庭環境のこと、娘の吃音のこと、病院のこと、児童デイサービスのこと、義母の帰ってきた一連の流れなどなど。
本当に良い方なので、話もよく聞いてくれるのですが、ただ、吃音や、生きづらさに関しての話は、とても良く聞いてはくれたのですが、なんとなく、壁というものを感じてしまいました。
昔も壁はあったのかもしれませんが、その壁とは意味が違います。
今は色々なことを学んだので、見る目が、人に対しても、自分に対しても変わったからだと思います。

今年の3月までは自分の腹鳴恐怖症のことも、はっきり分かっていなかったので、娘の吃音のことも、恥ずかしいと思っていた最低の母親だったと思います。
自分のことも、娘のことも否定していたので。

前まで、人と比べては、あの人は凄い、あの家は大きい、あの家はお金持ちだから、うちなんかと、そんなことばかりを考えて50歳まできてしまった感じです。

人それぞれ、考え方が違い、生まれ育った環境も人それぞれです。
比べているなと、今思いますが、そこの家の方は、何でもできるというイメージです。
例えば、頭がよく、ピアノが弾け、足も早く、性格もいい、字も綺麗で絵も上手みたいな。
本当によくできて、しかも四姉妹がほとんど同じようにとは言わなくても、4人が4人素晴らしいと思える娘さんです。

比べないと話ができないので比べますが、うちは、母親である私がこんな感じなので、子供たちも、この親にこの子あり、みたいな感じのところはあると思います。
しかし、私も、上2人の息子達の子育て中は、大変ながらも、自分のできる範囲のことは、やってきたつもりです。
皆さん、それぞれ、精一杯の子育てをされている方がほとんどだと思います。

自分が出来ない人間だと思っていたので、人並みにと思うあまり、本来の自分からすると無理な努力は一通りしたつもりです。
うちの子供達は、それぞれ個性は違いますが、みんな、それぞれにいい子達です。
親バカと思われるかもしれませんが・・・
子育てにも後悔はありません、と言いたいところですが、後悔もありますね。
娘にも苦労はありますが、まだこれから後半が待っています。

この出来事があった時、LINEでたまたまカウンセリング期間中だったので、先生にもLINEでお伝えしたのですが、やはり、生きづらさや、症状を抱えてる人のことを生きづらさや症状を抱えてない人に理解してもらうことはなかなか難しいのではないかということを伝えました。

しかし、先生の答えは、ある意味、生きている限り、皆んなが生きづらさを抱えている、それに囚われるか、囚われないかの違いだけだと。

素晴らしい人に見える人だって、何もないわけではないですよね、この親にこの子あり、みたいなことも、その方には言ったのですが、色々あるとは言ってました。
そりゃありますよね。

確かに、私は囚われていたと思います。
先生は本当に、人のことを比べず、存在価値で見てくださいます。
こんな私にでもです。
なので、今の私がいます。

『ある意味、生きづらさはみんな抱えている。
囚われるか囚われないかの違いだけ』

何もない人なんていない、自分だけが生きづらさを抱えているわけではない。

突然の介護で天から地に突き落とされたような気持ちでしたが、LINEカウンセリングが今日で終了。
昨日、今日は、何もない日常、主人と再び、ホームセンターに行き、花を買い、ラーメン屋でラーメンを食べ、お天気が良く、プランターに花を植えたくらいの2日間ですが、心に何の引っかかりもないからか、とても、幸せに感じました。

ということは、楽の次は苦が来るなと思っています。
どうしても、ネガティヴな日はあるものです。
それをダメだと決めつけるのではなくて、そういう日もあって良いと思うことができたとき、私が成長できる時だと思います。

一度で思いを伝えることは難しいので、また
機会があればと思います。

今日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^










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