腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.120 いくら頑張ったところで、実娘にはかなわない嫁の立場。

88歳の義母は、10月20日(水)、家に帰りたいの一点張りで、施設から家に帰ってきたのだけど、その頃からすると、デイケアや、デイサービスに週3回行っているので、かなり、元気になったような気がする、いや、気がするだけではなくて、明らかに元気になっている。

それは良いことだけど、嫁姑問題!なんて、うちにはないと思っていた。

いやいや、若い時は、それなりに、あったと言えばあった。
別々に暮らしていたのだけど、家の敷地内で、スープの冷めない距離。

まあ、20数年間のことを一言では、言い表せないので、今後また、書く機会があれば書きたいと思う。

今日はそのことではなく、今回、施設に入っていた義母を、再び家でみることになった。
2年半ぶりのことだったのだけど・・・
そこからの話です。

どちらかと言うと、今では介護を前向きに受け容れることができているため、毎日、笑いは絶やさない、だけど、昨日、私が調子に乗った質問をしてしまった。

『施設から家に帰ってきたのは、私にみてもらおうと思ったからだよね?』

『そうね』という返事を期待してしまった。
しかし、違っていた・・・

2年半前まで、4年間ほど家でみていたのもあり、状況的に、ということもあっての質問のつもりで・・・
その質問の前に、少しの会話のやり取りがあったのだけど。

私は、なんていう質問したんだよ!

介護といえば、笑えることばかりではない、トイレに向き合う時間は日常茶飯事のことで、糖尿でもあり、バルーンカテーテルをつけているので、流れだとかも気になる。
週一で泌尿器科で洗浄もしているのだけど、なかなかである。

自分なりには、ご飯だって、早めに作り始めて、数品、若者だけでは、あまり作らない、煮物や、酢の物も結構、作るようになった。
洗濯だって、かなり増えた。

それこそ、今までの長い年月、義母に、どれほど寄り添ったのだろうか。
ふと考える・・・
若気の至りみたいなものもあり、それなりだと思う。

最近、ある人が言っていた。
嫁の立場って、どうなんだかねーみたいな。
どんなに頑張っても、嫁は、実娘にはかなわないということなのだ。
その時は分からなかったが、おそらく、こういうことかと、昨日、思った。

それが、その馬鹿な質問をしたことによって、判明したというか、実感した。

まだ、『寄り添う』ということを引きづって書いているが、50歳である今、『寄り添う』ことの意味がわかるが、20歳やそこらで、花や木に興味がなかったのと同じで、全く、『寄り添う』ということも考えたこともなかった。

私のした、馬鹿な質問は、『施設から家に帰ってきたのは、私にみてもらおうと思ったからだよね?』

それに対して、義母は・・・

『そういうわけじゃないけどねー』

『あの日、家に帰らないと、もう帰れないと思ったから』

『〇〇(嫁に行って県外にいる1人娘)が、先ではみてくれるやろ』

そのあと、少し会話が続いたのですが・・・

もちろん、義姉にも、ご主人のご両親がいますから、そんなに簡単なことではないですよね。

私は、今、介護と娘のことと、学校や地域の役員などで、これで、パートに出たりは、私には難しい、やる人はやると思いますが、私なりに、介護については、寄り添っているつもりです。

こんな少し凹んだ夜遅く、珍しく、娘と2人、ソファーに腰掛けたのですが、『今日はお母さん、少し凹んでるんだよね・・・』と、義母との、やりとりの話をしました。

娘は、
『〇〇(娘の名前)だったら、もう、介護したくなくなるね』と言って、少し話が続いたのですが、娘は、ちゃんと、心が成長しているということ、そしてもう少し娘にも、『寄り添う』ということをしていかなくてはと、改めて思いました。

私は、『あなたにみてもらいたい』という言葉を期待していました。

義母の言った言葉は、どういう心理かは、本当のところわかりません。

しかし、私は、今、自分の目の前のできる範囲のできることを精一杯やっていく、丁寧にしていくしかないのです。

これもカウンセリングで学んだこと。

私がもし、今年カウンセリングを受けなかったとしたら、今こうして、noteを書いてることもしていなければ、介護に対しての気持ちも、もっと後ろ向きだったことでしょう。

実娘は、私にとって1人しかいない、そして、自分が介護される側になって考えてみると、やはり、どうしても、血のつながりのある、実娘に、やはり、みてもらいたいと思う気持ちは、叶わないにしても、心のどこかでは思うことなのかもしれないと思う。

世の中には、おそらく、実娘よりも、仲が良くて、実娘以上の、親子関係を気づいている家庭もあるのかもしれない。

私は腹鳴恐怖症にも苦しんできて、育った環境も良くありませんでした。
そういうところを考えると、私がもっと寄り添えた人間なら、違ったのかもしれません。

実母の愛情も感じないままに、実母が亡くなり、その辺りも、甘えたりするのも苦手なので、関連はあると思います。

このことは、自分の中でちゃんと受け容れて、義母の最後の日を見届けることが自分にできるとするならば、『あなたにみてもらって良かった』と言ってもらえるような介護をしていきたいと思っています。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^






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