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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.118 吃音に苦しむ娘。

12月17日(金)、いつものように、学校を少しだけ早退して、いつもお世話になっている病院へ行ってきました。

病院と言っても、片道1時間弱の、楽しいドライブと、先生とお話しするのが、きっと、楽しみで通っていると思います。

病院では、いつものように、フリートーク、メンタルリハーサル、スペシャルタイムで、トランプなどをしたそうで・・・
娘は本当は、とても、おしゃべりで、沢山、話を先生としているし、もっと、学校でも、みんなと話をしたいと思う気持ちはあるのだと思います。

娘は、家では、気を遣わずに話すので、話し始めのブロックや、連発などが、普通に出るのですが、学校では言いやすい言葉に変換するので、スムーズに話しだしたりする時もあるのですが、最初、話しだす時に、喉にカギがかかったようになり、ブロックされ、なかなか、一言めが出なかったり、途中、つっかかり、つっかかり、話しているようです。

言葉を変換したりすると、逆に、吃音の改善には逆効果という感じらしいのですが・・・

スラスラと言葉が出る時もあるし、たまには、普通に話せる時もあるといった感じなのです。

吃音のある娘は、最近では、一日だけ、どうしても学校はへ行けない日がありました。

娘は、何か、話さないといけない日に、休みたいと思うので、数日前には教えてね、と言ってありました。

この前までは、連絡帳に書いて、沢山の配慮をしていただいてきたのですが・・・

担任の先生には、4月から、12月まで、とても大きな配慮をしていただいているので、とても感謝しています。

しかし、この前、学校を休んだのには、一連の流れがあるのです。

担任の先生は、吃音に対して、私が親として接している限り、とても理解があると思います。

担任の先生に対しては、賛否両論あって当然というか、人は一人一人考えが違うので当然だと思いますが、私は良い先生だと思っています。
もちろん、人間なので、考えが違うときはもちろんあるのを含めて、人として、先生として考えています。

もちろん先生方も、人間ですから、一人一人違って当然です。

外国語の授業の時、娘は、今まで、数回休んでいます。
みんなの前で発言する機会が多いようで、そんな経験がトラウマのようになっているのだと思います。

私はその時は、学校に娘を、どうにかして行かせることに集中していました。
なので、ご配慮お願いします。と数回書きました。

話の発端というか、外国語の時、何かの発表で、先生と一対一になって、なかなかの長文を言ったらしいのですが、話し始める時、ブロックされ、途中も、めちゃくちゃ、吃ったらしく、この話は、後になって聞いたのですが、そのことが、かなり、娘を苦しめていました。

その次の時の、外国語の授業の時ですが、数日前から、外国語あるから休みたいと言いだしました。
数日余裕があったので、前もって連絡帳に書いて、そしたら、担任の先生から、外国語の先生に伝達して、配慮を考えてくれていたようです。

しかし、娘の足は学校には向きませんでした。
配慮をしていただいても、学校に行けないのは、何でかなと、娘に聞いたところ、その先生と一対一の時に、吃って吃って、こりゃダメだと、自分で自分を否定しまくっていたようなのです。

恐らく、自己否定の最上級です。

先生と一対一でやったことの、テストか何かだと思います。

学校側に配慮をお願いしていたにも関わらず休んでしまった娘。
それと同時に、私は、LINEのカウンセリング中だったので、少しご相談しました。

配慮していただくことは大事なことですが、その軸が周りになってしまうと、自然治癒力、自己治癒力が働きにくい、治りにくい、ということでした。

それからは、担任の先生にも申し訳なかったと、連絡帳に長文を書いて。

軸が周りなので、軸を自分に持ってきて、娘に休むか休まないかを判断させ、親が学校に電話をしても、先生から、来れそうなら、途中からでも良いから、学校に来て下さいという、折り返しの電話をしないということになりました。
親の考えを書きました。

そして、やっと、本題ですが、長くなりました・・・

そして、また、この前、委員会の仕事で、顔は見えなくても、全校生徒に聞こえるように、放送をしないといけないと、これまた、数日前から言い出したのですが、本人に、休むか休まないかを判断させようとしていたので、当日まで、どうするかと思い、待っていました。
しかし、娘は休みました。

私は約束通り、学校に電話をかけ、すんなり休んだのですが、その行動をとったことで、分かったこともあり、ちょっと私の中で、???と思ってしまい、休んだ次の日に、担任の先生に連絡帳に書きました。

吃音がある娘。
5月には、自閉症とADHDの診断をしていただいたけど、グレーゾーンだった娘。
その後、学校にも、6枚ものお手紙を書き、渡して、それからは、先生方には、ご配慮をお願いしていました。
それにも関わらず、吃音のある娘に、放送をさせるって、おかしくないですか?
と、私の中ではその思いが強いです。
もちろん、学校には、やんわりと、包んで、連絡帳に書きました。

担任の先生と委員会の先生との伝達不足だと思いました。
それと同時に、母親として私も、学校に、ただ、ご配慮お願いします、だけではいけなかったと、反省もしました。

吃音症の人に放送をさせる、もし、本人が、吃っても、つっかかっても、やりたいという、意欲を持っていたら別ですが、吃音症の人に放送をさせることがおかしいと思います。

考えてみたら、分かると思いますが、もし、自分に、吃音があるとします、言わないといけないことが出だしから、なかなか出てこず、言葉が詰まり、つっかかり、あなたは、それでも、放送をしたいですか?
ほとんどの方はやりたくないと思うと思います。

性格的なところから、それでもやると言う人はいると思いますが、全て同じではないってことです。
娘は吃音症なので、自分から先生に伝えることも苦手です。

その一連のことを踏まえ、今後も、担任の先生へは、連絡帳で、ある程度やりとりはかかせないと思いました。

担任の先生は、前もって言っていただけだら、ほとんどのことには対応できます。何かありましたらご連絡下さいと、連絡帳に書いてありました。

恐らく、また、吃音に関して思いましたが、理解という意味でも、また、色んな先生や、吃音のない方への理解は難しいということ、また、壁を感じてしまいました。

しかし、私は、書き続けたいと思っています。
少しでも、吃音症の方が前向きに生きやすくなればと願っています。

そして、吃音は、甘えではありません。

そんな娘にできる限り寄り添うことができる母親でありたいと思っています。

今のところ、中学生になることをとても楽しみにしている娘です。

寄り添うということで、また、後日、記事を書きたいと思います。

長くなりましたが、最後までお読みいただき、心より、ありがとうございました^ ^














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