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誰かは、誰かのファンで。

2月20日。

2022年、冬の北京オリンピックが始まった。

何人もの日本代表が異国の土地でたった1つの競技に捧げた何年間を全て発揮する。
そんな舞台を画面越しにみて、わたしはすごいな。かっこいいな。と感動し、嬉しくなり、もっと、応援したいと思う。

メダルを手に、笑顔で夢が叶ったとインタビューに答える選手。
結果を悔いて涙する選手。
その選手達の誰もが私の中に、2022年冬の感動、悔しさとして残る。

私は、今このとき、彼ら日本代表のファンだ。

応援しているし、勝負に勝つと嬉しくなるし、選手が悔しそうにしていると、悔しくなる。


ファン
という言葉は、選手や歌手、アイドル、芸能人色んな職業の人が口にする。

例えば
「ファンの人のおかげで、ここまで来られた。」
「ファンの皆さんのために」

この言葉に ファン は、
「私達こそありがとう」
と思う。


この美しい
誰かを応援し、応援される
励まし、励まされる 関係を私たちはみな、誰かと創っている。

アイドルと、スポーツ選手と、俳優と、女優と、

でも、ファンが居るのは、メディアに取り上げられる人に限らない。

あのラーメンのお店
田舎の果物
学校の先生
アニメ
部活の先輩
家族

尊敬できる人、かっこいいと思った人
自分がそう感じたその人のファンは、自分。

そして、その尊敬する人にも尊敬する人、助けてくれている人がいる。

私の好きなアーティストの会社、メイクさん、ライブ会場を貸した業者さん、彼が音楽をしようと思ったきっかけの人、家族。

巡り巡って、私は、彼らのファンなのかもしれない。私が好きなアーティストだって彼の好きな料理の原材料を作っている人の知り合いが私かもしれない。

ここまで考えるとキリがないが、

誰かを応援する人にも応援される人にも
ファンがいて、また、そのファンにもファンがいる。

そう考えると、

誰だって、誰かのファンで、誰だって、巡り巡って、ファンが居るのではないか。

隣にいる人
道ですれ違った人
嫌いだと思っている人
クレームを言ってくる人
インスタのストーリーが多い人
自分が、コメントを書き込もうとしたYoutuber

好きな人も嫌いな人も興味ない人も知らない誰かも
巡り巡って自分の味方なのかも知れない。


そうすれば、
知らない隣の人に優しくすること、
困った人がいた時に手を差し出すこと、
目の前の人を想うこと、
これら全てに理由を見いだせるような気がする。


そう気がつけば、平和になるのにな
って思ったりする。



誰かは誰かのファンで。





それではまた。

百。

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