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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.136 平凡な日常を笑いに変える。

今日の長崎の天気は静かな雨。

雨の日は雨を聴く。

まだまだ寒い日が続くけど、今日も、今のところ平和でまったりした時間を過ごしている。

上の息子たちの子育て中は、とても、忙しい毎日を送っていた。

バタバタした毎日でもあったが、長男が四年生の時から、次男も一緒に、バドミントンをしていたので土日も合同練習に試合にと、朝早くから、夕方まで出てばっかりだった。

私もまだ若かったのだけど、その頃を思うと、スポーツというものを今やってない娘は、ほとんど家にいるし、何もない日は、本当にまったりしている。
こんな時間があるのは本当に幸せだ。

介護をしていると言っても、何もトラブらない日もあるので、今日はそんな日なのかもしれない。

こんな日常しかないけど、いかに、笑いを見つけるかである。

今日は笑いに変わることすらないのだが、義母はとてもユニークな人なので、時々、笑ってはいけないが、とても、ユニークだと思い、笑いをぐっと堪えなければならない場面があったりする。

昨日の夕ご飯も、最近は、晩ごはんというより完全に夕ご飯という感じの時間帯に前倒しされどんどん早くなっている気がする。

義母は、ご飯を食べて、テレビを見て、また寝る。という夢のような時間を過ごしているのだけど、ご飯を食べて、いつものように、娘は鬼滅の刃の録画を見たりしていた。
その間、暇を持て余した義母は、リビングにある数冊の鬼滅の刃のコミック本をペラペラとめくっていた。

私は思わず笑いを堪え、娘の脇腹をつつき、義母を見て、と言った。

88歳の義母が、鬼滅の刃のコミック本を見ているだけで、なんか笑いが起きた。

恐らくは何て、書いてるか見えないだろうに、この光景を最近、3回くらいは見ている。

義母の座っている椅子のすぐそばにあると言えばあるのだが、とても夢中になって見ているように見えるのだけど、88歳のおばあちゃんが、鬼滅の刃を見ていると思うととても笑える。
88歳が見るには少しグロすぎないか心配になる。

義母は、トイレの中でも数を数えたり、その数え方も、1.2.3というりリズムではない、いちーー、にーーー、さんーという、絶妙なテンポでの数の数え方をしているし、時には、お経なのか?と思うようなことをブツブツと言っている。

ん??とかなり興味深く、耳を澄ませてしまう。

ついに最近、そのことについて聞いてみたのだけど、ちゃんと出るように、誰やらに、お願いをしているそうである。
しかし、それをすると出たのだと、とても嬉しそうに話してきた。

人間としてとても大事なことである。

なので、トイレの神様いるんやね、と私は、昔流行った『トイレの神様』をイメージしたのだが、義母は人の話を聞いちゃいない。

まあいいか、義母が、気持ちよくトイレから出てくれば。
と、今日も思うのである。

トイレが間に合わない時もあるのだけど、薬を一錠減らして様子を見ている今日は、いい調子のようである。

兎にも角にも、義母は人間らしい人と思う。

私は自分を受け容れる前までは、そんなにツボることはなかったと思うが、最近は、何故か、娘と二人、ツボることが多すぎる。

何でそうなったのかは、詳しくは分からないが、恐らく私が物の受け止め方が変わったからではないかと思っている、それしか思い当たる節がない。

カウンセリングを定期的に受けているために、心にあった重いものが消えてなくなったのか?
なんて思ったりする。

色々ある世の中だけど、心の中は平和でいることは可能だ。

不安になることもあるが、なるべく今を見るようにしたいと思う。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^





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